先人の教訓、津波も外交も厳守しろ!! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」 様のブログより。






先人の教訓、津波も外交も厳守しろ・高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな…先人の石碑、集落救う・「津波てんでんこ」三陸の知恵、子供たちを救う・福沢諭吉「脱亜論」支那と朝鮮の悪友とは絶交せよ。



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津波てんでんこ


高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)此処(ここ)より下に家を建てるな

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110329-00000888-yom-soci

此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う
読売新聞 3月30日(水)7時22分配信


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過去の津波で壊滅的被害を受けた姉吉地区にある石碑(27日、岩手県宮古市で)=菊政哲也撮影

 「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。

 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた

 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」

 本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)

 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。

 地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。


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●解説(コピペ)
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岩手県宮古市重茂半島東端の姉吉地区。
バス停から灯台へ続く坂の途中の道沿いには、昔の石碑が立っています。
石碑には大津浪記念碑と彫られています。

表には
高き住居は児孫に和楽 想へ惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな

裏には
「明治二十九年にも昭和八年にも津波は此処まで来て部落は全滅し生存者僅かに前に二人後ろに四人のみ 幾歳経るとも要心あれ」

岩手県の三陸沿岸は,有史以来何度も津波が襲ってきています。
明治三陸津波では,釜石の人口6500人のうち4000人が命を落としています。
そんな歴史もあるので,三陸海岸各地に約200基の津波記念碑が建てられています。
津波の古い記念碑は頻繁に、しかも信じがたいほどの高さの場所に見つけることができ,そこには上のような「ここより下に家を建てるな」といった文が刻まれていたりします。
しかし現在,碑の警告を無視するかのように,その多くの碑の下には家が建ち並んでいました。

津波は百年単位では、100%やってくる「必ず起こる災害」です。
しかし人々は,被害に遭った日のことを忘れ,記憶を風化させてしまいます。
明治時代に建てられた石碑の多くも風化が進んで、人々の記憶から消え去っていましたそして人々の体験が完全に風化したころに今回の津波がやってきて,またしても大被害が繰り返されてしまったのです。

百年後の子孫のために、警告の石碑をあちこちに残した先人の心を思うとやるせなくなります。
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釜石市立釜石東中学校が、平成21年度から始めた津波学習の一環で制作「津波防災教材 てんでんこ」

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110328-OYT1T00603.htm?from=main2
「てんでんこ」三陸の知恵、子供たちを救う
2011年3月28日15時07分 読売新聞

 東日本巨大地震による津波で大きな被害を受けた岩手県釜石市と大船渡市で、津波に備えた知恵や工夫が奏功し、多くの子供たちの命が救われた。

 釜石市では、津波から身を守る方法として三陸地方に伝わる「津波てんでんこ」が効果を発揮。大船渡市では、学校から高台へ素早く逃げられるよう、父母らの訴えで昨年秋に完成したばかりのスロープでの脱出劇があった。

 ◆過去の教訓◆

 死者・行方不明者が1200人以上に上った釜石市では、全小中学生約2900人のうち、地震があった3月11日に早退や病欠をした5人の死亡が確認された。しかし、それ以外の児童・生徒については、ほぼ全員の無事が確認された

 市は2005年から専門家を招いて子供たちへの防災教育に力を入れており、その一つが「てんでんこ」だった。度々津波に襲われた苦い歴史から生まれた言葉で、「津波の時は親子であっても構うな。一人ひとりがてんでばらばらになっても早く高台へ行け」という意味を持つ。

 学期末の短縮授業で184人の全校児童のうち約8割が下校していた市立釜石小。山側を除くほとんどの学区が津波にのまれたが、児童全員が無事だった。学校近くの住宅街で友人と遊んでいた同小6年の藤元響希(ひびき)君(12)は「家族や家が心配だったけど、無意識に高い方に走って逃げた」。その後、避難所で家族と再会できた。

