【正論】評論家・木元教子
≪送電網めぐる欧州と島国の違い≫
東日本大震災に伴う福島第1原子力発電所事故の報道が続く。その中で、「脱原発」のニュースも海外から伝わっている。例えば、総電力量の約23%を原子力で供給し、平均12年間の運転延長を決めて、原発維持を表明していたドイツ。「百八十度の方向転換に驚いた」という産業界の声を背に、メルケル首相は、2022年までの原発全廃を決めた。電力関連企業は、原発の運転停止決定の無効を求めて提訴した、とドイツに住む妹からメールが届いた。
スイスは所有する5基の運転更新や改修をせず、34年までに廃炉にする方針を決定。イタリアは国民投票で脱原発へ舵(かじ)を切り、「電力を輸入に頼る国の生き方を変えたい」というベルルスコーニ首相の思いは閉ざされた。
ヨーロッパは周知のように、送電線やガスパイプラインが、国境を越えて網の目のように張り巡らされており、脱原発を唱えて原子力を排除している国も、現実はフランスの原発が生み出した電気を輸入したりしている。ドイツもスイスもイタリアも、である。そのあたり、「脱原発」の信念と矛盾はないのだろうか。
ドイツやイタリアと協調して日本も脱原発を、と言われても、電力をはじめエネルギーを融通し合えるヨーロッパ大陸と違い、日本は島国であって、送電線が他国と繋(つな)がっているわけではない。再生可能エネルギーも、全員参加型の努力がもっと必要だ。新エネルギー部会委員をしている私は、安定供給の難しさを認識している。
≪エネルギー自給率低い日本≫
日本のエネルギー自給率を見てみると、わずか4%である。これは先進国で最も低い。フランスは8%、イタリアは15%だ。日本の一次エネルギー供給の中心はむろん石油で、その石油の約9割を、政情の不安定な中東からの輸入に依存する。原発燃料のウランも輸入に頼っている。しかし、一度燃料を原子炉に入れると、1年以上取り替えず発電に使用できる。
使用済み燃料をリサイクルすることで、これを準国産と見なしてみても、自給率はやっと18%だ。ちなみに、フランスは日本と同様に、エネルギー資源に乏しい国だけれど、いち早く原子力利用の研究に取り組み、総発電量に占める原子力の割合は現在、約80%にまでなっている。ウランを準国産エネルギーと考えると、フランスの自給率は51%になる。
福島第1原発事故の後、日本国内でも、「脱原発」「反原発」、「原発は即廃止」「段階的に原子力発電を減らす」という声が増えているのは事実であり、それを否定もしないし、分かる所もある。中に、こんな声があった。「日本は、唯一の被爆国なのに、なぜ原子力発電を導入したのか」
≪自らの言葉で語り出した人々≫
いま確かに、是であれ、非であれ、普通の人々が原発を自分の言葉で語ろうとしている。原発は、アクシデントという不幸な状況の下で、やっと“日の目を見た”のではないか。いままでは、その姿も形も、働きぶりも失敗も、専門家や業務上関心のある人たちだけの間で捉えられ、また、語られていたように思う。けれど、現実には、豊かな生活や産業の原動力としての原発は、普通の人々が日々お世話になる基幹電源として存在していた。人々はその事実を改めて確認し、知らずにいたことに戸惑ったりしているのである。
いまこそ、原発は、はっきりと姿を現して、今後のあり方を問う声を確認し、その問いに堂々と答える存在であってほしい。
では、「日本はなぜ原子力発電を導入したのか」。1941年に遡(さかのぼ)れば、いわゆる「ABCD包囲網」で経済や貿易を封鎖され、石油資源確保のため戦争を始めた日本が見える。そして45年、敗戦。日本復興のエネルギーとして、52年に、日本学術会議総会は原子力開発の必要性を提案した。
中曽根康弘元首相の話を伺ったことがある。50年、中曽根氏はマッカーサー元帥に建白書を提出。「原子力の平和利用を講和条約で制限するな」と注文した。これは産経新聞の記事にもある。
53年、アイゼンハワー米大統領が「アトムズ・フォア・ピース」を提唱すると、翌54年、日本初の原子力予算が組まれ、日本の原子力平和利用研究が始まった。原子力基本法が施行されて、原子力の研究、開発、利用の平和利用3原則が生まれたのが56年である。自主、民主、公開の3原則を謳(うた)い、あくまで平和利用に限るとした。平和利用の原子力はより安全、健全に稼働しなければならない。
ところで、菅直人首相の「法律によらない要請」により中部電力の浜岡原発の全号機が停止した。民間企業の営業を、バッサリと手続きもなく停止要請する権限を、いつから首相は持ったのか。
電気事業法によれば、正当な理由がある場合を除き、電気事業者は需要者への供給義務を負っている。発電所が停止している夏場の需要期に、電力不足が生じたら、首相は、この供給義務を肩代わりしてくれるというのだろうか。
(きもと のりこ)