【産経抄】6月14日 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








引き際の見事さといえば、今も落語界の語り種(ぐさ)となっているのが、八代目桂文楽の最後の高座だ。昭和46年8月31日、国立小劇場で「大仏餅」を口演中、神谷幸右衛門という人物の名が出てこなくなった。

 ▼「申し訳ありません。もう一度勉強しなおしてまいります」。何度も稽古した「詫(わ)び口上」を述べて高座を降り、その後は一切寄席に出ず、3カ月後に79歳の生涯を終えた。その文楽にも、ひとつだけあきらめきれなかったことがある。

 ▼戦時中大陸や南方に行ったきり、消息のわからなくなった未帰還者が2万人以上もいた。文楽の長男もその一人だ。15歳で電波探知機関関係の軍属を志願して採用された長男は、20年7月に大陸に渡りまもなく消息が絶えた。

 ▼留守家族の多くは、時がたつにつれて帰ってこない夫やわが子の死を認め、遺族年金などを受け取るようになった。文楽はしかし、かたくなに手続きを拒んだ。「生きていると信じることが、親の生きがい」と語っていたという。

 ▼東日本大震災の行方不明者は、いまだ8千人近い。災害発生から3カ月が過ぎると、行方不明者を「死亡」と見なし、家族に災害弔慰金が支払われる。「弔慰金を受け取れば、死を認めることになる」「生活のためにやむを得ない」。残された家族の思いは揺れているという。

 ▼そんな被災者の悲嘆の声を知ってか知らずでか、岩手県釜石市を先週末訪れた菅直人首相は、ボランティアセンターの壁の寄せ書きに、「決然と生きる」と書き残した。今や首相の存在が、復興への最大の障害との認識が、与党内でも広がっているというのに、まだ居座るつもりらしい。引き際の悪さで、歴史に名を残そうというのだろうか。