待望される真の賢人。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【古典個展】立命館大教授・加地伸行



春-日本は選挙の季節となる。独裁者や独裁党に苦しめられている諸国と比べて、どれほど幸せか、それをまず思うべきであろう。

 「選挙」ということばは中国で生まれたのだが、もとは民主主義としての意味はない。行政官僚を「選」出し、「挙」用するという意味である。もちろん、その選挙は人材抜擢(ばってき)を目的とするので、公平な試験制度となっていった。その極致が科挙(科ごとの選抜試験)である。

 この「選挙」ということばがデモクラシーの手段である投票の訳語として使われるようになった。だからであろうか、選挙によって人材の発掘や抜擢をするという了解が伝統的にあると言っていいだろう。

 その発掘や抜擢についての古人のことばを探(さぐ)ってみよう。

 世は人材不足と言う。本当なのか。逆だと思う。世の方が人材を見る目がないことが多いのではないか。民主党に政権を与えたのはその典型。しかし、世にすぐれた人材は必ずいる。それを見る目を養うことが大切なのである。「十歩の間(かん)[だけでも]、必ず茂草(もそう)(繁茂した青草)あり。十室(十軒かそこら)の邑(ゆう)(村落)、必ず俊士(しゅんし)(すぐれた人)あり」(『潜夫論』実貢篇)。

 ところが、「賢人は妄(みだ)らず(軽挙妄動しない)」(『孔子家語』弟子行篇)-そのため、世に見えにくいのである。「海兵隊は抑止力と言ったのは方便」だの、「子ども手当2万6000円に驚いた」だのとの軽々しい妄言首相の世の中である。

 その民主党内に、離党せず別会派を作り、賢人めかして正義派面(づら)している16人がいる。いかにも小粒の小道徳論者。こういうのを「小謹(しょうきん)」と言うが、「小謹の者は[事を]成すなし」(『淮南子』氾論訓)。

 それだけに、真の賢人こそ待望される。地球を見れば、中東諸国をはじめとして安定している国は少ない。世の中、「常安(じょうあん)(常に安定)の国なく、恒治(こうち)の民(秩序ある人民)なし」、だからこそ「賢を得(う)れば、則(すなわ)ち昌(さか)(栄)え、賢を失えば、則ち亡(ほろ)ぶ」(『韓詩外伝』巻五)。

 さて賢人であるが、その才能を買うのか、人格を取るのか、なかなか判断がつかない。その分別が難しい。「才と徳(人格)とは異(こと)なり。世俗[の人は]之(これ)を能(よ)く辨(べん)(分別)ずるなし。通じて(ごっちゃにして)之を賢と謂(い)う」、しかし危ない。「此(こ)れ、其(そ)の人を失(しっ)する所以(ゆえん)(原因)なり」(『資治通鑑』周紀一)。

 しかし、緊急のときは、人格よりも才能を取ることであろう。求める良剣とは何か。「良剣は[物を]断(た)つを期す。●★(ばくや)(名剣の名)を期せず」(『呂氏春秋』察今篇)。ここが泣きどころ。そこで古人は、まず「乱世には、惟(た)だ其の才を求むるのみにして、其の行(おこな)い(徳行)を願わず」ときた。しかし、「太平の時は、必ず才・行(こう)倶(とも)に兼ぬる[人物]を須(もと)めて、始めて任用すべし」(『貞観政要』択官篇)と言う。

 現代日本を乱世と見るか、あるいは太平と見るか、それは個人が判断するほかない。

 孔子は弟子に「賢才を挙げよ」と教えたが、その方法を問われ、まず「爾(なんじ)の知る(判断する)ところ(相手)を挙げよ」、そうすれば人々が賢才を推薦してくると答えたのであった(『論語』子路篇)。(かじ のぶゆき)

●=金へんに模のつくり

★=金へんに邪