「夕刻の備忘録」 様のブログより。
先ずは「Wikipedia」より、紹介文を引用する。
★枝野 幸男(えだの ゆきお、1964年5月31日‐)、政治家、弁護士(登録番号:22259、司法修習43期、第二東京弁護士会)。衆議院議員(通算6期)。民主党幹事長(第10期)。内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)、同党政策調査会長を歴任。現在、民主党幹事長代理。
早稲田大と東北大を受験し、早稲田ならジャーナリスト、東北なら政治家を目指そうと考えていたところ、「早稲田を不合格」になり、合格した東北大から弁護士、政治家への道を歩むことになったとされている。
さて、この一年数ヶ月の動きを見てみよう。以下も「Wikipedia」からの抜粋である。
★2009年9月に鳩山内閣が発足すると、当初は閣僚に起用される見方も強まったが起用はなかった。一部では小沢一郎との確執が原因であるとの憶測も流れた。
★10月、内閣府に設置された行政刷新会議の事業仕分けチームの統括役を行政刷新担当大臣の仙谷由人から任命され、事業仕分けでは、予算の編成過程を公開することで国民の注目を集めた。
★2010年1月に仙谷が国家戦略担当大臣を兼任することとなり、仙谷を補佐するため首相補佐官に起用されることが発表されるが、正式に任命されることはなく、仙谷の兼務を解く形で行政刷新担当大臣への就任が決まる。
★5月末、鳩山内閣が退陣し、後任の代表選挙では前原誠司、岡田克也らと共に菅直人を支持した。6月、菅直人代表の下、民主党幹事長に就任した。 7月、幹事長として戦った参議院選挙では改選前から10議席減の44議席獲得に留まり、参議院での過半数割れを許す。
★9月の内閣改造に伴い幹事長を退任となり、後任の岡田克也の要請により幹事長代理に就任した。
見事なまでの「書面上の偉人」である。「履歴書だけの英雄」である。
元官僚を売物にしている民主党議員のその実態は、自ら霞ヶ関を出たのではなく、その能力の低さ故に追い出されたのである、と再三指摘してきた。大きな仕事を任された経験も無いのに、官僚機構の問題点を全て把握したかのように振る舞い、それを是正してみせるなどと大言壮語するのは、自らの無能を大声で訴えているようなものである。
この人物も同様である。本当に能力があるなら、起用された場所でそれなりの実績を挙げるものである。それが皆無であるから、そうであるからこそ配置転換が為される。替えても替えても、何処へ行っても、まともな仕事が出来ないから、短期でお払い箱になる。
ところが、この種の無能者は、その無能であるが故に、上役に不安を与えない。仕事が出来ない分だけ、後を襲って取って代わられる心配が無い。そこで場繋ぎにしばしば起用される。「適任者が無いなら、ここは彼にやらせておいて、じっくりと本物を探そう」という話になる。「取り敢えずだ、仕方がないじゃないか、絆創膏でも貼っておけ」、それが枝野幸男・立身出世物語の秘密である。
★ ★ ★ ★ ★
民主党政権誕生以来の動きを見れば分かる。
新政権誕生時には外された。
親分の仙谷の指名により、帰化議員の補佐役を命じられた。
しかし目立ったのは帰化人だけ。
仙谷の指名により首相補佐官になる予定が実現せず、その代わりに初入閣を果たす。これにより、より明白に帰化人の上に立つ形となるが、ネクタイを締めるのも窮屈なその首の短さによるものか、一度も主導権を帰化人から奪い返すことなく、鳩山退陣と共に政府から排除される。実働4ヶ月。
政府の人間として使えないなら、党務をやらせようということで、「大臣だったのだから、あれでも閣僚だったのだから」との有難い配慮から、選挙戦略など何も無い、他人の選挙のことなど考えたこともない、資金力も無い、財界にコネも無い、ナイナイづくしの党幹事長が誕生した。
これもまた、小沢の後任は「反小沢」で行くべきである、という仙谷一派の圧力によるものであろう。しかし、巨大な耳を持ちながらも他人の意見を全く聞こうとせず、唯々喚き散らす悪癖がたたってか、参議院選挙に大敗北し、幹事長辞任を余儀なくされる。実働二ヶ月。
ところが、選挙の敗北は小沢が「政治と金の問題を引き摺っているためだ」と主張したい、仙谷一派の巻き返しにより、幹事長代理に復活する。如何にも責任を取ったように見せ掛けて、その実は何も変わらない、という民主党得意の「役職ロンダリング」である。
