吉行淳之介は、小説のなかで人間のからだについて書くとき、「●」という字を使ったそうだ。パートナーだった宮城まり子さんが、まねをして自分の文章のなかで同じ漢字を使うと、吉行はこんなふうに叱った。
▼「僕がこの字『●』を使い始めたのは、娼婦(しょうふ)とか弱いカラダ、なんか美しい苦労したカラダに使ったの。君には向かない。『躰』もつまらないな。『身体』は小学校の体操みたいだから書くな。そうだな君は『からだ』とひらがなで書くのが一番似合うんじゃない」(『著名人名づけ事典』矢島裕紀彦著)。
▼きのう、政権発足から丸1年を迎えた菅直人首相には、どんな漢字が似合うのだろう。「からだ」という言葉は、もともと死体を意味していた。菅内閣も、もはや退陣の時期ばかりが取り沙汰される「死に体」状態だ。
▼「から」の字には抜け殻の「殻」、あるいは草木の命が終わる意味の「枯」はどうだろうか。もっとも、首相自身はいまだ政権に未練たっぷりらしい。内閣不信任決議案を否決に導くために退陣を偽装し、鳩山由紀夫前首相から「ペテン師」と呼ばれた首相には、「虚」の字もぴったりだ。
▼菅政権の1年を振り返ると、成果を探すのが難しい。中国漁船衝突事件やロシア大統領の北方領土訪問では、中露両国に譲歩を重ねて足元を見られた。東日本大震災による福島第1原発事故にいたっては、首相の振る舞いが収拾を遅らせた疑惑さえある。
▼消費税、脱小沢、エネルギー政策の転換など、にぎやかに目標を掲げたものの、政権延命のためのパフォーマンスにしか見えなかった。使命感も実行力も何もない空っぽ内閣、そう「空だ」と書くのが、もっともふさわしい。
●=謳の言偏が身
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110609/plc11060903270000-n1.htm