獅子神は旅客機を次々と墜落させていく。さらに壱郎の娘が火災に巻き込まれてしまう。壱郎は暴走する獅子神を止めようとするが、そんな壱郎を見た獅子神は思わず涙を流してしまう。
獅子神「俺が悪役でジジイがヒーローか・・・」。
なぜこんなことになったのだろうか。平気で人を殺せる獅子神は人間的にどこか欠落しているのかもしれない。しかし彼は同時に生身の肉体という欠落をも抱えてしまったのであり、彼の殺人はその虚無感や不安から逃れるためのものだった。
少なくとも彼は機械の体になった後も不登校の友人を心配することが出来る人間だった。
しかし獅子神は大切な人たちが、自分が殺人鬼だと知ったときに 《悲しむはずだ》という当たり前のことに思いいたらなかった。
人を殺す前にそのことについて考えていたら、殺人を思いとどまったのではないか。実際に彼は殺人を止めようとしたことがあるのだから。けれども結局は破滅への道をひた走る結果となった。このことが悲しくてならない。
壱郎はこれとは対照的でした。彼は若いころから命を大切にする人間であり、その価値観を大切にして生きてきた。だから機械の肉体になった後もそれを見失うことがなかった。そして娘の命を救い、今も人を助けるために動き続ける彼は、自分が生まれてきた意味を実感している。
壱郎「今このときのために僕は生まれてきた。
このときのために僕は機械になった」。
周囲から疎まれても人を恨まず、正しく生きてきた壱郎の人生が報われた気がして泣けました( ;∀;)
しかし壱郎と獅子神の2人を分けたものが、積み重ねてきた人生の重さだとしたら、若い獅子神に哀しさを感じずにはいられません。もっと別の道があったのではないか・・・と(´・ω・`)