石巻を愛した女性の死。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【あめりかノート】

ワシントン駐在編集特別委員・古森義久



■石巻を愛した女性の死

 古い映画の「風と共に去りぬ」を一瞬、連想した。緑豊かな広大な林を抜けて着いた大邸宅にはいかにもアメリカ南部ふうの伝統的な白い円柱とポーチが優雅にそびえていたからだ。邸宅の裏には緑の庭がジェームズ川の岸までなだらかに延びていた。こんな環境で育った若い米国人女性がなぜ日本の東北の海辺町に魅せられたのかと、いぶかった。

 東日本大震災の3月11日、宮城県石巻市で津波に巻き込まれて亡くなった英語教師のテーラー・アンダーソンさんの両親が住む家だった。バージニア州の州都リッチモンド郊外の閑静な丘陵である。

 不動産会社を経営する父親のアンディさん、専業主婦の母親のジーンさんはともに53歳、ゆったりとした居間で24歳だった長女、テーラーさんへの思いを穏やかに語った。

 「テーラーは小中学校で同じ先生から日本の歴史を学び、日本に魅せられたのです。その先生はアメリカ人ですが、日本で育ち、日本の言葉や文化までを娘に教えてくれました。日本に住んで学ぶことが娘の夢となったのです」

 ジーンさんのこんな説明にアンディさんがつけ加える。

 「テーラーは日本のアニメや村上春樹の小説が好きでした。日本の文化の優雅さや繊細さを愛したようです。そして一定の秩序や礼節という日本社会の特徴も大好きだとよく話していました」

 テーラーさんは大学卒業後すぐに日本のJETプログラム(外国青年招致事業)に応募して採用され、2008年夏に石巻に赴任した。石巻では小中学校計7校で英語を教え、生徒たちに愛されていた様子は本紙でも会田聡記者が詳しく報じた。大震災の日も彼女は生徒たちが保護者に引き取られるのを見届けてから、自転車で自宅へ向かったという。

 だがテーラーさんは行方不明になった。両親は米国から必死で日本の多方面に問い合わせた。無事でみつかったという情報も流れたが、確認できなかった。アンディさんはテーラーさんの恋人のジェームズさんと捜索に出かけることを決めた。その出発の日の3月21日、空港へ向かう予定の2時間ほど前に東京の米国大使館からテーラーさんの遺体が確認されたという通報があった。

 「テーラーの死で私たちの心は穴があいた感じです。でも彼女自身は両親にそんなことは望まない。彼女は前向きで明るく、ともにいるだけでこちらが楽しくなる子でした」

 ジーンさんは初めて涙をにじませ、テーラーさんが今年8月には米国に帰り、ジェームズさんと婚約し、大学院か日本関係の職業を目指すことを決めていたのだと告げた。では日本滞在を2年ですませ、昨年帰国してもよかったのではないか。だがジーンさんは即座に答えた。

 「いいえ、私自身、昨年春に石巻を5日ほど訪れ、娘がなぜそこに長くいたいか体全体で理解できました。自分が最もしたいことをしていた彼女は幸せだったのです」

 アンダーソン夫妻は娘の母校セント・キャサリン高校と協力して「テーラー・アンダーソン追悼基金」という募金を始めた。これまでに9万ドルほどが集まった。基金は故人の遺志を体してすべて石巻市の小中学校の復旧に充てる。同基金のサイトは以下だという。

 https://www.st.catherines.org/onlinegiving?rc=1