テロよりデモ。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








【from Editor】




「イラクで抗議デモ?」。民主化を求める民衆デモでチュニジアとエジプトの独裁的な政権が倒れ、もっと質(たち)の悪いカダフィ氏の強権支配が続いたリビアが内戦状態に陥りつつあった先月25日夜、イラクからのニュースに思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 2003年のイラク戦争開戦で独裁者、サダム・フセインが政権の座を追われた後、何年も血生臭いテロの嵐が吹き荒れてきたイラク。最初は政権崩壊で少数派に転落したイスラム教スンニ派住民の“抵抗運動”として戦闘が続き、そこにイスラム過激派が入り込みテロが激化。さらに治安機関に浸透したイスラム教シーア派民兵がスンニ派住民を粛清するなどの暴力的な宗派抗争へと発展した。

 それがようやく落ち着いてきたのはこの2~3年のことで、イラクのニュースは残念ながらいまもテロ絡みのものが多い。エジプトの民衆デモに倣ったかのように「怒りの日」と銘打った抗議行動がイラクに降って湧いたことは、逆に新鮮な驚きだった。

 現地からの報道によると、人々は政府の汚職追放や生活改善を訴え、一部にはマリキ首相の退陣を求めるスローガンも叫ばれたという。デモは首都バグダッドをはじめ、北部モスルや南部バスラなど全国17都市に広がり、治安部隊との衝突で計15人が死亡した。

バグダッドでは、“エジプト革命”の震源地と同じ名称の「タハリール(解放)広場」に集まった数千人が政府機関のあるグリーンゾーン(旧米軍管理区域)に向けて進み、治安部隊に阻止された。中東の衛星テレビ局の映像をみると、その激しさは平和的だったエジプトの比ではなかった。

 ただ、今回の現象が大きく異なるのは、かつてイラクに特徴的だった宗派や民族による「縦割り」の勢力争いではなかったという点だ。17もの都市でデモが起きたことが、それを物語っている。

 何年たっても続く停電や断水、戦後復興にかこつけて私腹を肥やす一部の政治家…。死傷者が出たのは痛ましいが、宗派を問わず民衆が政府の非効率や腐敗に声を上げ始めたことは、これまでイラクの政治に欠けていた「政策論争」の萌芽(ほうが)だともいえるだろう。

 デモは小規模になったが、今月4、7両日も続き、政権側はデモに関与した2つの小政党に事務所閉鎖の圧力をかけている。反米強硬派のシーア派指導者と手を結んでまで政権維持を図ろうとする首相に国民の声は届くのだろうか。


                                (外信部長 村上大介)