日本人はごはんを食べる時、「いただきます」といい、食べおわると「ごちそうさま」という。

 また、家から出かけるとき、「いってきます」、家に帰る時は「ただいま」という。


 こういうあいさつは、人に会ったときに「こんにちは」、別れるときに「さようなら」と言うのと同様の挨拶として、日本人は当たり前に言っている。

 しかし、わたしの知る限り、英語には、「いただきます」や「ごちそうさま」、「いってきます」と「ただいま」にあたる言葉はない。特に何も言わずに食べ始めてたべおわる。学校や会社に出かけるとき、家に誰か残していく時は、「その人と別れる時」の扱いで、帰宅したときも「再会」するあいさつのようだ。

 つまり、英語では、ヒトと会う時と別れる時しかあいさつしない。

 知っている限り、ヨーロッパ系の言語ではみなそうのようだ。外国語で、そういう表現があるなら知りたいが、私は知らない。

 しかし、「いただきます」と「ごちそうさま」は、たべものに対するあいさつだと思う。

 もちろん、「いただきます」は、これから食べますという意味だが、謙遜表現を使うことによって、食べ物を準備してくれたお母さんや食堂などで働いている人、その材料をつくりだしてくれた、農家や牧畜業をしている人、トラックで運んでくれた人、お店で材料を売ってくれた人、など、その食べ物にかかわるすべての人たち、そして、それを可能にした神様すべてに対する尊敬と感謝の表現になっている。
 「ごちそうさま」はおごってくれた人や料理をつくった人へのお礼の言葉でもあるように、やはり「ごちそうしてくださってありがとう」という感謝表現である。

 毎日している、「物を食べる」という行為だが、外界から食べるものをとりいれるという実に重要な行為である。だからこそ、何を食べるべきかについては広く議論されるし、へんなダイエットも流行る。今、何を食べるかは、今後の人生の方向を決めると言っても過言ではない。
 人間の身体というのは、神聖なものだ。本人にとってはとくにそうだ。
 
 アメリカやヨーロッパのキリスト教文化圏では、食事の前にお祈りをする習慣がある。

 これも食べ物を準備してくれた神様にたいする感謝の念の表明であって、料理や準備をしてくれた人はその手足というわけである。

 感謝は、そのモノを清めると思う。

 非科学的と言われそうだが、科学はいまだに全てを解明しているわけではない。リンゴ一つだってすべて人工的に合成することはできていない。

 ハワイの原住民の何というか考え方で、「ホ・オポノポノ」というものがあり、その中では、ありがとうという言葉、つまり感謝表現は、清めることばだという。

 これを多くの人に教えているひとで、ヒューレン博士という方がいらっしゃるが、彼は、人に対してのみこの清めの言葉をつかうのではなく、モノに対しても使うと言っている。例えば、テレビや机、椅子やパソコンなどである。

 とすれば、これから自分の一部になるという重要なかかわりを持つ食べ物に対して、「いただきます」「ごちそうさま」と感謝の表現をし、清めを行い、食べ物がもたらすかもしれない害を防ぐのは、実に理にかなった素晴らしい習慣だと思う。

 外食などでは、省略することも多いと思うが、是非、ちょっとつぶやいてみてほしい。

 さて、「いってきます」「ただいま」についても、「家」という自分を守るいわば砦に対して、清めを行い、災厄や不幸を防ごうとするものだと思う。

 これもまた、素晴らしい習慣だ。