マイケル・クライトンの小説は、昔から愛読してきたが、遺作となった「恐怖の存在」を呼んで以来、「環境問題」の存在をうのみにする態度を改めるようになった。

 

 少なくとも、「環境にいいから」といった理由で色んなモノを売りつける企業の手には乗らなくなった。

 

 それに、「恐怖の存在」を書いてすぐにお亡くなりになったことを考えると、本当に自然死(ガン)だったのだろうかと疑いたくなる。ガンにかかっていたのは事実としても、人為的に促進されたかも・・・と思う。というのは、環境問題というのは、明らかに科学や自然の問題ではなく、政治問題だからだ。そして、環境問題は、多くのマスコミが、「当然」といった態度で、環境問題がある前提のドラマや商品、討論番組をせっせと生産していることから、環境問題を促進している人たちがいることは明らかだ。とすれば、そういう人たちが危険であって、場合によっては暗殺という方法も使いかねないと思うからだ。

 

 それに、環境問題の主張というのは、なんというか、「人間が地球を破壊している」といった、人間に可能なことを過大評価しているように思えてならない。自意識過剰なティーンエイジャーみたいだ。傲慢さすら感じる。

 

 確かに、人間にできることはたくさんあるし、科学の進歩によって、人間に可能なことは増えてきたことは確かだ。

 しかし、人間ができないこともまだまだたくさんある。できるかのように他の人に思わせることはできるが、実際には、人間には人やトランプを消滅させることはできない。手品やショウにはタネがある。

 

 環境問題を主張する人は実際には、他の人間を非難しており、しかも、その他人に可能なことを過大評価しているように思える。(露骨には言わないが)

 

しかも、プラスチックの袋など、便利なことに「良心のかしゃく」を生じさせてしまう。なんか偽善的だ。ゴミをださないと捨てるのが楽だから、そういう意味ではいいけど。

 

でも便利なことはいいこと・・・・だと思う。

 

 参考サイトをあげておくので、是非とも、考えてみてほしい。

 

参考)

http://blog.jog-net.jp/200707/article_1.html

http://81.xmbs.jp/piroshigogo-228713-ch.php?guid=on

http://matome.naver.jp/odai/2138188255875220301