『ライ麦畑でつかまえて』などで知られ、昨年1月亡くなった米作家、サリンジャー氏は早くして筆を折った。最後の何十年かは、ニューハンプシャー州の自宅にこもったままの生活だった。それも高い塀をめぐらせた家の中だったという。
▼近所との付き合いは結構あったらしく、必ずしも「世捨て人」というわけではなかった。しかしマスコミや文学界などの「社会」には心を閉ざし、自らの文学者としての栄光を捨て去ろうとした。そのための高い「塀」だったのかもしれない。
▼9・11テロの首謀者とされるビンラーディン容疑者はパキスタンの高い塀、というか壁に囲まれた家に潜んでいた。首都イスラマバードの北60キロの町だという。壁は高さ5メートル前後で有刺鉄線が敷かれ、出入り口は2カ所だけで窓はほとんどない「奇妙な家」だったらしい。
▼以前はアフガニスタンとの国境に近い山岳地帯に潜伏しているとされていた。それだけに米情報当局には意外な隠れ家だったかもしれない。だが周囲に比べれば8倍の広さで、壁も十分過ぎるほど目立つ家だった。そのことで墓穴を掘ったともいえそうだ。
▼あの壁はいったい何だったのだろう。米国の「追っ手」に備え、強固な砦(とりで)にしようとしたのだろうか。それより、ビンラーディンは米国社会ばかりでなく世界の民主主義社会、そして多くのイスラム社会とさえ断絶してきた。そのことを宣言している壁のようにも見える。
▼殺害したことについて、日本では「殺し合いでは何の解決にもならない」「生きて捕らえ、彼の心の中を聞くべきだ」といった声も聞かれる。しかし、徹底して国際社会を拒絶してきたあの壁を考えれば言うだけ空(むな)しい気がする。