私は「一次情報」を見た! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。





マスコミの得意な台詞、捏造、偏向報道にもってこいの決め台詞が「賛否両論があります!」というものである。彼等は決して数値を言わない。唯々執拗に「賛否がある」と強調するだけである。一万人が賛成しても、僅か一人が反対すれば、その声を挙げさえすれば「賛否があります」となるのである。

昔々その昔、「一人でも反対があれば橋は架けません」とホラを吹いた都知事がいた。あの海江田を百倍ほど舌足らずにした口調で、偽善者は語り続けた。そんな偽善者をマスコミは強烈に支援した。そして都の財政を破綻させ、その影響は二十年以上都政を苦しめたのである。現政権はかの都知事の末裔である。

賛否両論に惑わされるな。
賛否両論に騙されるな。

実態の分からないアンケートに一喜一憂するということは、それだけ自分の人生を浪費することである。根拠も意味も無い、実数すら分からないアンケートや自称識者の見解に誑かされてはならない。

賛否を云々するなら「賛否伯仲」と言うべし。
元々「伯仲」でなければ、賛否を論じることそれ自体に意味がない。

これは「少数意見の尊重」とは何の関係も無い話である。少数意見の尊重という以上は、それが少数であることを前提にすべきものである。「少数ながらこういった意見もあります、しかしその中身は傾聴に値するものがあり……」と続けるべきものである。賛否云々の渦の中で混ぜ合わせて議論するものではない。

両論併記に惑わされるな。
両論併記に騙されるな。

これは単なるアリバイ工作である。「一方的だ!」と批判されない為だけに付け加えた彼等独特の「蛇足」である。賛否両論の逆バージョンである。一万人の意見を集約したと自慢しながら、それ相当の数のある反対意見を「こんな意見もありました」と申し訳程度に付け加えることで、公平を気取るのである。

自分達の主張が超少数派の劣勢の場合には、それを含めて賛否があるといいい、多数派の優勢の場合には、皮肉めかして両論併記するのである。この二つを適当に使い分ければ、自分達の思うがままに世論誘導が出来るのである。今までこれ一本でやってきたのである。


マスコミを殲滅しなければ何も始まらない。
マスコミさえ倒せば、後は残り滓のようなものである。
謀略宣伝工作に弱い日本人の気質を変えていかねばならない。

大勢の前で断言する以上、そこに責任が生じる以上、嘘ではないだろう、という「自分本位」の「自分の倫理感」を基準にした理解は止めねばならない。ましてやテレビで言ったのだから、あれだけの地位があってなお言ったのだから、などという甘い考えは捨てねばならない。相手は嘘だけで生きてきた人間である。嘘で食ってきた人間である。嘘でその地位を得た人間なのである。


友人、知人を説得しよう。近くの人を説得しよう。
さりげなく、何処までもさりげなく、事実を告げて立ち去ろう。

その時、「ネットで知った!」は禁句である。その一言を言ったが最後、相手の高笑いが聞こえると思ったほうがいい。マスコミに誘導されている人間のネット敵視は、まさにマスコミの指示通りの酷いものだからである。

そこで一つ提案である。

「そんなことはテレビでは誰も言っていない、新聞でも見なかった。あなたは何でそれを知ったのか?」と聞かれたら、媒体名ではなく

「一次情報からだ!」

というのである。「一次ソースによれば……」と言えばいいのである。そして「国会中継で見た」「議員本人の話を聞いた」「党の主張を読んだ」「講演会で本人に会った」「電話で直接話した」「事故の現場に居た」と言えばいい。

そして最後に「新聞・テレビ、およそマスコミは二次情報だからね」と付け加える。「それは事実かもしれないが、断片的なもの、人の手が入って作られたものでしょ。私は国会中継を全部見て、その後で議事録を読んで確認したから」と言えば、反論出来る人間はいないのである。

そして誠に驚くべきことに、この手法を徹底すれば、今現在テレビに出演中の「有名コメンテーター」なる者達も全員絶句するに違いないのである。彼等の情報は全て二次である。国会も当然見ておらず、議事録も知らず、党の見解も精査していない。茶の間談義に毛の生えたような、いや茶の間談義から毛を抜いたような議論しか出来ないのはその為である。

ネット有志の多くが遙か昔から実践しているように、我々の議論は常に一次情報に重きを置いて組み立てられている。それを得るための手段として、ネットを利用しているに過ぎない。このことを相手が納得するまでは、徹底的に「一次情報云々」で押し通せばいいのである。なかなか効果大であるので、是非お試しを頂きたい。