「夕刻の備忘録」 様のブログより。
自民党が、長く我が国を統治してきたのには、それなりの理由がある。
それは「護る」からである。自民党は護る政党である。
国家を護り、国民を護り、大企業を護り、農民を護り、官僚を護り、政権を護ってきた。時には利権を護り、天下り先を護り、怪しげな人物すら護ってきた。良くも悪くも、自民党は色々なものを護ってきたのである。
そして、その反動で護られなかった人達もいた。忘れられた人達もいた。大きな問題になるまで頬被りをしてきたものもあった。しかし、それでも自民党は「何かを護る政党」であった。自民党が過去に関わった「問題」は全て、誰かを護ろうとした為に生じたものであった。時に大企業の代弁者となり、農家の代弁者となり、官僚の代弁者となって、明快な答えよりは、曖昧な答えを選んで彼等を護ってきた。
それは決して良いことではない。しかし、この人間の社会において、絶対的に悪いことでもない。全てはバランスなのだ。
どんなに工夫しても「誰かが笑い、誰かが泣く」。しかし、これが「誰かが栄え、誰かが滅ぶ」まで行き着けば、やり過ぎだろう。さらに「誰かが残り、誰かが死ぬ」にまで至れば、もはや政治ではない。このバランスを、自民党は曲がり形にも取ってきたからこそ、全体として日本は発展してきたのである。そして細部には問題が残ったのである。
ところで、民主党は何を護る政党なのか。そもそも他者を護る気があるのか。どれだけ探しても、そんなものは見付からない。せいぜい労働組合程度だろう。
彼等は敵を作る政党である。
常に敵を作り、敵を罵倒することだけで政権に就いた。
敵を見出し、相手に纏わり付いては、自分達を上げる。居丈高に振る舞うだけ振る舞って、少しでも立場が悪くなると逃げる。
彼等には敵が必要なのである。自らが正しく、自らが立派であるかの如く偽装する為には、何としても敵が必要なのである。己の能力は大した問題ではない。目の前の敵よりも利口に見えれば、雄々しく見えればそれでいい。中身は要らないのである。
敵を作るだけ作って、最後には逃げる。それは閣僚の答弁を聞いていれば、非常によく分かるだろう。恫喝を繰り返した果てに、一転負けを覚悟すると、詭弁を弄して逃げを打つ。卑怯者の見本市、それが民主党政府である。
最大の敵は自民党であった。悪罵の限りを尽くして、これを葬ろうと画策した。その態度は今も全く変わらない。しかし、政権与党になってまで、「一野党に過ぎない自民党」を罵倒するだけでは、自分達に火の粉が掛かる。よって、新たな敵が必要となった。
それが官僚機構であった。官僚を徹底的に批判し、国家国民の敵であるかの如くに宣伝して、その敵を倒す自分達を誇らしげに語ってきた。中身の無い人間には敵が必要なのである。敵さえあれば、後は田舎芝居だけで乗り切れる。大衆は誤魔化せると信じているのである。
しかしながら、与党になるや否や政権運営の難しさに直面した。ボロが出た、歪みが出て来た。またしても新たな敵が必要となる。そこで自衛隊を敵視した。海保を敵視した。周辺の反日国家に媚びに媚び、その反動を「静かなる愛国者達」に振り向けた。敵が無ければ生きられない、自らの無能がばれてしまう。そんな焦りが、次から次へと繰り返される制度弄り、異様な人事に現れている。
★ ★ ★ ★ ★
それでは今の敵はなんだろう。
地震であり津波である。
原発であり東電である。
反旗を翻し始めた地方自治体である。
そして遂に被災者であり、日本復興を目指す国民自身である。
民主党は明らかに国民を敵視している。
「護る気がない」などという生易しい話ではない。
津波を生き延びた人達が、被災地で亡くなっている。明らかな政治の怠慢である。放射能に、その風評被害に苦しむ人達に、さらに追い打ちを掛けている。
何処の政府が、被爆の恐怖に対して「自主的避難を推奨」などという寝ぼけた発表をするだろうか。完全な責任放棄ではないか。それを堂々と主張する官房長官と、その裏に隠れて茫然自失のまま、地位だけには縋り付く狂った総理。彼等は今、必死になって新しい敵を探しているだろう。この窮地を誰かを助け、誰かを護ることで脱するのではなく、誰かを敵視し、誰かを貶めることで、自分達だけが生き残ろうとしているのである。
