目標永田町、自衛隊よ立ち上がれ! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「夕刻の備忘録」 様のブログより。




「世界終末時計」なるものがある。核戦争の恐怖を形にして見せる為に作られたものである。「核戦争勃発まであと何分か?」、危機意識を広めることによって抑止力にしようとの発想である。

さて「日本終末時計」があれば、残りは何分だろうか?

先の大戦以降でこれほど一気に事態が悪化し、終末に近づいたことはないだろう。残り何分か、そしてその針の進みを逆転させることは出来るのか。全ては我々国民の意識に掛かっている。我々が戻さねば針は戻らない。黙って見ているだけでは、時計は進むばかりである。終末を呼び込むのは天災ではない、明らかに人災である。

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被災地における自衛隊の活躍ほど感動を呼んだものはない。そして彼等は今日も、今この瞬間も黙々と働いている。政治の無力を背に、その足らざる部分を補完する為に。彼等は災害救助隊ではない、防衛軍である。にも関わらず、本職ではない災害派遣においてさえ、これだけの能力を発揮するのである。日本の誇りである。

しかし、彼等にも限界はある。我々が苦しい時、彼等は百倍も苦しい。人の限界を超えて懸命に働く彼等を支えるのは、我々の声である。彼等は我々の代わりに苦しんでくれているのだ。誰もが躊躇う、誰もが見たくない、触れたくないと思うものにも、敢然と立ち向かい、我々の代わりにその心を痛めているのだ。


政府が国民を助けない。
官僚は機能不全の状態にある。
現場も見ないマスコミが風評被害を撒き散らす。

そうした中で自衛隊の諸君は、この危機を救うには何が足りないか、遂にその本質を見抜き、自らの使命を一段と自覚し始めているだろう。そうだ、本物の漢が居ない。政治の世界に漢が居ないのである。知識はあっても力が無い。愛想は振りまけても、共に泣くことが出来ない。国民の先頭に立って、一番最初に死ぬことが出来ない。命の限界まで戦って「最後の砦」になることが出来ない。

政治の世界に自衛隊の力が必要である。
自衛隊で鍛えた精神と肉体が必要である。
掲げるものは「実行力」
目指すものは「独立自尊」
国民と共に泣き、共に笑い、共に国家を支える漢が必要である。

学生紛争の残り滓や、外国勢力から干渉を受けて見事に左傾化した「パナソニック整形塾」出身者らを打倒し、真の日本人による政治を取り戻さねばならない。

これからは「市ヶ谷政経塾」の時代である。

立てよ、自衛隊!
目標は永田町である。
真の文民統制は実力組織の経験者のみが為し得る。

現政府の主要メンバーの選挙区に候補を送り込め。
国家の将来を託すべきはどちらか、国民に信を問え。
地方議会に国政に候補者を擁立して、国家を護るのだ。
自衛隊を出てこそ叶う防衛もある。
終末時計の針を戻すのだ。

自衛官が立ち上がり、文民を目指すというのだ。全く平和な話ではないか。精鋭部隊が大挙して永田町に進行する。一部の連中の希望通り自衛隊は弱体化する。熱烈歓迎の報道をお願いしたいものである。

民主もダメなら自民もダメだというのなら、自衛隊があるじゃないか!
「鬼手仏心」の精神によって、国家に仇為す者達を殲滅せよ!

諸君が立てば暗雲は去る。元総理も元官房長官も、元防衛大臣も元外務大臣も、被災地選出でありながら苦しみを分かたない平議員達も、全ては落選するだろう。

政治は何かを為し得た者のみが参加する資格を持つ国家防衛の最前線である。未だ何者でもない人間が人生経験を積む場ではない。

弱者を救えるのは強者だけだ。弱者が弱者に出来ること、それは同情だけである。自らを強者と位置付けない者に、国家を託すことなど出来はしない。その誇りの無い者に命の意味など分からないのである。

政治は命を賭けてやるものである。命の遣り取りをしたことのない人間、出来るのは金の遣り取りと地位の駆け引きだけの人間、上になれば下が扱き使えると夢に見て、まさにその為だけに政治家を続けている人間達を葬るのだ。

次の派遣先は国会だ。
瓦礫の山を撤去してくれ。
悪臭の元を始末してくれ。
国民が笑顔で渡れる橋を架けてくれ。

立ち上がれ自衛隊!
今こそその時である。