「夕刻の備忘録」 様のブログより。
この国難の時期にあって、「与党も野党も関係ない!」という言葉が飛び交って早、10日が過ぎた。この言葉、使う人間の立場によって大いにその意味が変わるのである。
民主党:「与党も野党も関係ない!」
自民党:「与党も野党も関係ない!」
ここまで書けばお分かりになるだろう。
この言葉は絶対多数を持つ与党が言うべきものではない。
衆議院で多数を占める与党は、自分の意志で国政を動かせる。参議院を含めて「ねじれ」ているということは、ここでは関係がない。強い意志さえ示せば、恐らくは国民がこの言葉を叫んで国会の動勢を左右する。従って、民主党がこの種の発言をして、野党を牽制する必要など微塵もない。即ち、民主党関係者が「与党も野党も関係ない」と言う時、それは「黙って民主党に協力しろ」という恫喝なのである。
一方、自民党はこの言葉を震災直後から、様々な場面で使ってきたが、これは「与野党の全面的な協力を確約した」という明確な意味を持つ。政治休戦の印として、その旗を高らかに揚げたという意味である。即ち、自民党関係者が「与党も野党も関係ない」と言う時、それは「一致協力して共に頑張ろう」というエールである。
ネットでもこの言葉をしばしば目にする。与党支持者と野党支持者では、やはり議員と同様のここで述べたような「含み」を持っている。一番の問題は、ここでも「無党派層」である。あるいは政治に絶望したと主張する「絶望層」である。「民主も自民も同じ、国民のことなど露ほども考えていない」と調べもしないで独り嘆く層である。
政治休戦を申込み、国会の休会を提案し、過去の震災対処マニュアルを惜しげもなく開示して、この難局を一緒に切り抜けようと強く主張したのは自民党である。それに対して、民主党はどう答えたか。「余計な提案は要らない」「予算成立が遅れるから休会はしない」「政府の邪魔はするな」である。
余り指摘されていないが、地方議会の多くは今なお自民党が与党である。従って、政府民主党の方針と、自民党のネットワークの両者が噛み合わない限り、具体的に事は進まない。政府の持つ強大な権限をもって、地方行政を指導し、各地域の議員を軸にして救援活動を繰り広げるしか、他に方法はないのである。その為に、その為にこそ、自民党は当初から自党のネットワークを開示して、「如何なる協力も惜しまない」と申し入れたのである。
★ ★ ★ ★ ★
まるで「没落する帝国」の定番ドラマでも見せられているような惨状である。これが現実なのだ、と幾ら自分に言い聞かせても、未だ夢を見ているような錯覚に襲われる。それほどの無能な政府が、今我々の国家を支配している。
彼等がこの震災を「如何に政治的に利用しようと画策しているか」は、その人事を見れば分かる。子供手当を筆頭にするバラマキ予算に対する拘りぶりを見れば、何より明らかである。問責閣僚が直ちに地位を戻すというようなことがあるか。参議院で否決が決まっている法案を、この際だからとネジ込もうとしている。そんなバカな話があるか。
国民の安心安全を横に置き、今まさに生死の分かれ目に居る人達のことも、ものの見事に忘れ去って、どさくさ紛れの火事場泥棒の如き動きをしているのである。誠に残念ながら、こんな時期だからこそ、政権を入れ換えなければならない。そう結論せざるを得ない。確かに一ヶ月を超える政治空白は重大問題である。しかし、一ヶ月後に、今よりも確実に悪くなることが見えているなら、換えるしかないだろう。
俗に「地位は人を育てる」という。
民主党にはこれは当て嵌まらなかった。
有事に突如として覚醒し、素晴らしい働きをする者がいる。
これも残念ながら民主党には当て嵌まらなかった。
国家経営をする能力が無かった。
その可能性すら無かった民主党が、今あらゆる意味でそれを実際に証明した。国民としてこれほど悲しく、情けないことはない。
倒さなければ倒されてしまう。
排除しなければ排除されてしまう。
民主党政権では助かる者も助からない。
今我々に出来る事は、自民党「臨時政府」を応援し、その呼び掛けに応えて、各人の能力に応じた支援を精一杯にやっていくしかないだろう。こちらは確実に動いている。野党という制約の中でも支援の実績を挙げている。
「与党も野党もない」という言葉の後には、本来なら「国家がある」が続くはずである。「国家的危機の前では、与党も野党もない」と補われるべきものである。しかし、国旗国歌を軽視し、国家の概念すら持たない、国籍すら定かならぬ民主党議員には、この言葉の真の意味が理解出来ない、唯々政局に利用しているだけである。まさに「国民の不幸ここに極まれり」である。