■動画
10メートルの大津波 岩手 釜石津波 TUNMI 2011年3月11日 PM15時14分~
http://www.youtube.com/watch?v=AamvilJkxS0
東日本大震災 大津波が釜石の町を襲う
http://www.youtube.com/watch?v=n_7Xc5Q1TOo


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『津波てんでんこ―近代日本の津波史』山下文男著

●解説

http://www.geocities.jp/specimenlapiz/tunami/tunami-nigeru.html
4-2、津波てんでんこ

岩手県の作家山下文男氏は「津波てんでんこ」という三陸地方の言葉を紹介しています。津波のときだけはてんでばらばら、親子といえども人を頼りにせず、走れる子どもは一目散で逃げろ、そして一家全滅、共倒れになることを防げ、という三陸地方の知恵だと説明しています。

同時に、「てんでんこでやろう」ということは最初から認め合っているという意味合いもあり、
津波の時は人にかまわず逃げろ、自分だけ助かってもそれは非難されることではない。それだけ津波の避難は厳しいものだということ書いています。

実際に三陸津波でも、動けない家族を置いてゆくことができず、一家全滅になった例があります。また、奥尻島の避難の際にも、体の不自由な人を家族で囲んで家にとどまり、ほとんど犠牲になった例や、親戚や知り合いに避難を促そうと回り道をしていて助からなかった人の例があります。

山下氏はさらに、てんでに走って逃げられない人について、普段から足の弱いお年寄りや弱者は、家族でだれが助けるか話し会っておく。家族で助けて逃げることができないときは、近隣で助け合うことを決めておく。地域の防災力は日頃の話し合いや、助け合いによって高められるものではないかと主張されています。

■You Tube動画
【初音ミク】 津波てんでんこ 【オリジナル】
http://www.youtube.com/watch?v=DrM5QYBxvzA
■ニコニコ動画
【初音ミク】 津波てんでんこ 【オリジナル】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13864308

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歌詞

生を受けた赤ん坊の命が 眩しいほど輝いているのと
同じ命 あなたも持っている だから生きてることを責めないで

津波てんでんこ

花が枯れて種を残すように どうか命つないでいて欲しい
私たちの幸せな記憶を 誰か一人残せるのならば

津波てんでんこ

それは家族の哀しい約束 きっと他人(ひと)に否定されるだろう
私たちはそうやって今まで 細い糸で命つないできた

津波てんでんこ

私たちは生きていかなければ 私たちは生き残らなければ
たとえ他人(ひと)に非情と言われても
それがたった一人だとしても

津波てんでんこ
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次の動画は、去年、2010年3月1日に作成されている。

今回の「東北地方太平洋沖大地震」の1年前に作成されているのだが、上の作家(津波研究者)の山下文男さんがコメントしている。

しかも、先の
「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな」の石碑と、後の「津波てんでんこ」の両方の話が出て来る。


■動画
三陸大津波の教訓

http://www.youtube.com/watch?v=zGWQGpnSMHU
4:55~
「此処より下に家建てるな」先人の石碑

5:58~
「津波てんでんこ」
――――――――



ちなみに、この津波研究者の山下文男さん、津波のあった当日は、陸前高田市の病院の4階に居たが、首まで水に漬かった。

それでも、奇跡的に九死に一生を得た。

http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110317_9
津波研究者、九死に一生 大船渡の山下さん
2011/03/17、岩手日報
(一部抜粋)


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「想像をはるかに超えていた。津波を甘く見ちゃいけない…」。大船渡市三陸町綾里の津波災害史研究者、山下文男さん(87)は陸前高田市の県立高田病院に入院中に津波に遭い、首まで水に漬かりながらも奇跡的に助かった。これまで津波の恐ろしさを伝えてきた山下さんですら、その壮絶な威力を前に言葉を失った。「全世界の英知を結集して津波防災を検証してほしい」。声を振り絞るように訴えた。

