アキレウスとケイローンの対決が描かれますが、少々もったいないと思ってしまいます。この戦いにおいてアキレウスは重要な発言をします。自らの人生を振り返って、聖杯にかけるべき自分の願いを口にするのです。
人を宿業(の運命)から解放できるのならば
それが英雄のなすべきことだ
しかしこの考え方はギリシア神話の世界観からは逸脱しています。ギリシア神話において運命とは全知全能の神ゼウスが定めたものであり、覆すことのできない絶対的な強制力を持ち、人間がその運命から逃れることはできないのです。
だからケイローンはアキレウスを傲慢と言う。
つまりこれは反オリンポス的、ゼウスに対して敵対的な思想なわけです。ギリシア神話において傲慢(ヒュブリス)・ゼウスに対して敵対的な人間は、皮肉な運命の巡りあわせによってその傲慢さを正されるか、ゼウスの雷によって撃たれるかのいずれかと相場が決まっています。
したがって、ケイローンがゼウスの雷のごとく彼の踵を射抜くという行動はだまし討ちである半面、オリンポス神界の末席に位置する神としても、またアキレウスの師としても、彼の傲慢を正すという意味において正しいと言えます。
しかし、だからこそ、アキレウスが反オリンポス的思想を持つにいたった背景を、一枚のカットとわずかな言葉のやり取りだけで済ませてしまったことが残念でなりません。
ギリシア神話屈指の英雄だからもっと掘り下げられると思うのですが。無二の親友の死、殺した女戦士の死に顔に恋をしてしまうなど、悲運に関しては十分なネタを持っているだけに。
まあ、尺がないのでしょうね。
アキレウスは自らが陥った傲慢から目を醒まさすのかどうか? この先アキレウスに待ち受ける運命が、彼にとって納得出来るものであることを願わずにいられません。