外国の校長が日本の小学校を視察するというテレビ番組を以前見た。

 

 ご存じのとおり、日本の小学校・中学校では、教室などの掃除は生徒自身の手でやる。

 

 わたしもやったし、日本で教育を受けた方は、みなさんやった覚えがあるだろう。

 

お掃除はいやだったが、今ふりかえると、子どものしつけとして絶対に必要なことだと思う。

 

 視察した校長たちは、ショックを受けたようだが、自分の国に取り入れようとするそぶりは全くなかった。

 いやいや、取り入れたほうがいいと思うけどね・・・。

 

 なぜかといえば、そういった「賤しい」仕事も日本人自身の手でやるべきだと思うし、人件費の高い日本人に任せることによって、機械化や合理化が発達し、日本が繁栄してきたと思うからだ。

 駅などの公共の場所や会社などで、清掃担当者への日本人の態度は、ほとんどが、敬意に満ちていると思う。会釈やあいさつをする人がほとんどだし、清掃したあとすぐにゴミを散らかしたりする人はほとんどいない。清掃も重要な仕事と認識している。それは、学校で掃除当番を経験したことにもよると思うのだ。

 

 先日読んだ「住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち」によると、ドイツでは、古くから外国人労働者を多く受け入れており、はじめは「人件費の節約」になると喜んだドイツ人たちだが、彼らは仕事がなくなっても、期待したように自分の国に帰ることはなく、ドイツの福祉を食いつぶして、結局はかなり高くついているようだ。ほとんど、単純労働者で、自分の国に帰ったところで仕事がないことは同じなのだ。

 

 その結果、清掃などの単純労働は「外国人がする仕事」というイメージが固定し、ドイツ人は失業してもそういった仕事は鼻にもかけないそうである。

 これはよくない。人種・民族に対する差別にもつながるし、清掃も自分の手でやるからこそ、仕事の合理化につながると思う。

 「職業に貴賎はない」

 清掃のような「賤しい」単純労働は、「賤しい」トルコ系などの外国人に任せてしまう・・・そういった考えは、誤っている。清掃は賤しい仕事ではないし、トルコ系などの外国人は賤しいひとなどではない。人種に優劣はない。そういった考えが、ドイツ社会の衰退を招くのではないか。とても心配である。

 外国人の受け入れは、例え、職業等や期間を限定したとしても、やめた方がいいと思う。

 

ドイツは、ナチスの過去のせいか、「政治的に正しいことをしたい」という発作的衝動に国民的にかられることがある。

「シリアなどからの政治難民の大量受け入れ」byメルケル首相 もそんなことの一つだろう。

昔、ベートーベンの第九のコーラスに参加したことがあるが、あの曲のすばらしさは、第4楽章のコーラスの突然の「爆発」に向けて、計算された抑えと最後の爆発の快感のすばらしさ。本当に良い曲である。ただ、こういった感情の爆発は、理性もへったくれもないので、それって本当に大丈夫なの?という事実にのっとった検討に欠けるきらいがある。

 その政治難民の10人に1人、ざっと20万人ほど行方不明だそうだが、これは、どう考えても社会不安のもとだろう。

 「お人よし」にもほどがある。

 

日本にはEUのような、「難民受け入れ圧力」もない。

 

外国人労働者受け入れは、後ろ向きに検討してほしい。

 

参考)

http://ironna.jp/article/436

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48084

http://www.sankei.com/world/news/151222/wor1512220023-n1.html