 「津波が来るぞー」。院内に叫び声が響く中、山下さんは「研究者として見届けたい」と4階の海側の病室でベッドに横になりながら海を見つめていた。これまでの歴史でも同市は比較的津波被害が少ない。「ここなら安全と思っていたのだが」
(以下省略)

■動画
"TSUNAMI" 失敗は伝わらない
http://www.youtube.com/watch?v=qkLqVr_Qk_w


どんな先人の教訓があっても、どんな石碑があっても、30年くらい経ってしまうと、皆「自分が生きているうちは大丈夫」という錯覚に陥ってしまう。





以上のことから言える【津波対策】は、まずは最初から坂の上に家を建てること。

特に、保育園や幼稚園、小中学校、病院、老人養護施設などは、危険な海岸の退く場所に建ててはいけない。

そして、
「一たび大地震が起こり、大津波の危険が発生した場合は、他人にも家族にも構わずに、自分一人だけで高台に逃げろ!」(てんでんこ)ということだ。


また、「此処より下に家建てるな」という先人の石碑と、「津波てんでんこ」の話は、
先人の教えの重要さを改めて痛感させられる話だ。




先人の教訓の重要性を、今の政治や外交に活かすとすれば次のようなことが挙げられるだろう。

まず、「200年に一度あるかないかの地震に、備えや研究をする必要性があるのですか?」と言って、東京で造っていたスーパー堤防に「廃止」の判定を下した蓮舫は政治家失格。

落選させるべきだ。


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蓮舫「200年に一度の地震に備える必要があるんですか?」






それと、120年以上前、福沢諭吉先生は、新聞紙上で『脱亜論』を掲載し、次のように訴えた。
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日本の不幸は近隣諸国。
ひとつは支那で、もうひとつは朝鮮だ。

この2国の人々は、道徳的に退廃しており、国際的な紛争でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。


もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に寄与するなどという幻想は捨てるべきだ。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、欧米先進国と共に進まなければならない
隣国だからという理由で特別に接してはならない。
「東アジア」の悪友とは絶交するべきだ

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福沢諭吉

惚れ惚れするほど素晴らしい120年以上前の偉大なる先人の教訓だ。

しかし、今の日本人は、この先人(福沢諭吉)の素晴らしい教訓(脱亜論)を蔑ろにしている。

日本は、福沢先生の教訓を思い起こし、一刻も早く厳守しなければならない


さもなくば、東日本大震災のように痛い目に遭う。


実際に、東京電力の勝俣恒久会長と皷紀男副社長は、福島第一原発事故(震災)当日の3月11日、マスコミ幹部OBらを連れて支那旅行に行っていた。

勝俣会長は、日支の経済交流を進める「愛華訪中団」の団長となり、マスコミ幹部OBなどを引き連れ、3月11日には北京におり、3月12日まで上海や南京などを回り、支那政財界幹部と会合を開いた。

その際、マスコミ幹部OBたちの旅費をいくらか負担していた

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110330/dst11033017340043-n2.htm
東電・勝俣会長会見
(一部抜粋)


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Q 事故当時、マスコミを引き連れて、中国へ訪問旅行に行っていたのか。旅費は東電持ちか。避難所に職員を出しているといっているが、南相馬市には東電から電話もないと聞くが

勝俣会長「全額東電負担ではない。詳細はよく分からないが、たぶん、多めには出していると思う」

Q マスコミと東電の癒着について

「マスコミ幹部というのとは若干違う。OBの研究会、勉強会の方々。誰といったかはプライベートの問題なので」

Q どの社なのか

勝俣会長「責任者の方によく確認して対応を考えさせていただきたい。2~3日中にどういうことになっているか照会したい」

東電の勝俣会長は、「支那や朝鮮とは付き合うな」という偉大なる先人の教訓を無視して、マスコミ関係者を引き連れて支那旅行をしていたために、こんなことになったのもしれない。



「先人の教えは凄い!」