【消えた偉人物語】二宮金次郎
-二宮金次郎(尊徳)は、日本のアブラハム・リンカーンである。自由と民主主義を日本で初めて実践した人物である-。これは、連合国軍総司令部(GHQ)のインボーン少佐の言葉である。戦時中から修身教科書の調査と分析を進めていたGHQの中では、金次郎に対する評価は極めて高かった。
金次郎は、国定修身教科書において最も多く登場した人物であり、大正と昭和の理想的人物調査などでは、常にトップないし上位にランクされた。勤勉や孝行をはじめ、我慢・倹約・公益などの教材として掲げられた金次郎のエピソードは、理想的な人間像の典型的なモデルであった。「柴刈り縄なひ草鞋(わらじ)をつくり/親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し/兄弟仲よく孝行つくす/手本は二宮金次郎」。この歌が文部省唱歌に登場したのが明治44年。修身教科書ではこの時期すでに、「酒を好む」父のために、草鞋を作って酒代をかせいだ話が多く取り上げられている。
「父がなくなってからは、朝は早くから山へ行き、しばをかり、たきゞをとって、それをうりました。又夜はなはをなったり、わらぢをつくったりしてよくはたらきました」という修身教科書の記述は、かつて全国の小学校の校庭にあった金次郎の石像の「負薪(ふしん)読書」のイメージを形成した。
修身教科書に金次郎が多く登場した理由は何か。明治の哲学者、井上哲次郎は、金次郎が農民出身であり、子供達にとっては身近な存在であったことを指摘する。つまり、「其境遇近く、其境涯相似たり。境遇等しきが故に、教師は学びて怠らず、(中略)農家の子女も、亦能(またよ)く二宮翁の如くなり得べしとの希望を抱かしむるに足る」というのが井上の説明であった。
-自分の境涯を嘆かず、勤勉で努力家。人を羨(うらや)むことなく親孝行。親を助けながら苦学し、世のため人のために生きる-。修身教科書に描かれた金次郎のエピソードには、忘れられて久しい日本人の理想的な生き方の指針が確実に示されていた。(武蔵野大学教授 貝塚茂樹)
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かつて家庭や学校で語り継がれていたが、最近あまり教えられなくなった人物や物語を紹介する。
修身教科書の二宮金次郎=「復刻 国定修身教科書」(大空社)から