【湘南の風 古都の波】
■シーン1
季節の移行が例年にも増して速い。春が過ぎ、初夏が訪れ、もうすぐアジサイの季節がやってくる。鎌倉に観光客が戻り、休日の小町通りや若宮大路は人があふれている。計画停電が続き、人影が途絶えた3月の町並みがうそのようだ。
だが、あの重く沈んだ日々は夢でもまぼろしでもない。東北ではいまも、多数の人が困難な被災生活を送りながら復興へと立ち上がろうとしている。それを忘れることはできないし、忘れたいとも思わない。鎮魂と復興の祈願は《武家の古都・鎌倉》のいたるところで続いている。
■平泉に朗報
その一方で、東北からも鎌倉を勇気づける知らせが届いた。このことも忘れてはならないだろう。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会の諮問を受けて現地調査などを行う専門家機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)が「平泉の文化遺産」(岩手県)の世界遺産登録を勧告した。正式には6月下旬にパリで開く世界遺産委員会で決定するが、専門家機関のお墨付きを得たことで登録はまず間違いないという。
岩手県は津波で大きな被害を受けたが、世界遺産登録の対象である内陸部の中尊寺や毛越寺(もうつうじ)は被害を免れた。平泉は2008年に登録延期の決定を受け、3年後の再チャレンジで悲願を果たすことになった。
鎌倉は実は、平泉の次に世界文化遺産登録を目指している。その準備スケジュールがいったんご破算になったのは、3年前の平泉の受難がきっかけだった。今回の再チャレンジ成功は、鎌倉の登録戦略にも、再び弾みをつける朗報だ。
奥州藤原氏三代の栄華とそれを滅ぼした源頼朝。平泉と鎌倉は、そうした歴史の因縁を超え、エールを交換しあう町でもある。
■シーン2 「万灯の会」 復興願い夕闇を照らす
境内の深い木立のあちらからも、こちらからも、ウグイスの鳴き声が呼び交わすように聞こえる。山の端に日が隠れ、うっそうとした古木の森から、すっと冷気が降りてくる。汗ばむほどだった午後の気温が急激に下がっていくようだ。
目の前をふらふらとヤブ蚊が飛びすぎていく。
「もうじき夏ですね」
そんな言葉を交わしながら、隣でカメラを構えていた初老の女性が、折り上げていた長袖のシャツの袖をのばす。寒さのせいか、虫除けのためなのか。おそらくその両方だろう。
新聞の暦欄を見ると、5月14日の日没は午後6時38分。ずいぶん日が長くなった。鎌倉五山第四位の浄智寺は、北鎌倉の禅宗寺院の中でも、山寺の趣をひときわ強く残している。その境内に夕闇が迫り、仏殿の曇華殿(どんげでん)の前には「東日本大震災」「復興祈願」などの文字が書き込まれた六角形の紙コップが並んでいた。
■揺らぐ火に思いと願い込め
東日本大震災で亡くなった人たちの冥福を祈り、被災地の復興を祈願するために、鎌倉市観光協会は「Kamakura pray project」を立ち上げ、被災者支援の募金活動などを行っている。5月の7日と14日の土曜日に市内の寺院や神社で行われた「万灯の会」もそのプロジェクトのひとつだった。
7日が長谷寺と光則寺、大船観音寺、鎌倉宮。そして、14日には浄智寺の境内にろうそくを灯した無数の紙コップが置かれた。ひとつひとつに、献灯した人たちのそれぞれの思いと願いが書き込まれている。側面に刷り込まれた若草色のリボンは芽吹く明日をイメージした募金活動のシンボルマークだという。
小さなろうそくの灯は、夕闇が濃くなるにつれて存在感を増していった。かがみ込み、視線を地表すれすれまで近づければ、境内の人々も、周囲にそびえる巨木群の姿も、ゆらゆらと揺らいでみえる。
■過去、現在、未来
浄智寺は鎌倉幕府第5代執権北条時頼の三男、宗政の菩提(ぼだい)を弔うために創建されたという。
宗政は第8代執権時宗の弟でもあり、時宗が2度目の元の襲来をしのいだ弘安の役の直後の弘安4年(1281年)8月に29歳で死去している。
曇華殿には阿弥陀仏、釈迦如来、弥勒菩薩の「三世仏座像」が安置され、それぞれが過去、現在、未来をあらわしているという。5月14日の万灯の会には、その三世仏の前で、訪れた人たちの焼香の列が長く続いた。
(文:編集委員 宮田一雄/撮影:写真報道局 渡辺照明/SANKEI EXPRESS)