「西村眞悟の時事通信」 より。
急に「大連立」という動きが見え始めた。
よく見ると、かつての「自社さ」時代への再来願望だ。
役者も、その当時と同じ。この自社さ時代、今の総理と官房長官のコンビは、厚生省の大臣室にいて薬害エイズ問題で左翼市民活動家の本領を発揮して名を上げたのだ。
思えば、この時彼らは権力の匂いを嗅いだ反日思想の持ち主になった。彼らは官僚を非難して「追求」することだけは得意なのだ。
自公側の役者も同じ。大連立で、与党から三閣僚席をもらうことになる。そして、自民党内には、「数十兆円規模の復興政策に関与しない手はない」という声が日増しに高まっている、という。あほらし。
思うに、頭が動かなくなって既に死に体の菅君にとっては、三閣僚のポストを野党に渡して責任を分散したい、総理の重圧から解放されたいというのが本音であり、三閣僚をもらう方は、「数十兆円に関与しない手はない」が本音だろう。
双方に、国難に対処する大構想がない。
これは、もはや、「ごっこ」である。
政治家としての大構想がないから「ごっこ」ができるのだ。
あほらし。
しかし、既に国民は分かっている。
我が国を取り巻く内外の情勢はまことに厳しく、その中で、我が国は、東日本大震災という巨大地震・巨大津波に襲われ原子炉が暴走している。
まさに、国難である。
そして、この国難を克服するという政治の使命から観るならば、いま「ごっこ」として表面にでてきた大連立の当事者・当事政党は、克服すべき客体であり、克服の主体ではない。
つまり、国難を克服するために、我が国は「戦後体制」から脱却しなければならないが、大連立の当事者・当事政党は、その戦後体制そのもの、国家の将来のために一掃すべき残滓なのだ。
そもそも、この大災害に遭遇しても「みみっちいばらまき」を続ける菅民主党内閣の平成二十三年度予算を放置して連立などありえないではないか。
昨日、熊本にて護国神社に参拝し、田母神俊雄閣下とともに、市内の集会で講演した。
そこで、如何にして戦後体制を脱して国難を克服する道を開いていくかという観点から次のように述べた。
まず、大災害に襲われた東日本の状況をみれば、当分の間は国政選挙はできない。
その上で、現在、被災地以外の地域で統一地方選挙が行われている。従って、この地方選挙が菅民主党政権に対する熊本県民の意思を表明する唯一の機会である。
では、この熊本から何を発信するのか。私の郷里堺から何を発信するのか。
仮に全国の要所要所で、民主党の当選者ゼロという結果がでればどうなるか。これほどの国政に対する痛撃はないではないか。 菅民主党内閣は、完全に立ち往生する。
そして新しい首班を選ぶ動きが生まれるなかで、左翼・反日・反国家の民主党政権から、党派の枠を乗り越えて真の保守救国連立内閣を樹立させねばならない。
これこそ、この度の大災害の無量の犠牲者が、生きている我々に望んでいるところではないか。我々は、祖国を頼むという彼らの思いに応えよう。
そこで、その救国内閣の首班は誰か。
それは、平沼赳夫さんである。
この平沼赳夫という具体的な名を挙げたとき、会場から大きな拍手が起こった。
東京の連立ごっこをしている人士よりも、
既に大災害を見た国民は全て国士である。
この拍手を聞いて私は夕刻の飛行機で大阪に戻り、同志の演説会場を二カ所廻った。
なお、祖国復興の大事業を開始するに当たり、二百兆円の財源を用立てる必要がある。国債を発行するもよし、政府の有する貨幣発行特権を行使する手もある。
デフレからの脱却を待つ我が経済は、この二百兆円の投入により劇的に総需要が拡大するであろう。
当面は、もちろん被災地の復興であるが、全国を視野に入れた真の意味の祖国復興作戦が必要である。
例えば全国津々浦々で、先祖が見て今も見えねばならないかけがえのない歴史的風土が、「拝金主義という津波」によってなぎ倒されている。
全国規模でその風土を復興させる大事業を開始すれば、懐かしい風土は日本人の心の再興につながり、その教育効果は計り知れず、真の日本の再興となる。
これが私の「おおぶろしき」の一端である。