「黒田裕樹の歴史講座」 より。
戦争に負けた国の当時の最高権力者が直(じか)に国民に会うことはもちろん、まして励ますなど世界の常識では考えられないことでした。先述(せんじゅつ)したように、戦争に敗北した国の元首の最期は大抵(たいてい)が悲惨(ひさん)なものであり、またその血は断絶して新しい王朝が誕生するのが普通だったからです。
それだけに、陛下のご巡幸の計画を聞いたGHQも、当初(とうしょ)は「天皇の意図(いと)がわからない」と怪(あや)しみましたが、やがて一つの確信を得るに至って、敢(あ)えて許可したのでした。
「ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだから、旅先で石のひとつでも投げられればいいのさ」
「ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背(ねこぜ)の小男(こおとこ)であるということを日本人に知らしめてやる必要がある。神さまじゃなくて人間だ、ということをね」
「それこそが生きた民主主義の教育というものだよ」
GHQの役人たちには、昭和天皇がご巡幸によって多くの国民から無視され、蔑(さげす)まれ、疎(うと)まれ、あるいは暴力をもって迎えられるといった惨(みじ)めな姿しか想像できませんでした。しかし、彼らの期待は別の意味で大きく裏切(うらぎ)られることになるのです。
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