「中山成彬オフィシャルブログ立て直そう日本~この国を守る覚悟を~」 より。
こんにちは、中山成彬です。
早いもので、宮崎は桜が散ってつつじも終わり、早期水稲の早苗が水面が見えないほどに生長し、たばこの葉の収穫もそろそろという季節になりました。
昨年の今頃は口蹄疫の蔓延で宮崎県は本当に大変でした。1年たち、畜産農家の中には新たに牛を導入する動きも始まっています。その方々を訪ねると、家族同様の牛を殺処分しなければならず、長い間落ち込んでいたが、それでも東北地方の被災者の事を考えると、自分たちはまだましだったと口々に言われます。本当にその通りだと思います。先祖代々受け継いできて、自分たちが生涯かけて築いてきた財産を一瞬にして失った方々の心中は察するに余りあるものがあります。さらに又、見たところ何の変わりもないのに、住み慣れた家や故郷を見捨てて避難しなければならない福島原発地区の皆様の無念も計り知れません。
私も連休明けに被災地を廻ってきましたが、道路以外のガレキはほとんどそのままで、震災以来2ヶ月の空白時間だけがそこにありました。避難されている人々の数も日々少なくなってはいますが、それでも10万人を超える方々が不自由な避難所生活を余儀なくされています。移転先で生活しておられる方々も新しい仕事の目途が立った人は少ないのではないでしょうか。
被災者の我慢強さ、お互いを思いやる風景は世界から賞賛されましたが、それに甘えてはいけない、我慢にも限度があると思います。復旧、復興のスピードを上げなければなりません。
福島原発も収拾不能な状況にあるようです。初期の対応が問題になっています。情報隠しも段々と明らかになってきました。国民を動揺させてはならないという政府の指示が徹底していたのでしょうか、当時からマスコミで解説する人達の説明には奥歯に物が挟まったようなものがあったことを思い出します。アメリカやフランスの80キロ外退避とか、国外避難の指示に大げさなと疑問を感じておりましたが、今はその方が正しかったと判明しました。
この間、菅総理の言動は国民向けのパフォーマンス主体で延命のみが至上命題であることが見え見えでした。真に国民のことを思う一国のトップとしての心と覚悟が伝わってきませんでした。それにしても、浜岡原発の停止は市民運動家としての面目躍如たるものがあります。後先を考えず、その影響を深く配慮することなく、一点集中的に高まる反原発の国民感情を鷲づかみにしました。しかし、福島原発の危険度はほとんどゼロだったのに大事故が起こりました。2,3年後に完全な防災態勢ができるのか、なぜ他の原発は大丈夫だと言い切れるのでしょうか。国内や世界の原子力発電政策に対する影響は考えなくていいのか、今夏を含むこれからの電力不足に対応できるのか。日本の企業が海外移転に走る可能性はないのか。何より鳩山前首相の25パーセントCO2削減という国際公約(?)はどうなるのか。民主党でまとめた原子力発電のシェアーを50パーセントにするという方針はどうなったのか。前出のCO2発言や八ッ場ダム、諫早訴訟の上告断念など、民主党のやり方は民主主義とはほど遠い独裁政治そのものであります。
当分解散総選挙はできないし、菅降ろしもできないと踏んで、菅総理は居座りを続けるつもりのようです。前にも書きましたが、国家観なき菅首相は、その座に居座り続けることが自己目的化しているのです。一度権力の甘い蜜を吸ったらその味を忘れられないのでしょう。それにしては、テレビ等で映し出される菅総理の表情は段々と自信なげで情けなくなるばかりです。最悪の国難の時に最悪の宰相を戴いた日本国民の不運を思うばかりです。菅民主党政権が続く限り、日本には災難が降り続くような予感がしてなりません。
自民党は負け過ぎて迫力がありません。民主党の議員も選挙は避けたいということで、台風の目に入ったような妙な停滞ムードに陥っています。日本の為、日本国民の為、菅首相を辞めさせる方策はないものか、無力感に苛まれるこの頃です。
追 伸
5月15日、沖縄祖国復帰39周年記念大会に出席してきました。当日の様子を後日ご報告致します。