言葉をもてあそび混迷を深めるな。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





【安藤慶太が斬る】



 高校無償化に朝鮮学校を適用対象にするか。前回に続けてこのテーマで書くことにした。政府の対応が場当たり的で、支離滅裂と前回書いたのだが、衆議院の予算委員会で自民党の下村博文氏がこの問題を取り上げ、政府の対応を質したのである。そこで今回は趣向を少し変えて委員会質疑を再現しながら政府の対応を改めて考えてみたい。




矛盾だ!



 下村「昨年四月から高校無償化法案を政府は導入をした。しかし、どう見ても、朝鮮学校に対しては無償化対象になる理由が政府も見つけられない。検討会をつくって、検討会の中で、その基準の中で書類を出すことになった。

 ところが昨年の11月23日、北朝鮮の韓国・延坪島砲撃が起き、これで無償化手続を停止した。政府の説明は二転三転し、理由もそのときごとに説明が変わっている。まず、この無償化手続を停止した理由を文科大臣にお聞きする」

高木義明「北朝鮮による砲撃の事態は、我が国など北東アジアの平和と安全を損なう事態であり、国を挙げて情報の収集に努めた。不測の事態に備えた緊急の対応で、総理の指示で手続を停止した」

 文部科学省は、朝鮮学校に適用するかどうかの判断は教育的な観点のみで行うとしていた。拉致問題や外交判断などを絡めないというものだった。ところが砲撃で手続を止めた。これは国の安全保障上の判断なのか。外交上の判断なのか。いずれにしてもこれまでの説明と異なる。矛盾ではないか、どうなっているんだと追及の対象となったわけである。


場当たり



下村「外交上の判断で無償化手続を停止したということですね」


高木「我が国や国際社会にとって全く予想できない砲撃だった。我が国の平和と安全、まさに国家の存立を脅かす、そういう事態だった。

 そういう事態の中で、手続の審査をするという環境にあるのかどうか。やはり、審査としては、静ひつな状況の中でしっかり審査をしなきゃならない。しかし、そういう異常な事態の中で、これは大変なことだと思った」


下村「大変なことというのは、つまり、外交、安全保障上大変な問題だということで手続を停止したということか」


高木「不測の事態に備えて、大変な状況になるであろう、私はそう判断をして、重大な決意をしなくてはならないと言った」


下村「結局、対応は場当たり的なんですよ。朝鮮学校の指定について、外交上の配慮で判断すべきではない、教育上の観点から判断すべき、こうずっと政府は言い続けてきた。しかし、実際は、外交上のこうした事件が起きて無償化手続の停止をしたわけで、これは撤回してください」


高木「撤回する考え方はない。今回の措置は、これまでの外国人学校の取り扱いについての考え方と決して矛盾はしていない、と私はこのように思っている」

 

「昨年の11月23日の北朝鮮の砲撃後、総理の指示で手続をいったん中止した。国家の存立にかかわる事態であり、手続が正常にやれるのかどうか、という懸念もあった。一方、外国人学校の指定の可否の審査について、これは、外交上の配慮により判断すべきではなく、教育上の観点から判断すべきとの基本的考えで行う。これは現在も変わっていない」




なぜいわぬ外交上の判断


 

 高木文科相は「外交上の判断」でした、という言及を避けている。枝野幸男官房長官が答弁する。

 「審査が行われた場合、どういう基準で審査が行われるのか。これは外交上の判断ではなくて教育上の判断で行う。このことは変わっていない。

 ただ、その判断をどういうタイミングでどう行うのか。これについては、砲撃事件を受けて、不測の事態も予想されることから、手続をいったんとめたということ。

 例えば、入学試験の合否判断は、天候とか交通状況で左右されるものではないが、入学試験そのものが大雪とか交通障害によってスタートの時点が変更になるということはある。だからといって、そういったことで入学試験が左右されるわけではない」


どうなのだろう


 どうなんだろう、この喩え話。この説明を聞いて、ジョージオーウェルの動物農場の最後の場面が頭をよぎった。動物農場の指導者、ナポレオン(豚)が独裁体制を築いたあと動物農場に「全ての動物は平等である」と掲げられていたスローガンをいつのまにか修正して「全ての動物は平等である。しかし、ある種の動物は他の動物よりもっと平等である」としたという話だ。

 政府は審査と審査前を突然分け始めたのである。審査は教育上の観点のみで行う。でも審査前の手続であって審査ではない。だから砲撃で止めたのだ、ということである。

 それは外交的な判断に他ならないのだが、断固としてそうもいわない。


国民の生命を守るために朝鮮学校の手続を止めた


枝野「近隣で、砲撃事件が生じたことで、我が国内にどういう事態が生ずるか、全く予測がつかない。そうした中で、政府としては、情報収集に万全を期し、さまざまな観点から不測の事態に備えて、国民の生命と財産を守るために、あらゆる不測の事態に備えて、そして、この万全な体制をとるという観点から、手続については、そうしたリスクが少なくとも砲撃事件の前の状況まで下がるまで手続をとめるという判断をした」

