皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

本日十月十七日朝刊見出しには、

「維新 副首都など12項目要望」とある。

これを見て、

やはり、言っておこうと思う。

わが日本国の政治家たる者、

世界にある諸国家群のなかにおける、

我が国の絶対的な特色、

即ち「わが日本の国の形」即ち「わが日本の國軆」を、

もうすこし意識せよ、と。


私は、

京都に住む友人知人に対して手紙を送るとき、

住所欄に「京都市」とか「京都府」と書かず、

「京都」とだけ書く。

東京へ手紙を送るときは、「東京都」とは書かない。

「東京」とだけ書く。

「京都」には、「天皇の御所」があるから「京の都」であり

「東京」にあるのは「御所」ではなく「仮御所」だから

「東の京」で足りる。


徳川家康が江戸を本拠地としたから、

我が国の都が京都から江戸に移ったのではなく、

明治維新によって

「我が国の都」が「江戸」に遷都され移ったのではない。

ましてをや、昭和二十年九月、

日本占領軍総司令官のマッカーサーが東京を本拠地としたから

東京が日本の首都になったわけではない。


豊臣秀吉と徳川家康が、

キリスト教禁止の理由として打ち出したのは

我が国が天皇のおられる「神国」であったからだ。

その徳川家康を、

征夷大将軍にしたのは天皇であり、

東照大権現の神号をおくり、

神として日光東照宮に祀られるようにしたのも天皇である。

この時代の日本人は、

我が国を表現するに、「日本国」とは言わず

「本朝」とか「皇朝」と呼んでいた。

もちろん、

「天皇のおられる國」のことだ。

安永八年の十八世紀末に刊行された

最も評価の高い日本地図

「新刻日本與地路程全図」の起点は京都であり、

十九世紀初頭に完成した伊能忠敬の

「大日本沿海與地図」の起点も京都である。

そして、間近くは、

昭和天皇が、

「天皇と天照大御神が一体となる」

即ち

「天皇が現人神になられる」

最も神秘で重要な儀式である

「大嘗祭」を行われたのも

京都である。

このように、我が国の首都は、

「天皇のおられるところ」のことであり

それは、西暦七九四年、平安京に都が造られて以来、

現在まで不変である。

これに対して、

江戸から東京と名の変わった街は、

徳川以来、「権力とマネーゲームの中心」ではあっても

我が国日本の首都ではない。

以上、

私の「天皇のおられる祖国日本」への

無限の感慨を記したのは、

今朝の新聞の見出しにあるように、

現在の政界人に、

マネーゲームへの関心だけがあって、

我が国の歴史のなかに貫かれてきた

尊皇の志が希薄であること

に思い至ったからである。


西村眞悟時事通信FBより

日本日本日本


日本日本日本



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