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肉チャーハン

肉少なめで

Fallout4おさらいその2
Falloutでお馴染みにスキルシステム「S.P.E.C.I.A.L.」の解説動画
vault boyがポップで少々グロテスクなアニメーションで丁寧に解説してくれる

このアニメだけでも結構なお金がかかっていそう
トムとジェリーのような昔ながらのアメリカアニメを意識した作り FalloutはTESとくらべてperksの割り振りはパターン化しやすい傾向にあって
言い方を替えると遊びで適当に振ると大変な目に合うこともしばしばある。
そのためか、いわゆる「死にステ(振っても役に立たずもったいないステータス)」や定石的なスキル配分が出来上がってしまって遊びの幅が狭いなと思っていた

今作ではそういう部分が改善されているといいなぁ~~~~
Fallout4の戦闘シーンを紹介する動画 そして歴代Falloutのムービートレーラ詰め合わせ(ニューヴェガスが入ってない・・・) 最後にFallout4の実写トレーラームービー
鳥には信じ難い知性を持つ種がいる
そのなかでも日常生活において最も身近なのはカラス

あまり知られていないがヨウム未満九官鳥以上に言葉を覚えて喋ることもできる
日本ではペットとして飼育する事が許されていないので彼らと対話する機会がないのが残念

鳥獣のなかでは高度な社会性を備えていてカラス同士のコミュニケーションも頻繁に行うし異なる種とのコミュニケーションを行うことも出来る。
例えば人間の餌やりを真似て犬を餌付けしたりとか、嘴にクッキーを咥えて犬の口元まで届けてやるという事まで出来る個体がいる。これは真似遊びなのか愛情表現なのかは不明。

カラスは周囲を非常に注意深く観察しており、観察によって学んだ事を同族同士で伝えあったり異種動物の行動を真似ることで生活に役立てたりすることがある。
人間がポイ捨てした弁当の空容器に残っていた米粒などを食べたあと、容器をゴミ箱へ運んで捨てるという行為を行う個体がおり、清掃員や善意ある人の行動を見て真似たものと思われる。人間社会との親和性を高め生存率を上げるための知恵なのかもしれないし、一見カラスにとっては無益な行為にも彼らなりの意味があるんだろう。

海外では野鳥のための餌箱に食べ物を入れてくれた少女に対し、カラスの宝物(収集したキラキラしたもの)を持ってきて置いていくといった礼節を示す群れもみられる。

無意味に娯楽に興じることもある点も興味深い、屋根に積もった雪と拾ったプラ板でソリ遊びを楽しむ個体がおり知性と感性の高さがうかがえる。

他、カラスは飼えないがカラスと同等かそれ以上の知能や感情を備えた種としてヨウムがいる。
足し算ができ個体認識能力にも優れ言語で感情表現を行うことができる。なかでも高い知性をしめしたヨウムのアレックスくんは有名。
自身の死に際して「愛しているよ元気でね」と飼い主に対し言葉を残すという高度な感情表現を行った。
肉体的にも丈夫で40年程度生きることから正にパートナーと呼ぶに相応しい関係を築ける貴重な動物といえる。
Fallout4発売も間近

FalloutシリーズやThe Elder Scrollsシリーズのようなオープワールドゲームに感じる
「自由という魅力」について改めて考えてみたいと思います。

■ぼくらのRPG
私の世代というのがまさにファミコン、スーパファミコン全盛期に生まれ育ち
プレイステーションやセガサターンといった革命的な次世代機を経て今に至る「ゲームの黎明期や変革期に最もゲームで遊んだ世代」といえます。
懐古というわけではありませんが、玉石混合有象無象ひしめく時代…
沢山のものが生まれては消え、様々な試行錯誤され多様な流行を生み出して廃れを繰り返すようなメチャクチャカオスで一番楽しい時代にゲームに夢中になれていた最高に幸せな世代だと思っています。
ゲームが「遊び方の様式、手法」として確立され円熟期を迎えて過ぎた今の現代にはもう二度と訪れない世界でしょうし、今後の未来においてもこのような世界が築かれることはないと思います。

