【正論】京都大学教授・中西寛
中東の激動によって記憶が薄れているかもしれないが、1月の胡錦濤中国国家主席の訪米は、米中関係にとってはもちろん、国際政治にとっても、一つの区切りとして意味を持つものだった。
2009年、世界経済危機の進行中に発足したオバマ米政権は、米国の一極優位という認識を改め、新興国を含めた新たな多国間主義を指導することで外交の立て直しを図った。それを象徴するのが対中協調路線であり、中国の成長力に頼り、また中国が米国債の最大の購入者になったという現実を背景に、オバマ大統領は「他のいかなる二国間関係にも劣らず重要」という慎重な表現ながら米中関係重視の姿勢を示した。
しかし09年末のオバマ訪中、コペンハーゲンでの気候変動会議(COP15)のころから米中関係はほぼ一本調子で悪化した。
≪関係悪化止めただけの胡訪米≫
グーグル問題や米国の台湾への武器売却、中国の南シナ海や東シナ海での海洋活動、尖閣問題で見せた強硬な態度、ノーベル平和賞を受賞した中国人権活動家、劉暁波氏の扱いに示された自由に対する規制といった、中国の非妥協的姿勢が要因として大きいが、人民元レートや対中貿易赤字に対するアメリカ側のいらだちも背景にあった。胡主席の訪米は、米中関係の持続的な悪化傾向に歯止めをかけたということができる。
米中両首脳とも最も気を使ったのは国内向けの演出だった。米国は、ゲーツ国防長官やガイトナー財務長官が中国の軍事動向や人民元政策を批判して米国内の「対中弱腰」批判をかわした上で、航空機など450億ドルもの買い物を中国にさせて共和党や実業界の歓心を買った。胡主席は、国賓待遇、オバマ氏らとの少人数の夕食会への招待など、一目置かれる指導者としての扱いを受け、来秋の習近平体制への移行を前にレームダック化することを回避した。
とはいえ具体的成果は少なかった。「(米中)G2なるものは存在しない」とのクリントン国務長官の事前の演説が、過度の期待も脅威感も回避しようとする今の米中関係を象徴していよう。
≪世界はパイロット不在状態?≫
「G2」論の後退とほぼ同時に「G0(ゼロ)」という言葉が使われ始めた。世界を制御しているのは、日米欧先進7カ国のG7ではもちろんなく、主要20カ国のG20でもG2でもなくて、誰もいない。世界は操縦者不在の状態に陥っているというのである。確かに昨秋の内部告発サイト、ウィキリークスによる米外交公電の大量漏洩(ろうえい)は、インターネット時代の政府の情報管理がいかに困難になっているかを如実に示した。そして中東で展開している変革のうねりは「G0」と呼ぶにふさわしく誰も事態を制御できていない。
こうした中東の情勢がアジア、特に中国に波及するだろうか。明らかに中国政府はそれを恐れているし、その恐れには根拠がある。中国の都市部の不動産価格の高騰は著しく、バブルと呼んでよいであろう。これが崩壊したとき、どの程度の衝撃となるかは分からない。加えて、世界的な食料価格や石油価格の上昇は、所得の低い階層の生活水準を圧迫する。
だが、7000万人の党員を有する共産党の政権基盤はそれなりに強固で、軍に対する統制も効いている。問題は主要都市の中間層が現状にどの程度の不満を抱き抗議行動に出るかどうかだろうが、政府が中東での大政治変動の波及を極度に警戒し、監視を厳しくしている限り、同じ事態が中国で起こる可能性は低いだろう。
≪北崩壊前に日本こそ政府不在≫
むしろ注意すべきは北朝鮮だ。北朝鮮の内部のことはもちろん分からないが、水面下で携帯電話が普及しているという説もあり、何らかのきっかけで体制崩壊が起きる可能性は排除できない。
問題となるのは、北朝鮮の体制に動揺が生じた場合の対応である。これまでは米中をはじめとする周辺・関係国が北朝鮮の非核化とソフトランディングという基本的利害を共有して協力することが前提とされてきた。
しかし、昨年の北朝鮮による韓国哨戒艦「天安」撃沈、韓国・延坪島砲撃の際の対応を見ると、中国は北朝鮮の体制維持により強い関心を示しているように見える。北朝鮮の体制不安定化が始まった場合、米中が競合して影響を及ぼそうとすれば、韓国の国内にも路線対立が生じ、東アジア全般の不安定要因となりかねない。
世界の政治経済状況が混沌としてきた現在、米中をはじめ各国は大胆な行動を控えてアンテナを張り巡らせ、様々な事態への対応を準備しているように見える。日本も、政府レベルで様々なシナリオへの対応策を用意しておかねばならないはずだ。
しかし、昨年の数々の外交案件にもかかわらず、年が替わると、日本人は国際関係のことは忘れてしまい、国内政争に心を奪われているようだ。世界から見れば、東アジアの「G0」状況の典型は、中国でも北朝鮮でもなく、日本だと映るのではなかろうか。(なかにし ひろし)