今日は日曜日でした。
日曜日に会社や学校をお休みにする慣習は、日本に完全に根付いたようですね。テレビも休日仕様、デパートやお店は人であふれかえっています。
日本人の受け止め方は、「やった!!会社や学校が休める!」という感じだと思います。
明治以前の「休み」は、お盆と正月だけだったのですから、すさまじい休みの増え方ですね。
明治時代に今は西暦と日本でよばれているグレゴリウス歴を輸入したのがはじまりです。グレゴリウス歴は、ローマ教皇のグレゴリウスが天文学者たちに命じてつくらせたキリスト教の暦です。
では、現代社会で広くいきわたっている7日ごとに休みをとるこの慣習は、どうして発生したのでしょう?
旧約聖書の創世記が、その答えです。
旧約聖書の一番最初の本で、第一章のしょっぱなで、神様が天地創造をした部分です。
1日目に光と闇、二日目に大空、三日目に大地と植物、四日目に太陽と月と星、・・ま、そういった具合にいろいろ作り、最後、6日目には人間をつくります。
そして、「7日目に休んだ」とあります。
これが、「安息日」(あんそくび)の由来です。7日目ごとに「安息日」を設けるのが、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の慣習です。
以前にも書いたが、旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教両方の聖典だし、イスラム教の聖典コーランは聖書と重なるところが多いからです。
ただ、キリスト教は、日曜日を「7日目」として安息日とし、ユダヤ教では土曜日を安息日としています。さらに、イスラム教は金曜日を安息日にしています。ようはどこから数えるかの違いで、逆算すれば何曜日からというのはわかるはず、解釈の違いで、もとは同じ。
キリスト教系の学校に通ったので、「聖書の授業」があったが、その先生が、これは休むことの重要性をあらわしていると言ってました。そうかも。休むと、次の日仕事がはかどるし。
日本人は休むことができる日、恩恵のように受け止めていますが、アメリカなどでは、むしろ、
「働くことが禁止されている日」という受け止め方が大多数でしょう。熱心なクリスチャンほどそのように受け止めています。
日本では日曜日にたまった家事をこなすお母さんが多いと思いますが、アメリカの保守的な村に住んでいた場合、「日曜日に掃除やオーブン仕事をした!」と、カゲ口をたたかれます!
晴れ着を着て教会に行く以外の仕事はやむを得ないの(家畜のエサやりとか)を除いて、してはいけないのです。だから、日曜日のごはんは、昨日のうちに作っておける冷たいものです。
クリスチャンもそうですが、ユダヤ教徒も「安息日には仕事をしてはいけない」んです。
しかも徹底していて、例えば、冷凍ディナーをチンするために電子レンジのボタンを押すことすら「仕事」とみなされます。いえ、本当に。
イスラエルの家庭では、電気器具にタイマーを仕掛けておいて、安息日の土曜日には自動的にオン・オフするようにすっかり前日にしかけておくそうです。便利な世の中になってよかったですね。
自身もユダヤ系であるファインマン博士は、ユダヤのラビ(律法がいっぱいのユダヤ教で、律法を教える人たち、キリスト教の牧師のような感じ)の学校で、エレベーターのボタンを押すためにユダヤ人ではない人を雇っているのにびっくりしました。安息日の土曜日だけ。
ユダヤ人は「仕事」をしてはいけないが、異教徒ならOKだからというわけ。
でも、どの人も「仕事」はしないほうがいいのでは?その異教徒は地獄にいってもいいんだろうか?とファインマンさんは聞いたが、ユダヤ教って、(へ)理屈をこねくりかえすのが異常にうまい。勝ち目はなかったそうです。
イスラム教徒については、よく知りませんが、たぶん、同じようなうけとめかただろうと思います。金曜日が安息日のイスラム教徒では、その前日の木曜日が、クリスチャンの土曜日のような感覚で、木曜日は一週間分の料理を作るなど、奥さんたちは大変だと聞いたことがあります。
なにはともあれ、7日にいっぺんくらいは休みをとって、リフレッシュするのは合理的のように思えます。
参考)
聖書・創世記