そして今、再び仙谷の後任として、官房長官就任が噂されている。
何という出世物語であろう。駄目出しをされればされるほど、役職が上がる。誠にダメ男の理想像ではないだろうか。
こんな人間でも、一連の「要職歴任ゲーム」によって、近い将来「勲章を貰う」のである。国家から「功績あり」として表彰されるのである。時が経ち、人々の記憶が薄れた頃、その経歴書を見た人は、果たしてこのカラクリを見抜くことが出来るだろうか。
相手が全共闘の残り滓、文革礼賛の元活動家ではあっても、無知と下品の代名詞のような男であっても、それを親分と担いで持ち上げ、取り巻きの一員として過ごせば、それなりに仕事も貰え、出世も出来るという誠に気楽な話である。
仙谷と枝野、「全共闘の弁当運び」と「革マル派の御用聞き」、二人して「おせち販売」でも手掛けていれば、バードカフェも逃げ出す、あばづれの柳腰の、まさに嫌悪感の詰め合わせのようなものを「遅配」してくれたであろう。何しろ「スト権の無い公務員がスト権獲得のために違法ストをするのは合法だ」と主張する連中である、「言い訳弁当」「強弁幕の内」「詐欺おせち」、何でもござれである。
あなたの側にも枝野幸男は居る。
あなたの会社にも、学校にも枝野幸男は居る。
枝野の首を切るのは難しい、それほどに短い。
無能である。無能であればあるほど出世街道を驀進する、真の意味の危険人物。
仙谷・枝野の極左コンビプレーは、今後も続くであろう。その上に乗りながら、無能の親玉としての醜い姿を曝しながらもカン・チョクトは、「萎えた気持ちを喪服に包み、今宵も何処かのスーパーでネギを買う」のだろう。「仮面夫婦」が久々に見せたツーショットは、喪服姿であった。喪服でSPを引き連れての買物姿を一体、誰に見せたかったのだろう。「視聴率爆下げ王」のすることは流石に分からない。
あなたの側にはチョクトは居ない。
あなたの会社にも、学校にもチョクトは居ない。
もし居たら直ちに始末されてしまうだろうから。
視野に入ることさえ、不快である。
それが見事に視聴率に表れているのである。
★枝野 幸男(えだの ゆきお、1964年5月31日‐)、政治家、弁護士(登録番号:22259、司法修習43期、第二東京弁護士会)。衆議院議員(通算6期)。民主党幹事長(第10期)。内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)、同党政策調査会長を歴任。現在、民主党幹事長代理。
早稲田大と東北大を受験し、早稲田ならジャーナリスト、東北なら政治家を目指そうと考えていたところ、「早稲田を不合格」になり、合格した東北大から弁護士、政治家への道を歩むことになったとされている。
さて、この一年数ヶ月の動きを見てみよう。以下も「Wikipedia」からの抜粋である。
★2009年9月に鳩山内閣が発足すると、当初は閣僚に起用される見方も強まったが起用はなかった。一部では小沢一郎との確執が原因であるとの憶測も流れた。
★10月、内閣府に設置された行政刷新会議の事業仕分けチームの統括役を行政刷新担当大臣の仙谷由人から任命され、事業仕分けでは、予算の編成過程を公開することで国民の注目を集めた。
★2010年1月に仙谷が国家戦略担当大臣を兼任することとなり、仙谷を補佐するため首相補佐官に起用されることが発表されるが、正式に任命されることはなく、仙谷の兼務を解く形で行政刷新担当大臣への就任が決まる。
★5月末、鳩山内閣が退陣し、後任の代表選挙では前原誠司、岡田克也らと共に菅直人を支持した。6月、菅直人代表の下、民主党幹事長に就任した。 7月、幹事長として戦った参議院選挙では改選前から10議席減の44議席獲得に留まり、参議院での過半数割れを許す。
★9月の内閣改造に伴い幹事長を退任となり、後任の岡田克也の要請により幹事長代理に就任した。
見事なまでの「書面上の偉人」である。「履歴書だけの英雄」である。
元官僚を売物にしている民主党議員のその実態は、自ら霞ヶ関を出たのではなく、その能力の低さ故に追い出されたのである、と再三指摘してきた。大きな仕事を任された経験も無いのに、官僚機構の問題点を全て把握したかのように振る舞い、それを是正してみせるなどと大言壮語するのは、自らの無能を大声で訴えているようなものである。
