関西大学教授・河田恵昭 巨大災害の時代
東日本大震災の被災状況をみていて改めて感じるのは、あれほど圧倒的な自然の力を相手にしては、「とにかく逃げるしかない」ということだった。
このところの自然災害は年々、巨大化している。地球温暖化に伴う台風の巨大化や集中豪雨の頻発・激化に起因した災害にもみられる。
このような状況のなかで、最近「想定外」という言葉がよく使われる。「想定外」に絶望しあわてふためく前に、まず、「想定内」での防災・減災対策が十分かどうかを見極めることが必要だ。
しかしながら、「想定内」とはいっても、実際には、洪水などの発生確率を意図的に低く見積もることが、府県レベルの自治体の長によってよく行われているのだ。
例えば、100年に1度発生するという降雨を想定しておきながら、そのうち、行政側の都合で安全率を下げ、30年に1度の洪水規模に縮小したりする。その理由は、防災にかけるコストが抑えられるというのが大半である。
大阪を流れる淀川下流に架かっている橋の桁高の不ぞろいもそうである。計画では200年に1度の大雨にでも洪水氾濫(はんらん)が起こらないようになっているはずであるが、鉄道橋や道路橋の幾つかは低過ぎて、現実には70年程度に1度の大雨で淀川は確実にあふれるのだ。
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想定外のことは、今回の地震のようにどこにでも起こりうる。淀川の場合、筆者は、1802年の享和洪水を描いた「摂河水損村々改正図」を復元し、実に400年に1度の洪水であったことを見いだした。延長約3キロにわたり破堤しており、堂島や中之島あたりも浸水した。今起これば、未曽有の洪水災害になることは論をまたない。
「想定外」の東日本大震災が起こって以来、政府、自治体関係者は大慌てである。河川流域の安全性をコストの点から切り売りしてきたことが露呈したからである。
「そのような巨大水害は起こるはずがない」という思い込みで政策決定をしてはいけないのである。
水は昔を覚えているものだ。海や湿地帯だった所に人間がいかに知恵をしぼって街をつくろうとも、洪水や高潮、津波による氾濫(はんらん)が起こると、昔に戻って、また海や湿地帯にかえるのである。大阪も縄文時代は、生駒山あたりまで海だったのだ。
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それでは、巨大災害にどのように立ち向かえばよいのだろうか。それには「最悪のシナリオ」が必要である。
中小災害に対策を限定すれば、似たりよったりの複数の防災・減災対策が存在することになる。そうすると、いずれが一番効果の高い対策か判断しにくくなるため、ついコストが低いものや簡単に実行できるものから手をつけることになる。これが失敗のもとである。「最悪のシナリオ」を想起すれば、その地域の弱点を炙(あぶ)り出すことにつながり、おのずと対策はしぼられてくるものである。
また、今ある防災・減災施設が巨大災害時に破壊され、まったく効果を発揮しないことは絶対避けるべきである。今回の大震災では、岩手県大船渡市や釜石市の津波対策用の湾口防波堤が被災したが、基礎の液状化による沈下など被害が限定的で減災効果を失わなかった。そうでなければ、もっと津波は大きく両市とも壊滅していただろう。
このように、防災・減災の方策やその対策は、私たちが獲得した近代文明の所産である。それを私たちの社会でどのように活用するかは、私たちの安全・安心に関する考え方、すなわち、危機管理にどう取り組むかという日本人の文化の問題であろう。
この文明と文化の乖離(かいり)の末に、東日本大震災の悲劇が起こったと考えてよい。大きい防波堤を整備すれば、南海地震の「稲むらの火」や三陸沖地震の「津波てんでんこ」にみられるような歴史に刻まれた教訓を忘れ、津波から逃げなくてもいいということにはならないのだ。
どんなに技術が進歩し便利になっても、油断すれば、自然の野にかえるということを忘れてはならない。このことは、近代文明の象徴である東京や大阪も逃れられないことなのだ。
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【プロフィル】河田恵昭
かわた・よしあき 昭和21年生まれ。京大大学院工学研究科博士課程修了。京大防災研究所長、関西大学環境都市工学部教授など歴任。専門は巨大災害、都市災害、危機管理。現在、阪神・淡路大震災記念人と防災未来センター長兼務。防災功労者内閣総理大臣表彰。関西大学社会安全学部長。著書に「津波災害」(岩波新書)など。