これはもはや出自に関わるものである。矯正は不可能である。
確かに自民党には、その長い歴史の中で、色々なものを護って、本来なら護るべきではないものまで自らの利権の為に護ってきた暗い歴史がある。その為に自らが塀の中に落ちた者。党に癒しがたい傷を負わせた者。様々な恥ずかしい歴史がある。しかし、それは一面では「裏切らなかった」ということである。逃げなかったということである。
一方、民主党は誰をも護らない。自分達に都合が悪くなれば、直ぐにでも裏切る。逃げる。嘘を吐く。裏切れないのは支持基盤たる労組だけである。何故なら労組もまた、その内部では常に敵を必要とし、常に誰かを裏切り、その「功績」によって出世を遂げるシステムになっているからである。
労組だけは敵に出来ない。彼等を敵視すると、それは直ちに全面戦争にまで拡がり、瞬く間に、彼等の裏の姿が世間に曝されるからである。彼等の裏切りは壮絶である。それは左翼の歴史を垣間見ればよく分かる。墓場の中まで秘密を守るなどという「美徳」は彼等にはない。日常茶飯事の暴露合戦がこれを証している。
護る自民党と逃げる民主党。
これが巷間「どちらも同じ」と揶揄される政党の、決定的な違いである。
それでもなお、「民主党の方がマシ」と宣う人は、余程「民主党体質」に嵌った人なのだろう。敵を作り、敵を叩いたその挙げ句、一旦形勢不利と見るや一目散に逃げ出す人間が英雄に見える、そんな奇妙な価値観の人なのだろう。
民主党には近づかない方がいい。
民主党支持者にも近づかない方がいい。
何故ならある日突然、あなた自身が敵として認定され、攻撃されるか分からないからである。現実に、官邸は人事と「任命ごっこ」に狂奔して、被災者が放置されているではないか。突然に一家まるごとと死別しなければならなかった人達に、温かい言葉の一つも掛ける能力も意思もなく、ひたすら予算成立の為の駆け引きに興じている連中である。こんな政党を支持する人なら、きっと同じことをするだろう。表現のしようもなく不潔な人達である。
それは「護る」からである。自民党は護る政党である。
国家を護り、国民を護り、大企業を護り、農民を護り、官僚を護り、政権を護ってきた。時には利権を護り、天下り先を護り、怪しげな人物すら護ってきた。良くも悪くも、自民党は色々なものを護ってきたのである。
そして、その反動で護られなかった人達もいた。忘れられた人達もいた。大きな問題になるまで頬被りをしてきたものもあった。しかし、それでも自民党は「何かを護る政党」であった。自民党が過去に関わった「問題」は全て、誰かを護ろうとした為に生じたものであった。時に大企業の代弁者となり、農家の代弁者となり、官僚の代弁者となって、明快な答えよりは、曖昧な答えを選んで彼等を護ってきた。
それは決して良いことではない。しかし、この人間の社会において、絶対的に悪いことでもない。全てはバランスなのだ。
どんなに工夫しても「誰かが笑い、誰かが泣く」。しかし、これが「誰かが栄え、誰かが滅ぶ」まで行き着けば、やり過ぎだろう。さらに「誰かが残り、誰かが死ぬ」にまで至れば、もはや政治ではない。このバランスを、自民党は曲がり形にも取ってきたからこそ、全体として日本は発展してきたのである。そして細部には問題が残ったのである。
ところで、民主党は何を護る政党なのか。そもそも他者を護る気があるのか。どれだけ探しても、そんなものは見付からない。せいぜい労働組合程度だろう。
彼等は敵を作る政党である。
常に敵を作り、敵を罵倒することだけで政権に就いた。
敵を見出し、相手に纏わり付いては、自分達を上げる。居丈高に振る舞うだけ振る舞って、少しでも立場が悪くなると逃げる。
彼等には敵が必要なのである。自らが正しく、自らが立派であるかの如く偽装する為には、何としても敵が必要なのである。己の能力は大した問題ではない。目の前の敵よりも利口に見えれば、雄々しく見えればそれでいい。中身は要らないのである。