この人物も同様である。本当に能力があるなら、起用された場所でそれなりの実績を挙げるものである。それが皆無であるから、そうであるからこそ配置転換が為される。替えても替えても、何処へ行っても、まともな仕事が出来ないから、短期でお払い箱になる。
ところが、この種の無能者は、その無能であるが故に、上役に不安を与えない。仕事が出来ない分だけ、後を襲って取って代わられる心配が無い。そこで場繋ぎにしばしば起用される。「適任者が無いなら、ここは彼にやらせておいて、じっくりと本物を探そう」という話になる。「取り敢えずだ、仕方がないじゃないか、絆創膏でも貼っておけ」、それが枝野幸男・立身出世物語の秘密である。
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民主党政権誕生以来の動きを見れば分かる。
新政権誕生時には外された。
親分の仙谷の指名により、帰化議員の補佐役を命じられた。
しかし目立ったのは帰化人だけ。
仙谷の指名により首相補佐官になる予定が実現せず、その代わりに初入閣を果たす。これにより、より明白に帰化人の上に立つ形となるが、ネクタイを締めるのも窮屈なその首の短さによるものか、一度も主導権を帰化人から奪い返すことなく、鳩山退陣と共に政府から排除される。実働4ヶ月。
政府の人間として使えないなら、党務をやらせようということで、「大臣だったのだから、あれでも閣僚だったのだから」との有難い配慮から、選挙戦略など何も無い、他人の選挙のことなど考えたこともない、資金力も無い、財界にコネも無い、ナイナイづくしの党幹事長が誕生した。
これもまた、小沢の後任は「反小沢」で行くべきである、という仙谷一派の圧力によるものであろう。しかし、巨大な耳を持ちながらも他人の意見を全く聞こうとせず、唯々喚き散らす悪癖がたたってか、参議院選挙に大敗北し、幹事長辞任を余儀なくされる。実働二ヶ月。
ところが、選挙の敗北は小沢が「政治と金の問題を引き摺っているためだ」と主張したい、仙谷一派の巻き返しにより、幹事長代理に復活する。如何にも責任を取ったように見せ掛けて、その実は何も変わらない、という民主党得意の「役職ロンダリング」である。
そして今、再び仙谷の後任として、官房長官就任が噂されている。
何という出世物語であろう。駄目出しをされればされるほど、役職が上がる。誠にダメ男の理想像ではないだろうか。
こんな人間でも、一連の「要職歴任ゲーム」によって、近い将来「勲章を貰う」のである。国家から「功績あり」として表彰されるのである。時が経ち、人々の記憶が薄れた頃、その経歴書を見た人は、果たしてこのカラクリを見抜くことが出来るだろうか。
相手が全共闘の残り滓、文革礼賛の元活動家ではあっても、無知と下品の代名詞のような男であっても、それを親分と担いで持ち上げ、取り巻きの一員として過ごせば、それなりに仕事も貰え、出世も出来るという誠に気楽な話である。
仙谷と枝野、「全共闘の弁当運び」と「革マル派の御用聞き」、二人して「おせち販売」でも手掛けていれば、バードカフェも逃げ出す、あばづれの柳腰の、まさに嫌悪感の詰め合わせのようなものを「遅配」してくれたであろう。何しろ「スト権の無い公務員がスト権獲得のために違法ストをするのは合法だ」と主張する連中である、「言い訳弁当」「強弁幕の内」「詐欺おせち」、何でもござれである。
あなたの側にも枝野幸男は居る。
あなたの会社にも、学校にも枝野幸男は居る。
枝野の首を切るのは難しい、それほどに短い。
無能である。無能であればあるほど出世街道を驀進する、真の意味の危険人物。
仙谷・枝野の極左コンビプレーは、今後も続くであろう。その上に乗りながら、無能の親玉としての醜い姿を曝しながらもカン・チョクトは、「萎えた気持ちを喪服に包み、今宵も何処かのスーパーでネギを買う」のだろう。「仮面夫婦」が久々に見せたツーショットは、喪服姿であった。喪服でSPを引き連れての買物姿を一体、誰に見せたかったのだろう。「視聴率爆下げ王」のすることは流石に分からない。
あなたの側にはチョクトは居ない。
あなたの会社にも、学校にもチョクトは居ない。
もし居たら直ちに始末されてしまうだろうから。
視野に入ることさえ、不快である。
それが見事に視聴率に表れているのである。