そんな私達が知る最も基本的でもっとも有名なRPGというのがドラゴンクエストやファイナルファンタジーでしょう。現代においても和製RPGにおける二大巨頭といって差し支えないものと思います。
過去においても現代においても、我々日本人が馴染み深く親しんできたRPG作品というのは「筋書きに沿ってプレイする一本道のゲーム」です。起伏に富んだシナリオ、よく練られた伏線、感動エピソード、そういったものを1つのソフトウェアに詰め込んだモノが和製RPGというものです。
こういった作風であるがゆえに「特定のキャラのファンになる」とか「このイベントの誰と誰のやり取りが熱い」とか「このイベントで泣いた」とかシナリオや登場人物と演出に絡む思い出が尽きないのが最大の特徴かなと私は思っています。
すべてが「追体験」なので同作品のプレイヤ同士で思い出も共有しやすくゲーム仲間同士の会話の華とも言えます。

じゃあオープンワールドって何なの?というのが次の話題

■オープンワールドと洋ゲー

欧米諸国を中心としたRPGの作風という部分に軽く触れておく必要があると思います。
和製RPGにおける基本的な物事の変化や進行は「選択と結果」によって起こります、○○ですか?[ハイ/イイエ] ハイなら合格 イイエなら失敗のルートへ分岐という具合です。二者択一 三者択一とバリエーションは色々ありますが選択により結果を迎えるという基本原理で物事が動いていきます。
洋ゲーにおけるRPGは電子媒体のゲームとして以前に、ルールやシナリオ等が記載された本やカードを用いて「ストーリーテラー役の人」と「プレイヤ役の人」に分かれて行うテーブルトークRPGというものを起源としています。これが和製RPGの進化とどのような系統樹分岐を引き起こしたかというと洋ゲーで重要視されるのは「選択も含んだ行動全般とそれに伴う結果」です。
シナリオやシステムといった「世界」と人間であるプレイヤの関係性を密にしていくことにより「人それぞれの体験」に意義を見出してきたのが洋ゲーです。
こういった「RPGの在り方」の違いはハードウェアの進歩や作品の多様化により、和洋の垣根なく取り入れられていき今では和ゲー洋ゲーという言葉より「シナリオ重視型/自由度重視型」と言ったほうがいいはずです。自由度をウリにした和製RPGも沢山ありますし、ドラマや映画みたいな世界を追体験させるような洋RPGも多く存在します。

自由度、つまりは世界(シナリオやゲームシステム)とプレイヤの関係性をどこまでも広げていこうというがオープンワールドゲームだと私は思っています。

■オープンワールドの世界
前述したような背景からオープンワールドゲームにおいては洋RPGに一日の長があると言えます。洋RPGの基本スタイルと非常に親和性が高いのもオープンワールドです。

ゲームの中の世界と現実にいる人間である私達の関係性が密になるという現象において重要なのは「しょうもなさ」であると思います。

リアルなグラフィックスや迫力のサウンド、映画顔負けの演出というのはエンターテイメントにおいて重要ですがそれは和洋関係なく備わっています。オープンワールドゲームにおいて最重要とも言えません。
世界と関わりあううえで最も楽しいものは「能動的に関係をもてる対象の多さ」であると思います。
かといって「ゲームを進行する上で重要なものが山のようにあり、プレイヤがそれをすべて把握して管理する」というのは非現実的ですしあまり楽しそうではありません。自分とは直接関係ない事柄とは無関係を貫けるからこそ人はほどほどに幸せでいられるのと同じことです。
ただ私たちは「無関係そうなこと」にも首を突っ込むことができるわけです。そうして関係を広げたり深めたりして生きていくことができます。
こういう当たり前のことをゲームの上でも自然にできるようにするのがオープワールドゲームの面白さだと思います。

