本日の「正論」、富士に復興を見たフランス大使。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





「西村眞悟の時事通信」 より。




昨日は、この度の国難における天皇の存在について書いた。
 警察庁出身で初代内閣安全保障室長を務めた佐々淳行さんの、
まことに尊い論考である「天皇ー最高の危機管理機構」(ワック出版「歴史通」五月号所収)を紹介しつつ、この度の危機、国難に際して「権威による統治者」として顕れられている天皇について書かせていただいたのである。
 
 すると、本日の産経朝刊正論の表題は「富士に復興を見たフランス大使」とあった。
 この表題を見たとき、これは関東大震災の時に我が国に駐在していたフランス大使で詩人でもあるポール・クローデルのことではないかと思った。果たして、平川祐弘氏の「正論」は、まさにポール・クローデルについて書かれていた。

 私も、我が国の政治の現実を見ることを任務としている。
しかし、ほとほと、菅直人という人物と民主党そして菅内閣が、この度の国難に際してしていることを、いちいち書く気がしなくなっている。
 地震発生の翌朝七時にヘリから降りて偉そうな顔をして怒鳴るように福島第一原子力発電所に入っていく菅直人の顔や、昨日の中国の温家宝氏などと被災地でサクランボをにやにやしながらついばむ菅の姿、嘆かわしい。
 そして、地震直後の一番重要な作業である原子炉の炉心冷却のための注水を一時ストップさせたのは菅直人である、いや、違うと菅の内閣が言う、責任の所在の自覚なき論争。
 これらを見たり聞いたりするたびに、思うことは、一番重要な危機管理は、お前が速く辞めることだ、消え去れ、と思うだけである。
 
 今は、危機なのだ。
 消え去ればいい奴のことを、あれやこれや考えたくもない。
 それよりも、この国難に直面するまで、明確に気付き意識していなかった、我が国家再興の為の根本的なこと、之を見つめたい。
 この思いが、私に、我が国の国体、文明、根本規範、つまりアイデンティティーを見つめさせることとなり、昨日、「天皇」を書かせることになった。
 今朝の表題を見て、本日の産経「正論」を書かれた平川先生も同じ思いではなかったのかと勝手に思っている。

 実は、私の講演を聴かれた方はご存じのことだが、
最近私は、我が国の姿について、日本人の私が言うよりもフランス人が言ったことを知っていただきたい、として、ポール・クローデルの本日平川先生が引用された同じ言葉を集まられた皆様にご紹介している。
 ポール・クローデルは、第二次世界大戦後二年ほどしか生きなかったが、原爆が投下され日本が敗北したことを知らされた時、日本が滅びないことを願い、その言葉を発した。
「しかし、だからといって、冬の夕闇の中からくっきりと浮かび上がる富士山の姿が人間の眼に指し示された最も崇高な光景の一つであることに変わりはない」
 また彼は、天皇について尋ねられたとき、こう述べた。
「天皇に何か特別の国政上の行為があるように考えるのは不適切であり不敬であろう。
 天皇は、日本では魂のように現存している。
 天皇は、常にそこにあり、そして続くものである。
 天皇が、如何にして始まったのかは誰も知らないが、
 天皇が終わらないであろうことは、誰もが知っている」
 また、クローデルは、敗戦濃厚な日本について
「滅びて欲しくない民族が一つある。それは日本だ。彼らは貧しいが高貴だ」と述べている。

 さて、平川先生は、本日の産経正論で、関東大震災に竹橋のフランス大使館で遭遇したクローデル駐日大使が、避暑先にいた娘を湘南まで捜しに行き再会したことや、「廃墟となり灰の砂漠となった東京」でのクローデルの見聞を紹介されている。それは、現在の東日本大震災の被災地の日本人に関して外国人が報告していることと変わらない。
「今回の外国人記者の一連の現地報告が関東大震災の報告と似ていることに私は驚かされた」と平川先生が書いておられる。

 そこで私も、かなり以前に読んだことのある外国人の関東大震災体験談をご紹介したい。
 その方は、関東大震災発生の数日前に日本の横浜に着いたドイツ人のカトリック宣教師のヘルマン・ホイベルス氏である。
 以後彼は、戦前戦後四〇年間以上日本で生活して上智大学学長などを務め、「日本で四十年」という本を書いた。この本は、母が読んで残しておいてくれた本だ。
 ホイベルスさんは、横浜港に着いて、初めての日本に上陸し、桜木町の駅から東京行きの汽車に乗る。
 その時、初めて、珍しいすばらしい日本の音を聞く。それは発車する汽車に乗ろうとホームを走る、数人の夫人がはいている下駄のカランコロンという音である。
 それからホイベルスさんは、東京の宿舎についた。そして数日後に、大きな揺れを感じた。地震だと思った。しかし、日本には地震が多いと出発前に教えられていたので、「アアこれが地震か、なるほど」と思っていた。しかし、部屋に入ってきた先輩牧師の顔が真っ青になっているのを見て、「これは大変だ」と初めて知った。
 その晩、ホイベルスさんの宿舎の前を、大八車に荷物を積み、また荷物を担いだ、被災民の群れが黙々と通っていった。
 嘆きの中にあっても、わめくことなく冷静に静かに通っていく多くの人々を見て、ホイベルスさんは、日本人が好きになったと書いている。
 その後、ホイベルスさんは、大正天皇の崩御に際し、多くの日本人が集まる宮城前に弔問に駆けつけている。
 戦時色が濃くなって上智大学にも厳めしい陸軍将校が、学生の軍事教練の為に配属されてきた。ある祝日に、学内で全学生と教官及び配属将校が出席して祝宴が開かれることとなった。
 ホイベルスさんは、式の最中も気むずかしく厳めしい将校に気を遣ってはらはらしていたのだが、祝宴に移ってビールの栓を開けた瞬間から、学生と配属将校が肩を組んで楽しそうに歓談し始めたのを見て、ビールを開発した先祖に感謝した。

 この度の、東日本大震災に際し、歴史に連続性とその中の日本人の変わらざる姿を確認し、真の祖国の再興に向かいたいと切に思う。
 昨日は、大日本帝国憲法第一条及び第三条を以て締めくくった。
 よって本日も、昭和二十年八月十四日の詔書の末文を以て締めくくる。
「挙国一家、子孫相伝え、確く、神州の不滅を信し、任重くして道遠きをおもひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤く志操をかたくし、誓って国體の精華を発揚し、世界の進運に遅れざらむことを期すべし。爾臣民、其れ克く朕が意を體せよ」








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