「夕刻の備忘録」 様のブログより。
未だ多くの国民は敵を探しているようである。そして見付けた敵の、その反対側の勢力に加担しようとする。「敵の敵は味方だ!」と無邪気に信じているようである。
自民党を敵視して民主党に投票した。今度は民主党を敵視して、「みんな」や民主党マニフェスト派を支持しようとしている。官僚を敵視して蓮舫になびき、鳩山を敵視して菅を持ち上げ、菅を敵視して小沢に縋る。税金を敵視して、河村に橋下に隙を突かれる。これ皆すべて二者択一である。敵を探し、あるいはマスコミに「ここに敵が居ますよ!」と煽られ、深い考えもなしに、祭に参加してしまう人達である。
そうした人に対処することは実に難しい。体験的に有効だった方法は、支持の根拠を聞き出す方法である。そして、大抵の人がはじめる「マスコミの受け売り話」を最後まで聞いたその後で、おもむろに「本当に、あなたはそう思いますか?」と念を押すのである。
「本当に」の部分をいささか強調しながら、こう聞いてみて欲しい。この段階で黙り込む人がかなりいる。その感触が好ければ「ネットで簡単に見られるから、国会中継を一度見て欲しい。新聞やテレビの切り貼り報道とは違って、全体を見ると全く印象が変わるから是非!」と持ち掛けてみて欲しい。「深夜三時の国会でも二万五千人が見ているよ」と誘って欲しい。
あなたなら、彼等を二者択一の泥沼から救い出せるかもしれない。
マスコミと日教組の悪影響だろう。有識者と呼ばれる連中が、全くの「無識者」であることも関係しているであろう。我が国には光の速さで付和雷同する人が多い、多すぎる。
河村・大村を支持する人の「意見」を聞いていると、頭が痛くなる。「それはホンの数分前に、あなたが否定していた政治家そのものですよ!」と言いたくなる。彼等は留まることなく、誰かの受け売りを続け、敵を見出し、その反対勢力を味方と信じてそれを賛美してはバランスを取っている。実際には、それこそが自らの精神のバランスを狂わせている元凶なのであるが。
今一番恐ろしいのは、国民の政治離れではなく。志ある人の政治家離れ、即ち、雄偉の人材が政治の世界を目指さなくなることである。民主党の党を挙げての無能ぶりをよく知っている人は、己の虚無感に酔い痴れることの無い人は、よく知っている筈だ。
もしも自民党が日本から消えたら、一体どうすればいいのか、と。
この一年半の間、政界に注目してきた人なら、自民党議員と民主党議員の圧倒的な力の差を知っている筈である。民主党は自民党が存在するからこそ、今ここに居るのである。何しろ与党になった今でさえ、自民党批判だけでメシを食っているのである。なんと与党が審議拒否をしているのである。自民党が無くなれば、民主党も直ちに溶けて無くなるであろう。所詮は万年野党がお似合いなのである。彼等に「主体的に生きる」などという高度な知的生活は出来ないのである。
官僚批判も結構だが、余りに度が過ぎると、誰もそれを目指さなくなる。親・兄弟・親戚が、「批判されるだけだからお止めなさい」と止めに入る。その結果、誇りを持って公務員の職務に殉じる人間が居なくなる。気付いている人も多い筈だ。
もしも公務員が日本から消えたら、一体どうすればいいのか、と。
我々国民は敵を教えられ、敵の敵は味方だと勝手に信じ、条件反射的にニューフェイスに喝采を送るという愚かな態度を改めねばならない。「どっちもどっち」論の主張者には、その愚劣さを指摘せねばならない。決断とは、安易な二者択一に身を任せることではないのである。
「パンとサーカス」の政治から脱却せねばならない。パンとは食事であり、サーカスとは娯楽の意味である。国民を愚弄する政治の代名詞である。しかし、昨今は政治そのものをサーカス化させて、如何にも政治的な問題を議論しているような錯覚を国民に与えている。それがさらなる頽廃を招いている。新たなサーカスの告知に忙しい「道化師政治家」を葬らなければならない。マスコミを解体しなければならない。
先日、リビア情勢を伝えるNHKの報道番組では、「リビアの国営放送が、和やかに買い物をする市民の姿を映していた」と報じていた。そして、「一方こちらが同じ頃の首都近郊で行われた銃撃戦の様子です」と得意気に話していた。社屋の目の前、渋谷の五千人デモを一切報道せず、半島ドラマの宣伝とパチンコの擁護に忙しいNHKが、よくもリビアの国営放送を揶揄出来たものだ。
真の敵はマスコミである。マスコミを利用し、利用される政治家である。大根役者の田舎芝居に騙されるのは、もうそろそろ止めようではないか。この一ヶ月、徹底的に民主党を監視しよう。マスコミの扱いを調査しよう。その傲慢、捏造は一段と激しく凄まじくなっている。参議院質疑の真実を我々の手で広報しようではないか。
本日のオマケ:
ピンと来た、その下品さは安住だな!