人間の人となりにおいて文化や歴史は少なからず影響を与えるものですが、自分の意思とは関係なく世界に存在しています
私達の日常において楽しませたり困らせたりしてくれる様々な出来事は時に偶然のような顔して、時に必然だと言いたげにランダムに発生します
ここまでは「よく練られたシナリオ、考えられたイベント」で作れます。つまり「おもしろいRPG」にはこういうものが備わっているものです。いわゆる世界観やシナリオというものですね。
オープンワールド足らしめるものである最重要なものが「しょうもなさ」です。私達は無限のしょうもないものに囲まれて生きています。その殆どは興味が湧くまで無関係で、興味が湧かなけれ知ろうともしないものです。このしょうもなさを箱庭にぶちまけたものがオープンワールドです。

■あなたを許容し迎えるための有象無象達
Falloutは核爆弾によって滅びたあとの世界を探検するゲームです。目的はシリーズ毎により様々ですが「一応の最終目標と設定されている」というものでしかありません。


The Elder Scrollsも架空の剣と魔法のファンタジー世界で「なんらかの厄災をくい止めるか倒すか」という最終目標がある以外は何をどうするかというのはコントローラーを握った人間が考えて決めて行動するゲームです。


例えば、現実において読書家であるプレイヤさんは世界中に散りばめられた尋常ならない数の書籍を収集し所蔵することを目的に世界を放浪しつつ、そのついでに世界を救ってもいいというのがオープンワールドです。その一連の行動がシームレスに連続した体験としてもたらされます。世界を救った書物コレクターさんの一連のものがたりはその人だけのものです。

こういうロールプレイの一形式は、しばしば「アイテムをコンプリートするプレイスタイル」と比較されますが、そういうものとは違います。本の存在には意味はあっても攻略やゲーム進行において殆どの場合無価値です(時々ヒントが入っている本もあります)。そういったものを「集めたいな」と思わせるにはテキストに魅力が必要です。ある連続モノの小説の1冊をたまたま入手して気まぐれに読んだがために全部揃えたくなってしまうような「何か」です(完璧に備えていなくても構いません)。
それと出会ったとき、ゲームの世界にいながらにして単なる読書家として本を集めて回る人間がそこにいます。設定資料によって造られたキャラクターではなく、その人の本質的な趣向で能動的に動くものです。書店を探しますか?古本屋?それとものフリマ?行く場所がそういうリアルなものから地底深い洞窟に隠された宝箱や滅んだ文明の遺跡にある巨大図書館といったものに変化しただけのことです。

陶器や工芸品が好きならそれでいいですし、現実世界では体現できないような破壊衝動をこの世界にぶつけてトンデモイ大罪人になってもよいのです。そういう遊びをするには先程の本の例のような「なにか」が必要です。それが興味を持つまでどうでもいいようなしょうもない有象無象達、能動的に関わってみてはじめて興味をかきたてられるような存在たちです。
それが自分の好きなものであるからとか、意外と高く売れると気付いたからとか、理由も動機も人それぞれで構いません。
なにもモノである必要もないですし、特定のキャラクターにこだわってみたり、自分の好きな町を贔屓にしてみたり住んでみたりでも構いません。意味なんかなくてもいいんです、もともとしょうもない有象無象としてそこに存在するだけのものですからね。
意味を感じたから、有意なものとして自分の目の前ある、ただそれだけのことです。

このような観点でみると自分の人生もオープンワールドゲームのようなものです
少々現実的すぎて娯楽としてはつまらないですが




■まとめ
そういう趣向のゲームなので、文化的な言葉ではまとまりません。ものすごく抽象的で曖昧な「なんか合う、なんとなく合わない」といった趣向よって評価は大きく左右されますし、「仮想世界の様々な体験」をストレスなく円滑に進めるための「出来のいいシステム」が必要です。しばしば操作性などにおいて、この出来不出来が問われます。

Fallout4の発売を控えていますが、発売前情報を仕入れた限りは過去作とは比べ物にならないくらいの「良質なオープンワールドRPG」になりそうです。
楽しみすぎて長文が止まりません