風評被害拡散担当大臣。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








「夕刻の備忘録」
様のブログより。








首都圏での買い占めが酷く、被災地に物が回らないから、慎むようにとの御言葉を頂戴した。地震だ津波だ放射能だ、という国難の最中、わざわざ人の居ないコンビニまで出向いて何時もながらの渋面を作り、ネチネチと説教をする担当大臣の姿は、実に現政権の体質そのものであった。節電啓発担当大臣、いやいや「買い占め捏造」担当大臣である。首都圏の住民を誹謗し、その人間性を貶める技は流石である。



毎度お馴染みの責任転嫁、「トウキョウガー」「シュトケンガー」のお出ましである。首都圏に住む人達は、風評被害を訴えてもよいと思う。何故なら、所謂「買い占め」など何処にも無かったからである。無かったにも関わらず、新聞テレビを通して、随分と軽蔑の眼差しを向けられたものである。「日本人も落ちに落ちた」と罵った識者までいたのである。



確かにコンビニには空っぽの棚が目立つ。スーパーも欠品が多い。何処に行っても手に入らない商品も多くある。納豆が無い。牛乳が無い。水が無い。懐中電灯が無い。電池が無い。納期未定の札が風に舞っている。しかし、こうした目の前の「事実」が何故、そのまま「買い占め」の証拠になるのだろうか。



猿顔女は何故に「買い占めを止めろ」、と真っ先に国民に刃を向けて吠えるのだろうか。それが元々の性分だとしても。それが職掌である「風評被害拡散担当大臣」だから致し方無いと、こちらも諦めるべきなのか。猿が一声「ウッキー」と鳴く時、国民の希望がまた一つ消えていく。



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そもそも津波被害によって工場が壊滅し、入荷しない商品が多いのである。商品そのものではなく、紙パックであるとか、梱包材であるとか、あるいは道路の寸断であるとか、現地のガソリン不足であるとか、様々な原因が重なって、在庫が尽きた商品も多いのである。



加えて、我が国の現在の流通機構は精緻を極めたものであり、我々がレジを通った瞬間に、本店の在庫管理担当にまで、只今の売り上げと在庫の状況が把握されるシステムになっている。従って、通常の状態なら極めて厳密な在庫調整が出来るのである。



例えば、ペットボトルを一本買う人が二本買っただけで、在庫把握は破綻する。棚から商品は消えて無くなる。一日の売り上げと、その傾向は非常に繊細に管理されており、それが故に、無駄な在庫を持たない、不必要な経費を使わない経営が可能なのである。逆に見れば、それだけ有事に弱い脆弱なシステムなのである。



余分な在庫を抱えない、担当大臣の好きな言葉でいえば「一切の無駄を排除した」システムの欠陥を、国民の倫理感の欠如にすり替えて、国民批判を展開するとは、大した度胸である。首都圏で起こった出来事は、元々の入荷困難の状態に、こんな御時世だから、「一本を二本にしよう」といった程度の、精々「買いだめ」「買い増し」の程度の話である。「買い占め」という言葉が相応しいものでは決してない。



勿論、中にはまさに不要不急の商品をカゴ一杯にして、レジを驚かせた人も少しは居るだろう。しかしながら、本来「買い占め」という言葉には、「組織的」という接頭語が附くものである。個人がする買物を、大臣が一々批判の対象にすることが、そもそもオカシイのである。むしろ、そのことが状況を悪化させたのである。



個人であっても買い占めは買い占めだ、困窮する被災地の人達に対して、その不道徳は責められるべきだ、と息巻く前に、現状の流通システムの脆弱性を第一に議論するのが、政府の仕事のはずである。東京都のように、非常用の備蓄を放出すれば、何事も無かったかのように事は収まるのである。





要するに、「買い占め」という言葉の定義が問題である。何をもって「買い占め」と呼ぶのか。昔々、バーゲンといえば百貨店の上階で、主婦達がラグビー選手も顔負けの奪い合いに興じていた。誰が掴んでいる物であっても、引きはがした方が「勝ち」などという凄まじい闘いがあった。「絶対に負けられない闘いがそこにあった」のである。



また、新作ゲームやゲーム機が登場した時には、前夜から並び、整理券を貰ってようやく購入する。しかし、そうした努力を惜しみ、購入直後の人を襲って、引ったくるという犯罪が横行したこともあった。



さて、こうした騒ぎが今回、首都圏の何処であったというのか。納豆や水を巡って、流血の騒ぎが一件でもあったのか。ヤジや怒号が渦巻くスーパーや、従業員が危険を感じるコンビニがあったのか。少なくともそんな話は聞こえてこない。目の前の現象は、そこに空っぽの棚があること、そして瞬く間に入荷した商品が売れていくこと、その二つだけである。しかし、これに「買い占め」という言葉を使うと、他の地域の人は、こうした狂乱状態が実際にあったのかと錯覚するのである。



それは何度も繰り返しているように、ピンポイントで制御された厳密な在庫調整システムの脆弱性である。被災地で繰り広げられているような、ガソリンを巡る本物の窮乏状態ではない。「あ~買えなかったなあ、しばらく待つか」といった程度の、健全な消費者行動に過ぎない。



自分自身で、その意味を全く理解していないにも関わらず、連日連夜「何々シーベルトであり、直ちに問題はない」とコメントして、国民の不安を煽る官房長官と、ホンの瞬間的な在庫調整の不備を殊更に騒ぎ立て、苦悶の表情で首都圏住民を批判する猿顔女と。何もかも他人任せの癖に、その原因は全て自分以外にあるとする天性の性悪人間達である。



首都圏の消費者は、如何にも倫理感に欠けた人達のように報道された。これは明らかに一つの「風評被害」である。首都圏は至って平静である。物が買いにくくなり、照明が落ち、街の活気が若干無くなった程度の話である。それを敵を見付けることに必死な政府が、全てを国民に押し付けて、自らの愚昧を隠そうとしているのである。遂に彼等は最終兵器である「国民批判」を始めた。国民を敵視し、国民に向けて牙を剥いた。



今後電気が不足するごとに、節電が足りない、またまだ意識が足りない、と国民敵視政策のパフォーマンスを続けるのだろう。大量のラーメンを組織として「買い占め」、自党に持ち込んだことを隠しながら。