民主党:「与党も野党も関係ない!」
自民党:「与党も野党も関係ない!」
ここまで書けばお分かりになるだろう。
この言葉は絶対多数を持つ与党が言うべきものではない。
衆議院で多数を占める与党は、自分の意志で国政を動かせる。参議院を含めて「ねじれ」ているということは、ここでは関係がない。強い意志さえ示せば、恐らくは国民がこの言葉を叫んで国会の動勢を左右する。従って、民主党がこの種の発言をして、野党を牽制する必要など微塵もない。即ち、民主党関係者が「与党も野党も関係ない」と言う時、それは「黙って民主党に協力しろ」という恫喝なのである。
一方、自民党はこの言葉を震災直後から、様々な場面で使ってきたが、これは「与野党の全面的な協力を確約した」という明確な意味を持つ。政治休戦の印として、その旗を高らかに揚げたという意味である。即ち、自民党関係者が「与党も野党も関係ない」と言う時、それは「一致協力して共に頑張ろう」というエールである。
ネットでもこの言葉をしばしば目にする。与党支持者と野党支持者では、やはり議員と同様のここで述べたような「含み」を持っている。一番の問題は、ここでも「無党派層」である。あるいは政治に絶望したと主張する「絶望層」である。「民主も自民も同じ、国民のことなど露ほども考えていない」と調べもしないで独り嘆く層である。
政治休戦を申込み、国会の休会を提案し、過去の震災対処マニュアルを惜しげもなく開示して、この難局を一緒に切り抜けようと強く主張したのは自民党である。それに対して、民主党はどう答えたか。「余計な提案は要らない」「予算成立が遅れるから休会はしない」「政府の邪魔はするな」である。
余り指摘されていないが、地方議会の多くは今なお自民党が与党である。従って、政府民主党の方針と、自民党のネットワークの両者が噛み合わない限り、具体的に事は進まない。政府の持つ強大な権限をもって、地方行政を指導し、各地域の議員を軸にして救援活動を繰り広げるしか、他に方法はないのである。その為に、その為にこそ、自民党は当初から自党のネットワークを開示して、「如何なる協力も惜しまない」と申し入れたのである。
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まるで「没落する帝国」の定番ドラマでも見せられているような惨状である。これが現実なのだ、と幾ら自分に言い聞かせても、未だ夢を見ているような錯覚に襲われる。それほどの無能な政府が、今我々の国家を支配している。
彼等がこの震災を「如何に政治的に利用しようと画策しているか」は、その人事を見れば分かる。子供手当を筆頭にするバラマキ予算に対する拘りぶりを見れば、何より明らかである。問責閣僚が直ちに地位を戻すというようなことがあるか。参議院で否決が決まっている法案を、この際だからとネジ込もうとしている。そんなバカな話があるか。
国民の安心安全を横に置き、今まさに生死の分かれ目に居る人達のことも、ものの見事に忘れ去って、どさくさ紛れの火事場泥棒の如き動きをしているのである。誠に残念ながら、こんな時期だからこそ、政権を入れ換えなければならない。そう結論せざるを得ない。確かに一ヶ月を超える政治空白は重大問題である。しかし、一ヶ月後に、今よりも確実に悪くなることが見えているなら、換えるしかないだろう。
俗に「地位は人を育てる」という。
民主党にはこれは当て嵌まらなかった。
有事に突如として覚醒し、素晴らしい働きをする者がいる。
これも残念ながら民主党には当て嵌まらなかった。
国家経営をする能力が無かった。
その可能性すら無かった民主党が、今あらゆる意味でそれを実際に証明した。国民としてこれほど悲しく、情けないことはない。
倒さなければ倒されてしまう。
排除しなければ排除されてしまう。
民主党政権では助かる者も助からない。
今我々に出来る事は、自民党「臨時政府」を応援し、その呼び掛けに応えて、各人の能力に応じた支援を精一杯にやっていくしかないだろう。こちらは確実に動いている。野党という制約の中でも支援の実績を挙げている。
「与党も野党もない」という言葉の後には、本来なら「国家がある」が続くはずである。「国家的危機の前では、与党も野党もない」と補われるべきものである。しかし、国旗国歌を軽視し、国家の概念すら持たない、国籍すら定かならぬ民主党議員には、この言葉の真の意味が理解出来ない、唯々政局に利用しているだけである。まさに「国民の不幸ここに極まれり」である。