震災3年の今も批判許さぬ中国。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【正論】中国現代史研究家・鳥居民



東日本大震災と中国のかかわりについて書こう。大震災が起き、中国のインターネットには「熱烈祝賀」の文字が躍ったが、そんなことを言う奴は中国人の面汚しだという声が出て、日本頑張れの文字が大勢を占めた。そのような時である。塩が安定ヨウ素剤の代わりになるという怪しげな情報が発端で、一騒動が持ち上がった。

 福島県のいわき市や富岡町で住民に安定ヨウ素剤が配られたというニュースを知ってのことだったのか。いや、海水が放射能で汚染されてしまい、塩の生産が止まってしまうぞとネットに書き込まれたのが最初だったのであろう。3月16日から食塩の買いだめが始まった。外部被曝(ひばく)、内部被曝のどちらか、塩を皮膚に擦り込むのか、それとも嘗(な)めるのか、そんなことはどうでもよかった。1袋1・3元~1・5元、日本円にして20円足らずの食塩がたちまち10元に暴騰して、町のスーパーの棚から消えた。この「パニック買い」は、香港、マカオにまで波及した。

 5日後には全てが笑い話になった。「地震で死なず、津波で死なず、放射能でも死ななかった日本人がこの話を聞いて笑い死んでしまったとさ」と書き込まれた。

 ≪手抜き校舎糾弾で建築家拘束≫

 笑ってすませないのが艾未未(アイ・ウェイウェイ)氏の4月3日の拘束である。艾氏はモダン・アーティストとして国際的に知られた人物で、53歳。2008年北京五輪のメーン会場、国家体育場(鳥の巣)の設計に携わった建築家でもあり、ドキュメンタリー映画の製作もしてきた。そして、中国の専制体制を批判してきた。警官の暴力で脳出血の手術を受けたこともあり、彼のアトリエの1つは取り壊されもした。

 彼が厳しく非難してきたのは、同年5月の四川大地震の後の当局の対応だった。6万人を超す地震の犠牲者のうち1万人は子供であり、その大半は校舎の倒壊による犠牲だった。小中学校の校舎が潰れたのが手抜き工事によるものであることは、すぐに明らかとなった。地方政府はしかし、親たちの追及を阻止しすべてを隠そうとした。追悼式を開かせず、死んだ子供たちの名簿を作らせず、慰謝料を親に与えるのと引き換えに裁判所へ提訴させないようにした。

 ≪「アラブの春」飛び火に不安≫

 艾氏は行動に出て、学校で死んだ5200人以上の子供の名前を調べ上げ、自分のブログに載せた。翌09年にはミュンヘンの美術館に追悼作品を発表した。何千個もの布製ランドセルの山だった。

 さて、中国共産党最高幹部を神経質にさせているのは、今年1月にチュニジアで始まりエジプト、リビアなど他中東諸国に広がる長期独裁政権に対する闘争である。彼らが思い浮かべるのは、22年前の天安門事件であり、その後に始まった東欧の民主化革命であろう。中国各地で100人以上の民主活動家、政府非公認のキリスト教会の信徒を拘禁、軟禁し、都市中心部を警官であふれさせた。

 日本で大震災が起きたのはそのさなかだった。党中央宣伝部は伝統メディアとは距離を置く南方都市報、新世紀など新興メディアの記者が日本の災害地に行くのを許した。彼らが報道したのは、四川の地震よりもはるかに大きな地震だったにもかかわらず、日本の小中学校は倒壊しなかったという事実であり、日本の政府や東京電力への厳しい批判の紹介だった。

 ≪日本の小中倒壊せずと報道≫

 党首脳部はこれはまずい、と思ったのであろう。何しろ、四川大地震からまる3年を迎える5月12日が間近に迫っていた。最も危険なのは艾未未氏だ。彼を野放しにしておかない方がいい。実力者、周永康・中央政法委員会書記が艾氏の拘束を決めたとみていい。

 大震災と関係ない話を最後に記す。今年元旦から中国共産党が唱えるようになったのは「幸福」の美辞である。英国のキャメロン首相、フランスのサルコジ大統領も口にした流行語なのだが、中国では各省の党書記が一斉に、「幸福省」をつくるのだと叫んだ。「幸福重慶」「幸福瀋陽」を建設すると説き、「幸福」の歌がテレビで流れ、町では「幸福」度を尋ねるアンケートが行われることになった。今年から始まる新5カ年計画は「幸福」社会を目指す、と党指導部は強調した。そして「幸福」をキーワードとする全国人民代表大会の初日の3月5日に、温家宝首相が施政方針演説を行った。

 ところが、温首相が長い演説の中で「幸福」を口にしたのは僅かに1回だけで、首相が繰り返し強調したのは、「改革」の2文字だった。私が数えたのではないが、71回にものぼったのだという。

 政治「改革」なしには中国人の全てが「幸福」になることはできないのだ、というのが温首相の考え方である。それに対し、首を横に振る党中央常務委員がいて、艾未未氏の類いは監獄にぶち込んで安定を維持してこそ、「幸福」を求めることができると考える。

 どちらを選択するのか。振り返ってみれば、胡錦濤-温家宝政治のこの8年余の間に、中国の内外で問われ続けてきたのがほかならぬ、この問題だったのである。


                                        (とりい たみ)