 外交的な判断ではないのだよ、あくまで国内で不測の事態が起きるかも知れない、国民の生命と財産を守るために止めたのだよ、あくまで止めたのは国内の問題なんだよ、と言いだしたわけだが「そういうのを世間一般で外交的配慮と言う。今までの政府見解をこれは破ることになるから、強引に、だれが見ても詭弁で通そうとしているとしか見えない」(下村氏)。僕もそう思う。




不測の事態って何よ


 

 ところで何をどう聞いても、判を押すように飛び出す「不測の事態」という文言、これって具体的に何を指すのだろう。また政府はちゃんとこうした文言の意味や法制的な詰めをしていないかもしれない。

 北朝鮮からミサイルが飛んでくる恐れがある状態を指すのだろうか。朝鮮半島には日本を射程に収めたミサイルが多数配備されていたし、今もされている。日本に飛んでくる恐れは否定できないが、そうした状況自体は砲撃で突然生まれたわけでもない。それに北朝鮮や朝鮮総連、これと朝鮮学校は関係ないという立場に日本政府が立つなら、手続は粛々と進めるべきだというのが筋だろう。文部官僚もそういう関係自体が文部科学省としてはどうなのか、分からないというのであれば、無責任に放置せずに、きちんと調べたうえで話を始めるべきだった話である。




不測の事態とは


 

 また不測の事態という言葉が朝鮮総連が国内で暴動を画策したり、基地周辺の国防施設で自衛隊や在日米軍の活動の妨害、ライフラインの破壊、情報収集など我が国の治安を脅かす恐れがあるという意味ならどうなのだろう。朝鮮総連の影響を受けている朝鮮学校も目が離せない、というのであれば、これはまず朝鮮学校に朝鮮総連との関係を断ち切ってもらわねば困る話だ。というか、そのことをまずもって国民の前に明らかにすべきだし、それを伏せて無償化の適用などとんでもない話だ。朝鮮学校の認可自体から問い直すべき話でもある。




あやふやな再開条件


 

 いうまでもなく、我が国の治安当局は不測の事態の定義が何であれ、朝鮮総連はもちろん、朝鮮学校の不穏な動きには目を光らせているはずである。北朝鮮や朝鮮総連、これと朝鮮学校が関係ないという立場に日本政府は立てないし、立っていないのである。

 何を指すのかよく分からないのは「不測の事態」だけではない。「手続再開の条件」が何かというのも同様である。


下村「それでは、手続再開の条件を聞きます」


高木「手続再開の条件につきましては、朝鮮半島をめぐる情勢、今後の事態の推移を見る、それで総合的に判断することになります」

 

 完全な外交マターである「朝鮮半島情勢」を総合的に誰が判断するのだろうか。文部官僚か?高木文科相か?前原誠司外相か?それとも菅直人首相なのか?これではまるで、尖閣沖の中国人漁船事故の事件処理をめぐって那覇地検の次席検事が日中関係への配慮といって釈放、批判を浴びた繰り返しになるんじゃないか、とまず懸念を表明しておくが高木文科相の説明は一貫して具体性が乏しいのである。




どうにでもとれる高木答弁



下村「あなたの考える朝鮮半島の事態の好転というのは何か」


高木「昨日も、韓国、北朝鮮の会合が持たれている。この進展についてはさらに、内容はまだ煮詰まっていないが、北朝鮮と韓国の緊張緩和、この事態だ」


下村「全く抽象的だ」。


韓国と北朝鮮は今も戦争中である。朝鮮戦争は休戦したのであって、終戦ではない。緊張緩和したか否かと聞かれても戦後一貫して分断関係の中で緊張が続いてきたし、昨日に比べて今日は緊張がほぐれましたという日も探せばそりゃああるだろうと思う。要はどうにでも言えるし、何も言ってないに等しい話だ。

 前原外相は「南北の会談が今行われつつあるわけで、それを慎重に見きわめながら、我々がアドバイスを求められたときにはしっかりと文科大臣にお伝えしていきたい」とアシストしていた。枝野官房長官も「砲撃事件が起こる前の状況にまで不測の事態が生じる恐れが低下したと総合的に判断できた段階」と少し具体性を帯びた物言いだった。

 仮に南北会談で何らかの合意があったとする。それを捉まえて「朝鮮半島情勢が好転した」と日本政府が判断して無償化の手続を停止解除したとする。ところが、後で韓国政府に「好転などとんでもない」と打ち消されたらどうなるのだろう。本当に大丈夫なのか。

 本稿では拉致問題については全く触れなかった。次回もまたこの問題を取り上げたいので、そのさい、スペースを割きたい。

 下村氏は質疑を総括する形で「民主党政権が今、やろうとしていることは、これは北朝鮮の影響の中での朝鮮学校という認識を(民主党が)理解しているのかしていないのか分からないが、朝鮮学校の生徒たちを結果的にもてあそんでいることになっていると思う。それだけ期待に期待をさせておいて、一方で、突然砲撃によってストップして、そしてペンディングになって、出すか出さないかもいまだにはっきり分からない。そもそも出す対象ではないのだ」と述べている。

 きちんと議論を積み上げない。無理筋の政策立案を強引に進めて過ちも正さずに、詭弁に詭弁を重ねるから再びつじつまの合わない事態が訪れ、破綻してしまう。その根底には言葉に対する厳密な態度が欠けている。そう思えるのだが…。


草莽崛起