百億円の政治献金。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。




震災から三ヶ月が過ぎた。
あの日から世の中が一変した。
何と通信屋が電力屋になるらしい。
いや、なりたいらしいのである。

通信屋といっても、何か新しいインフラを作り上げたわけでもなければ、サービスに新機軸を打ち出したわけでもない。売りは廉価販売と劣化端末。不通エリアの多さが自慢である。被災地ではあの社の携帯電話は全く繋がらなかった。そして改善されることもなく、徒に日々は過ぎていった。所詮は他者に依存したコバンザメ経営を続けてきた虚業家のすることである。

しかしながら、文句だけは百倍千倍の言い放題である。電話が繋がらない苦情に対し、それを克服する努力のためではなく、他社の誹謗中傷をするために総務省まで乗り込んだとの話である。

緊急地震速報にも全く対応していない。あの日、速報を受けていれば助かった命がどれほどあったのだろうか。電話さえ繋がれば「ここにいるぞ!」と声を上げ、救援隊を呼べた人がどれほど居たのだろうか。

全ては憶測である。証拠はない。しかし電話が繋がらなかったことは事実である。緊急速報が鳴らなかったことも事実である。そして万単位の人が亡くなった、これも冷徹な事実である。事実を重ねていくことで、何かが見えてくる。「単なる憶測に過ぎない」として切り捨てられない何かが見えてくる。

通信屋の身分でありながら、自社の通信環境の改善には全く興味を持っていない。「被災地通話無料」と大宣伝をしておきながら、実際には高額の請求書を出している。いや、間違いでした、言葉足らずでした、誤解がありました。何時ものやり方、何時もの弁明である。

自社の主力業務に熱意が全く無いにも関わらず、百億円の義捐金を送るという。そして、その金は一向に払い込まれていないともいう。聞けば、個人で電力関係の研究センターを作り、そこに過半の金を寄付するのだというのである。

それが果たして義捐金なのか。それが義捐金と呼べるのか。

被災地で地震情報を聞く手立てもなく亡くなった人が、どれほどおられたのか。この件に関する謝罪も検証もなく、またマスコミがこれを追求することもない。

全ては「巨額の義捐金」なるものの目眩まし効果によって、霞の向こうに消えていった。振り込まれない義捐金、所謂義捐金詐欺の如き話はよく聞くところであるが、時の政府が劇場型犯罪を繰り返している今、その陰でもまた劇場型を得意とする政商が蠢いているのである。

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震災後の動きは極めて急速であった。義捐金をぶち上げた後の動きは凄まじかった。東電批判さえしていれば、ヒーローになれる安易極まる時代である。原発さえ犯人にしておけば、全ては無罪放免になる犯罪者には天国のような時代である。東電批判、原発批判から事は起こった。そして政商の出番となった。瞬く間に権力の頂点を籠絡した。

全ては金の力である。

一時の猶予もない、全力で被災地復旧に当たっている、国会で足を引っ張られなければ、もっと動けるのに、と好き勝手なことをならべながら、何と暇人総理は一民間人に過ぎないこの男と二時間に渡って会食をしているのだ。

もう一度書く、全ては金の力である。

何故なら、手ぶらの通信屋に今の今、一体何が出来るというのか。原発を批判して他のエネルギー源を模索するといって、それがどれほどの費用と、どれほどの期間がかかる話なのか。何の説明もなく、ひたすら「新エネルギー供給の救世主」を自演しているのみではないか。単に東電を乗っ取り、その後釜に座ろうと必死の裏工作をしているに過ぎないのではないか。

三度目を書く、全ては金の力である。

何故なら、これほど荒唐無稽、これほど支離滅裂な夢物語に、一国の総理が瞬間的に賛意を示す道理がないからである。自らの政治パフォーマンスと、それを裏打ちする金の流れにしか興味のない人間なのである。自分の得になることしかしない人間なのである。

見せ金百億を武器に、それを実弾に変える腹であろう。
それを国庫から捻出させて、還流させるつもりであろう。
新聞紙の束の上に一万円札を乗せて大見得を切る。
すると不思議なことに、新聞紙が一万円に変わっていく。
全ては税金、我々の税金が、見せ金を本物に変えていくのである。
そうなれば、後は政治家の懐の中に落ちるだけである。
この筋書きを書いた演出家の中に。
主演俳優の中に。

金で地位を買う、利権を買う。
その隣に政治家が居る。
総理大臣を自称する男が得意気に自説を述べている。
周りに立場を弁えない人間が居並ぶ。

これぞ政治ショーではないか。
白昼堂々の政治献金の受け渡しショーではないか。

一体どのような解釈をしたら、この男が「有識者」になるのかは知らないが、もはやその有識者の枠も飛び越えて、あたかも総理側近の如くに側に従い、公開討論の主役として登場する様子は、この上もなく異常、この上もなく不潔である。

百億円の見せ金の力は巨大であった。
人の感覚を麻痺させるに充分であった。

百億を出すのだから、ここにもあそこにも、それ相当の金が流れるはずだと蠢く男達が居たのであろう。騙したつもりが騙される、騙され役を演じながら、また別の人間を騙しては、次第に事を大きくしていく詐欺の連鎖が国家を舞台として演じられている。

ツイッターに流れる、「どんな批判もこれだけの巨額の義捐金を出した人の前では虚しく響く」といった類の「批判批判」は、一体どういった御仁が書き込んでいるのか。金を出せばエライのか、金さえ出せば国家の中枢に秒速で入り込めるのか、そしてその金は未だ満額振り込まれることもなく、この先も振り込まれることはないのである。

怪しげな財団が出来ては、その周りを流れていくだけのことである。流れの下流には政治家がいる。短期間に事を動かし得るのは、政治家の特権である。全ては憶測である。しかし、これだけの短期間に「ここまでの立場を確立した」のは事実である。それは政治家にしか為し得ない、この事実を覆すことは出来ない。

自社工場はおろか、研究センター一つ持っていない企業が、国家の命脈たる電力に参入しようと企てるのは、全くの異常事態である。これに加担した全ての人間は、やがて大きな後悔をすることになるだろう。金が命で生きてきた人間が、単純に義捐金など出すはずがないではないか。本当に被災地の為を思うなら、真っ先に謝罪し、自社の通信環境の改善に乗り出すはずではないか。

憶測は憶測である。しかし事実は事実である。やがて憶測を事実が証明していくであろう。いやしくも国営、準国営企業なるものは百%実業の世界である。虚業家の入り込む余地などない。入り込ませてはならないのである。あの醜き首を狩るのと同時に、この醜き首も狩ろう。被災者を人質にして自らの延命を図り、震災を奇貨としてボロ儲けを企む。共に日本人の所業ではない。誠に氏素性は争えぬものである。