全ての感情は良くも悪くもない。

どちらもとっても大切。

 

 

 

ネガティブな感情があるからこそ、

自分の感覚が分かる。




ネガティブな感情を

感じる事を辞めてしまったら、

自分を知るセンサーを失ったようなもの。

だから、とっても大切。

 

 

 

でもついつい、

ネガティブな感情は

感じたくないと思ってしまう。

 


 

 

知識としても、体感としても

ネガティブな感情が

大切な事は理解していた。




でも、人に対してネガティブな感情が

湧き上がっても打ち消している時があった。

 

 


 

それは、嫌われたくない。

そんな気持ちもある。

 


 

でも私の場合、一番強いのは



人はみんな違う 

同じ感覚の人なんていない。

だから、私が違和感を感じる事は普通の事

だと思っていて・・・

 

 

 

 

ネガティブな感情が湧き上がっても


それが普通の事だからと

それ以上期待しない。

と無意識に本当の望みもキャッチしないで、

感じなかったことにしていた。

 

 

 

 

 

家族とか、みじかな人に対しては

とっても敏感にキャッチしているけど、

キャッチしていたのはごくごく少数。

 

 

 

 

それ以外の人に対しては、

ネガディブな感情が湧き上がっても

打ち消して来たようだ。

 

 

 

先日受けた個人セッションでも、

他人への期待値が低すぎると指摘された。

 



 

そうする事で、自分の世界にピッタリな人を登場させられなくなると。

 

 


そして、私の愛に制限がかかってしまうと。

 

 

 

確かに、ピッタリな人なんて

そうそう存在しないと信じていた。

だから諦めていた。

その方が傷付かなくてもいいから。





そう信じていれば、

ピッタリな人は現れないよね。

 

 

 

 

でもどんな事を望んでも良いんだったキラキラ

ピッタリな人しか私の周りには存在しない。

そう設定すれば、そんな世界も創れるはず。

 

 

望んでいこう。

私の本当に望んでいる世界を。

そしてその世界を楽しもう。

 

 

 

 

そして、もっと大切な事に気付いた✨

人に対して、嫌い、イラつく、もやっとする、

ザワッとするといった 

ネガティブな感情を打ち消してしまう癖の理由。

 

 

 

 

それは、自分が感じた感情を

相手をジャッジするツールとして

使おうとしていたから。

 

 

 

 

人をジャッジするのは疲れる。

それもネガティブなジャッジは特に。

それをすると自分が嫌な気分になるから。

出来ることならジャッジはしたくない。

 

 

でも、私に湧き上がった感情は、

相手をジャッジする為のものでは無くて、

自分の感覚を知る為のもの。

 

 


 

自分の内側で起こっている事で

相手とは全く関係がない。

 

 



 

だからジャッジは必要ない。

そして相手が悪い訳でも 良い訳でもない。

善悪をくっつけていたから、

人に対してネガティブな感情が

湧き上がる事を嫌っていたんだ。

 

 

 


 

それに気付いたら、急に楽になって来た。

ネガティブな感情は宝物だ。

そして、それは自分を知る為に使えば良いキラキラ