自民党を敵視して民主党に投票した。今度は民主党を敵視して、「みんな」や民主党マニフェスト派を支持しようとしている。官僚を敵視して蓮舫になびき、鳩山を敵視して菅を持ち上げ、菅を敵視して小沢に縋る。税金を敵視して、河村に橋下に隙を突かれる。これ皆すべて二者択一である。敵を探し、あるいはマスコミに「ここに敵が居ますよ!」と煽られ、深い考えもなしに、祭に参加してしまう人達である。
そうした人に対処することは実に難しい。体験的に有効だった方法は、支持の根拠を聞き出す方法である。そして、大抵の人がはじめる「マスコミの受け売り話」を最後まで聞いたその後で、おもむろに「本当に、あなたはそう思いますか?」と念を押すのである。
「本当に」の部分をいささか強調しながら、こう聞いてみて欲しい。この段階で黙り込む人がかなりいる。その感触が好ければ「ネットで簡単に見られるから、国会中継を一度見て欲しい。新聞やテレビの切り貼り報道とは違って、全体を見ると全く印象が変わるから是非!」と持ち掛けてみて欲しい。「深夜三時の国会でも二万五千人が見ているよ」と誘って欲しい。
あなたなら、彼等を二者択一の泥沼から救い出せるかもしれない。
マスコミと日教組の悪影響だろう。有識者と呼ばれる連中が、全くの「無識者」であることも関係しているであろう。我が国には光の速さで付和雷同する人が多い、多すぎる。
河村・大村を支持する人の「意見」を聞いていると、頭が痛くなる。「それはホンの数分前に、あなたが否定していた政治家そのものですよ!」と言いたくなる。彼等は留まることなく、誰かの受け売りを続け、敵を見出し、その反対勢力を味方と信じてそれを賛美してはバランスを取っている。実際には、それこそが自らの精神のバランスを狂わせている元凶なのであるが。
今一番恐ろしいのは、国民の政治離れではなく。志ある人の政治家離れ、即ち、雄偉の人材が政治の世界を目指さなくなることである。民主党の党を挙げての無能ぶりをよく知っている人は、己の虚無感に酔い痴れることの無い人は、よく知っている筈だ。
もしも自民党が日本から消えたら、一体どうすればいいのか、と。
この一年半の間、政界に注目してきた人なら、自民党議員と民主党議員の圧倒的な力の差を知っている筈である。民主党は自民党が存在するからこそ、今ここに居るのである。何しろ与党になった今でさえ、自民党批判だけでメシを食っているのである。なんと与党が審議拒否をしているのである。自民党が無くなれば、民主党も直ちに溶けて無くなるであろう。所詮は万年野党がお似合いなのである。彼等に「主体的に生きる」などという高度な知的生活は出来ないのである。
官僚批判も結構だが、余りに度が過ぎると、誰もそれを目指さなくなる。親・兄弟・親戚が、「批判されるだけだからお止めなさい」と止めに入る。その結果、誇りを持って公務員の職務に殉じる人間が居なくなる。気付いている人も多い筈だ。
もしも公務員が日本から消えたら、一体どうすればいいのか、と。
我々国民は敵を教えられ、敵の敵は味方だと勝手に信じ、条件反射的にニューフェイスに喝采を送るという愚かな態度を改めねばならない。「どっちもどっち」論の主張者には、その愚劣さを指摘せねばならない。決断とは、安易な二者択一に身を任せることではないのである。
「パンとサーカス」の政治から脱却せねばならない。パンとは食事であり、サーカスとは娯楽の意味である。国民を愚弄する政治の代名詞である。しかし、昨今は政治そのものをサーカス化させて、如何にも政治的な問題を議論しているような錯覚を国民に与えている。それがさらなる頽廃を招いている。新たなサーカスの告知に忙しい「道化師政治家」を葬らなければならない。マスコミを解体しなければならない。
先日、リビア情勢を伝えるNHKの報道番組では、「リビアの国営放送が、和やかに買い物をする市民の姿を映していた」と報じていた。そして、「一方こちらが同じ頃の首都近郊で行われた銃撃戦の様子です」と得意気に話していた。社屋の目の前、渋谷の五千人デモを一切報道せず、半島ドラマの宣伝とパチンコの擁護に忙しいNHKが、よくもリビアの国営放送を揶揄出来たものだ。
真の敵はマスコミである。マスコミを利用し、利用される政治家である。大根役者の田舎芝居に騙されるのは、もうそろそろ止めようではないか。この一ヶ月、徹底的に民主党を監視しよう。マスコミの扱いを調査しよう。その傲慢、捏造は一段と激しく凄まじくなっている。参議院質疑の真実を我々の手で広報しようではないか。
本日のオマケ:
ピンと来た、その下品さは安住だな!