国民の心に響かぬ菅語録。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【土・日曜日に書く】論説副委員長・高畑昭男



昨年6月、米軍普天間飛行場移設問題で迷走に迷走を重ねた鳩山由紀夫首相(当時)に代わって菅直人氏が首相となったとき、多くの国民が「鳩山氏よりはずっとましだろう」と期待を寄せた。

 だが今や、期待はいずれ劣らぬ失望に変わった。東日本大震災や東京電力福島第1原発事故の対応で指導力を欠いているだけではない。失望させられる材料は震災前から数え切れないほどあった。

 昨年夏の参院選では「消費税引き上げ」を掲げたかにみえて、すぐに撤回した。昨年秋以降、重要な政治課題に浮上した環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加問題や、社会保障と税の一体改革でも、明確な方向を示さないままに決断を先送りしてきた。

 ◆見えない方向性

 その割に、菅氏がしばしば口にするのは、以下に挙げる例のように、「全力を尽くす」「死力を尽くす」といった表現だ。

 ▽「私を本部長に緊急対策本部を設置した。被害を最小限にするために政府として全力を尽くす」(大震災当日の記者会見)

 ▽「死力を尽くして大震災と原発事故に立ち向かい、日本をより良い社会に再生するために全力を尽くすと約束する」(4月12日、震災1カ月にちなんだ会見)

 ▽原発安定化の工程表について「全力を挙げて東電の作業に協力する」(同18日、参院予算委員会答弁)-。

 全力を尽くすことがいけないというのではない。問題は、力を尽くすことは「プロセス」(経過)であって、必ずしも「結果」そのものではないことだ。

 菅氏が約束していることをよく読むと、「原発の安定化」や「日本の再生」ではなく、全力を挙げるというプロセスにすぎない。

 ◆プロセスと結果の混同

 そうした「努力約束」型の表現は、そもそも内閣発足時からパターン化していたようにみえる。

 「沖縄の基地負担軽減に全力を挙げて取り組んでいく」(昨年6月8日、組閣時の会見)というのもそうだし、「拉致被害者の一刻も早い帰国を実現するために全力を尽くします」(今年1月24日、施政方針演説)というのも、本来なら「全力を挙げて基地負担を軽減させる」「帰国を実現させる」といえば、国民への明確な「結果の約束」といえるだろう。

 鳩山前政権の鬼門となった普天間問題でも、菅氏は昨年11月の日米首脳会談でオバマ米大統領に対して、「(普天間問題は)日米合意を基礎に沖縄県知事選後に最大の努力をしたい」と語った。これも、よく考えてみれば「最大の努力」を約束しただけだった。

 世の中には、「結果」でしか評価されない職業が少なくない。スポーツ選手、ビジネス経営者、そして政治指導者もそうだ。過酷なようだが、いくら努力を尽くし、刻苦勉励を重ねても、そうした徳が評価されるのは現役を退いて回顧録の世界に入ってからだ。

 現役ならまずは試合に勝ち、ビジネスを成功させ、政策を実現しなければ、誰もほめてくれない。「郵政民営化」を貫き、無謀ともいわれた解散総選挙に打って出た小泉純一郎元首相の例をみるまでもなく、結果を賭けて勝負してこそ国民は耳を傾けるものだ。

 ◆約束は「努力」だけ

 菅氏の場合は、具体的な結果よりも「努力する」という約束ばかり目立つために、国民の心に響くものに欠けるのではないか。

 先の施政方針演説では、「全力を…」が前後8回あった。最近の施政方針演説でみると、昨年1月の鳩山氏は1回、自民党政権時代の麻生太郎氏と小泉氏(2006年)はそれぞれ4回で、歴代首相と比べても多い。

 菅氏は同演説で、国づくりの理念として「平成の開国」「最小不幸社会の実現」「不条理をただす政治」を掲げた。しかし、いずれも難解な部分が多く、具体的でわかりやすい印象に乏しかった。

 加えて、「熟議の国会」を繰り返し、重要課題で自らの明確な方針は示さずに与野党協議に委ねようとする姿勢も感じられた。

 意図的にそうしていると勘繰っているわけではない。市民活動家出身とあって、何事にも「全力を尽くす」との信念が先に立つのかもしれないし、中には官僚の作文もあるのかもしれない。

 それでも、現役の指導者である以上、プロセスと結果は似て非なるものであるという認識は最低限必要だ。結果をしっかりと約束せずに努力の安売りで終わっていては、何を訴えても空回りをしているようにみられてしまうのではないだろうか。

 国民が首相に求めるものを自覚してほしい。めざす結果を明示した上で、全力を尽くす。それでも目標を実現できないとなったら、潔く次の人に道を譲る決断も必要だ。


(たかはた あきお)