GHQ占領政策の呪縛。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






【解答乱麻】元高校校長・一止羊大



 国旗の前での起立などを求めた都教委の通達に反対する先生が起こした裁判で、東京地裁は平成18年、原告の主張をほぼ全面的に認める判決を出した。あのとき私は、今でもGHQ(連合国軍総司令部)によって植え付けられた自虐史観に立って判断する裁判官がいたのかと驚き、腹立たしい思いがしたものだ。

 今年1月28日の東京高裁判決は右の1審判決を取り消し、原告の請求を棄却した。ホッと一息つく思いだが、喜んでばかりもいられない。際限なく繰り返されるこのような国旗国歌を巡る喧噪(けんそう)は、わが国の学校教育があの忌まわしい占領政策の呪縛からいまだに抜け出していないことを表象するものであるからだ。

 戦後の学校では、占領政策の影響を受けて日本の歴史を暗黒に塗りつぶして教えることが一つの潮流になった。日本を貶(おとし)める教育が連綿と受け継がれ、自分の国を「侵略国家」と呼ぶ先生をたくさん作り出してきた。そんな先生たちは、愛国心を嗤(わら)い、学習指導要領や法令を守らず、校長の指示命令にも従わず、国旗掲揚や国歌斉唱に目の色を変えて反対する。平成11年には、連日責められて自殺した校長もいたほどだ。

 この傾向は今も本質的に変わらない。たとえば、北海道教職員組合日高支部は昨年春、小中学校の卒業式・入学式で国旗国歌を排除するために『「日の丸・君が代」強制に反対するとりくみについて』と題する『闘争マニュアル』を配布していたことが話題になったし、大阪府立高等学校教職員組合も『「日の丸・君が代」問題討議資料』を公表し、国旗国歌に反対する取り組みを強化する姿勢を鮮明にしている(詳しくは拙著『反日教育の正体』参照)。

世間では、そのような先生は一部に過ぎないと思われているかもしれないが、現実はそう甘くない。こと国旗国歌の問題になると話は別なのだ。組合に入っていない先生や、指導に熱心ないわゆる「慕われている先生」でも、入学式や卒業式などで国歌を斉唱する先生は極めて少ないし、国旗国歌の指導をまともに行うこともほとんどない。そのため、児童・生徒の多くは国歌を歌わないし歌えない。これが実態である。

 大阪府教育委員会などは、入学式や卒業式の国旗掲揚、国歌斉唱の実施率は今や100%だと公言している。しかしこれは実態に目をつぶって作り出された偽りの数字である。国旗が掲揚され国歌が流れているという形さえ整っていれば、指導や斉唱の事実がなくても「実施した」ことにしているだけのことである。

 このような「戦後教育」の潮流は、年月をかけて多くの日本人から「国家観」や「愛国心」を喪失させてしまった。そして今や、国旗国歌法の制定に反対した人たちが首相や国務大臣になっているという異常な事態まで生み出すに至っている。

 問題の本質は底知れぬほど深刻だが、私たち国民はこのことにあまりにも無頓着のようである。占領政策の呪縛もここに極まった観があるが、嘆いていても始まらない。できることから日本の誇りを取り戻す行動を起こし、占領政策の呪縛から学校教育を解き放すことが必要だ。

 そこで一つ提案だが、祝日に国旗を掲揚するという一昔前には当たり前だったことを各家庭で復活させてはどうだろう。学校再生を促す上で大きな力になると思うのだが…。

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【プロフィル】一止羊大

 いちとめ・よしひろ(ペンネーム) 大阪府の公立高校長など歴任。著書に『学校の先生が国を滅ぼす』『反日教育の正体』。