【土・日曜日に書く】ロンドン支局長・木村正人
◆元憲法調査会長の嘆き
2009年の総選挙で落選した中山太郎・元衆院憲法調査会長(86)が5月3日の憲法記念日を前に、東日本大震災が改めて浮き彫りにした現行憲法の不備を問い、たなざらしになったままの憲法審査会の早期始動を呼びかける書簡を全国会議員に送付した。
そう聞いて大阪府内の中山氏宅にロンドンから電話を入れると、「一番の問題は緊急事態に関する基本法がないことや。衆院憲法調査会で5年間研究してみて、ドイツなどの憲法には自然災害など緊急事態に対処する国家の基本姿勢がはっきり書いてある」と懐かしい関西弁で問題点を指摘した。
03~06年にかけ政治部記者として憲法問題を担当していた筆者は衆院憲法調査会長だった中山氏を毎日のように訪ねた。
中山氏は1998年、日本独自の情報衛星を実現させるため訪米し、情報衛星を通じて地球上の画像情報を一室に集約する米国防総省担当者と面談した。その3年前の阪神大震災では、米政府は地震発生から2時間弱でシミュレーションを終え、8時間後に日本政府に対して「必要ないかなる援助も行う」と申し入れたという。
「しかし当時、社会党の村山富市首相は米空母による救援活動の申し出を辞退した」と中山氏は振り返る。東日本大震災で米軍は地震発生2日後に空母戦闘群を被災地沖に派遣、救援活動「トモダチ作戦」を展開した。中山氏は「核実験のデータを豊富に持つ米国は日本以上に放射能汚染の危険性や対処法を知っているが、それにしても災害に対する米軍の組織力や統率力に驚かされた」と語る。
◆緊急事態措置の欠落
現行憲法の不備は「戦争放棄」を宣言した9条にとどまらない。明治憲法には緊急事態措置として(1)緊急勅令制定権(2)戒厳宣告の大権(3)非常大権(4)緊急財政措置-などが定められていたが、現行憲法には、衆院解散中、参院は「国に緊急の必要」があるときは緊急集会を開催できるという「参院の緊急集会」の規定があるだけだ。
第二次大戦後の46年3月、連合国軍総司令部(GHQ)の案に基づき日本側が起草し直した「3月2日案」には当初、軍事に絡まない緊急勅令と緊急財政措置の代わりにこう規定されていた。「国会ヲ召集スルコト能ハザル場合ニ於テ公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ必要アルトキハ、内閣ハ事後ニ於テ国会ノ協賛ヲ得ルコトヲ条件トシ法律又ハ予算ニ代ルベキ閣令ヲ制定スルコトヲ得」
GHQは英米法を根拠に「非常時には内閣が非常指揮権によって処理できる」と反対。協議の末、現行憲法の「参院の緊急集会」規定が盛り込まれたという。
しかし、この説明を額面通りに受け取ることはできない。米軍の占領下に置かれていた当時の日本は非武装化され、政治・外交・軍事・経済という4大国家機能のうち軍事が必要な緊急事態対処は占領軍が行うことになっていた。現行憲法には国防や災害など緊急事態への備えが欠落しているのだ。
日本が主権を回復した後の53年に来日したニクソン米副大統領(後に大統領)は「米国が46年に過ちを犯したことを認める」と述べ、日本を非武装化した現行憲法の問題点に言及している。
◆緊急事態の指導力
「中央政府が避難して指揮をとる冷戦期の英コッツウォルズ地方の地下シェルターは歴史の一部になった。しかし、独自の核抑止力を保持する英国では冷戦後も首相が役割を果たせなくなった場合の代行を含め、国家存亡の危機に対する綿密かつ大胆な備えがある」
2001年の米中枢同時テロ後に初代英内閣安全保障・情報問題委員会議長を務めたデービッド・オマンド氏によると、英国では首相が議長を務める国家安全保障会議(NSC)を通じて緊急時のリーダーシップが常に磨かれている。NSCには重要閣僚が出席、元外務事務次官が首相補佐官を務め、必要に応じて国防参謀長や各情報機関のトップが出席を求められる。
緊急時のプロは閣僚・官僚・軍・情報機関・警察であるはずで、日本のように震災後に対策本部が20も乱立し民間有識者が招かれる“政治主導”は、日本の民主党がお手本にしているという本家・英国から見るとかなり奇異に映る。
放射能漏れへの対処にしても核戦争を想定して訓練を重ねてきた核保有国と、“平和憲法”下に安住してきた日本との間には雲泥の差がある。現行憲法に緊急事態措置が明記されていなくても、災害対策基本法、大規模地震対策特別措置法、原子力災害対策特別措置法などがある。しかし、未曽有の大震災は現行憲法が規定する「国のかたち」のあいまいさといびつさを改めて浮き彫りにしていると思う。(きむら まさと)