敵を作るだけ作って、最後には逃げる。それは閣僚の答弁を聞いていれば、非常によく分かるだろう。恫喝を繰り返した果てに、一転負けを覚悟すると、詭弁を弄して逃げを打つ。卑怯者の見本市、それが民主党政府である。
最大の敵は自民党であった。悪罵の限りを尽くして、これを葬ろうと画策した。その態度は今も全く変わらない。しかし、政権与党になってまで、「一野党に過ぎない自民党」を罵倒するだけでは、自分達に火の粉が掛かる。よって、新たな敵が必要となった。
それが官僚機構であった。官僚を徹底的に批判し、国家国民の敵であるかの如くに宣伝して、その敵を倒す自分達を誇らしげに語ってきた。中身の無い人間には敵が必要なのである。敵さえあれば、後は田舎芝居だけで乗り切れる。大衆は誤魔化せると信じているのである。
しかしながら、与党になるや否や政権運営の難しさに直面した。ボロが出た、歪みが出て来た。またしても新たな敵が必要となる。そこで自衛隊を敵視した。海保を敵視した。周辺の反日国家に媚びに媚び、その反動を「静かなる愛国者達」に振り向けた。敵が無ければ生きられない、自らの無能がばれてしまう。そんな焦りが、次から次へと繰り返される制度弄り、異様な人事に現れている。
★ ★ ★ ★ ★
それでは今の敵はなんだろう。
地震であり津波である。
原発であり東電である。
反旗を翻し始めた地方自治体である。
そして遂に被災者であり、日本復興を目指す国民自身である。
民主党は明らかに国民を敵視している。
「護る気がない」などという生易しい話ではない。
津波を生き延びた人達が、被災地で亡くなっている。明らかな政治の怠慢である。放射能に、その風評被害に苦しむ人達に、さらに追い打ちを掛けている。
何処の政府が、被爆の恐怖に対して「自主的避難を推奨」などという寝ぼけた発表をするだろうか。完全な責任放棄ではないか。それを堂々と主張する官房長官と、その裏に隠れて茫然自失のまま、地位だけには縋り付く狂った総理。彼等は今、必死になって新しい敵を探しているだろう。この窮地を誰かを助け、誰かを護ることで脱するのではなく、誰かを敵視し、誰かを貶めることで、自分達だけが生き残ろうとしているのである。
これはもはや出自に関わるものである。矯正は不可能である。
確かに自民党には、その長い歴史の中で、色々なものを護って、本来なら護るべきではないものまで自らの利権の為に護ってきた暗い歴史がある。その為に自らが塀の中に落ちた者。党に癒しがたい傷を負わせた者。様々な恥ずかしい歴史がある。しかし、それは一面では「裏切らなかった」ということである。逃げなかったということである。
一方、民主党は誰をも護らない。自分達に都合が悪くなれば、直ぐにでも裏切る。逃げる。嘘を吐く。裏切れないのは支持基盤たる労組だけである。何故なら労組もまた、その内部では常に敵を必要とし、常に誰かを裏切り、その「功績」によって出世を遂げるシステムになっているからである。
労組だけは敵に出来ない。彼等を敵視すると、それは直ちに全面戦争にまで拡がり、瞬く間に、彼等の裏の姿が世間に曝されるからである。彼等の裏切りは壮絶である。それは左翼の歴史を垣間見ればよく分かる。墓場の中まで秘密を守るなどという「美徳」は彼等にはない。日常茶飯事の暴露合戦がこれを証している。
護る自民党と逃げる民主党。
これが巷間「どちらも同じ」と揶揄される政党の、決定的な違いである。
それでもなお、「民主党の方がマシ」と宣う人は、余程「民主党体質」に嵌った人なのだろう。敵を作り、敵を叩いたその挙げ句、一旦形勢不利と見るや一目散に逃げ出す人間が英雄に見える、そんな奇妙な価値観の人なのだろう。
民主党には近づかない方がいい。
民主党支持者にも近づかない方がいい。
何故ならある日突然、あなた自身が敵として認定され、攻撃されるか分からないからである。現実に、官邸は人事と「任命ごっこ」に狂奔して、被災者が放置されているではないか。突然に一家まるごとと死別しなければならなかった人達に、温かい言葉の一つも掛ける能力も意思もなく、ひたすら予算成立の為の駆け引きに興じている連中である。こんな政党を支持する人なら、きっと同じことをするだろう。表現のしようもなく不潔な人達である。