私の人生に最も影響を与えたミュージシャンを一人挙げろと言われたら迷わず選ぶ『まっさん』の年越しコンサート。まっさんが喉の検査でファイバースコープを突っ込まれて嘔吐反射にオエッとなっている最中に医者から記念写真を頼まれて芸能人のサガでピースサインを出してしまうコンサートトークネタ、狂おしく好き。アンコールで『20周年までは保証します!』と言っていたまっさんが、50周年を突破した今でも現役&『夏・長崎から』の再開&NHKで不定期の冠番組を持っているとは流石に想像出来ませんでしたが、当時の私は『映画でこさえた30億前後の借金を抱えながら15年も活動を続けているのは凄いな』と感じ入っていたものです(ちなみに映画の借金は2010年に完済)。
そういう理由もあってか、若い頃からどんなことでも15年続けられたら凄いという謎の区切りを持っていた私も先日、ブログの開設から15年を迎えることが出来ました。改めて長年の御愛顧を皆様に感謝すると共に、今回の更新を以て一つの区切りをつけたく存じます。別にブロガー与力29歳+〇〇〇カ月、更新終えたら即引退スペシャル!とかいう物騒な話ではなく、今まで以上に本格的な不定期活動に移行するということです。10周年の時は『スローライフな余生モード』への移行でしたが、今回の活動計画を例えるならば、
『原付ベトナム縦断1800キロ』終了後の『水曜どうでしょう』
をイメージして頂けると判りやすいかも知れません。流石に更新の間隔が数年単位に跨ることにはならないと思いますが、一カ月に1回あるかないか程度にはなる予定。
不定期活動に移行する理由の6割は『腰』。昨年末に一時は立って歩くことすら儘ならないほどに痛めたにも拘わらず、職場の人員不足でドクターストップ寸前での出勤を余儀なくされた影響か、未だに尾を引いて定期的にギックリを繰り返す有様で、ブログ記事の執筆で2時間も椅子に座っていると痛みで集中力を欠き、翌日の仕事に支障が出るまでになってしまいました。これは本格的に腰を労わらないと老後がヤヴァイと思い、今回の決断に至った次第。3割は『仕事』。今年後半から全く異なる業務が激増するため、仕事帰りに記事を書く余裕は今まで以上になくなると思われます。ヘタするとまたメンタルを病みそう。
そして、残りの一割は『達成感』とまではいかなくとも、自分がブログで伝えたいことは粗方書き尽くしたかなという『解放感』ですね。特に今年の前半で英宗の歴史記事を描けたのは、それこそ『水曜どうでしょう』の『21年目のヨーロッパ21ヵ国完全制覇』のようなものかも知れません。断捨離中に見つけた自分の子供の頃の夏休みの宿題の残りを説き終えたような気分。勿論、リチャード獅子心王&フィリップ尊厳王、カミーユ・クローデル、カール14世ヨハン、山縣有朋、郭再祐と他にも描きたい人物は沢山いるけど、英宗に関しては『一度は小説にしよう』と心に決めていながら数十年間放置していた経緯がありましたので。
また、うちのブログのメインストリームである大河ドラマも西郷どんとかいうスィーツ大河の断末魔以降、あのテの作風はトンと鳴りを潜め、優劣好悪は別として毎年それなりに楽しめる作品が続いており、ツッコミメインの私のレビューの方向性が通用しなくなってきているのが逆に喜ばしいかぎり。まぁ、来年はちょいとスィーツ系でアヤシイ&再来年はイデオロギー的にアヤシイ雰囲気がなくもありませんけど、大河ドラマ放送前の私の危惧は大抵外れるというのがウチのブログのジンクス(除く『花燃ゆ』)なので、両作品共に面白くなってくれることを期待しています。
そして、老荘系アナーキズムと御手洗潔的男女平等論に基づく歪んだ思考で時事ネタを書き綴る拙ブログが大きな炎上を起こすことなく、15周年を迎えることが出来たのは偏に読者の皆様の御厚情のおかげです……というか、私は何故か旧Twitterのほうが炎上率高いのよね。今年の初めも『べらぼう』の件でプチ炎上したので。旧Twitterで観測気球を上げて問題なさそうならブログで記事にするという、通常と真逆のことをしているからでしょうけど、それはさて置き、今年は3年ぶりにオフ会を開こうかと友人と協議中ですので、御都合の合う方は是非、御参加頂けると幸いです。
最後に改めて長年にわたる皆様の御愛顧に篤く御礼申しあげます。とはいえ、今後も更新の頻度が下がるだけで記事の方向性が変わる訳でもないので、此処から先は通常と同じように最近見た作品のレビューとか時事ネタとかやります。今回のテーマは3つ。
終戦80年目の節目を迎えた2025年。ちなみに終戦の80年前は土佐勤王党の武市半平太が切腹した年です。江戸は遠くになりにけり。今年もNHKでは太平洋戦争関連の特番が多数組まれましたが、そのクオリティはクッキリと明暗が分かれる結果になりました。まずは『明』のほう。
若い頃から『戦争の記憶の風化を憂うる人が為すべきは、現在進行形で起こっている戦争をありのままに伝えること』というドラスティックな思考をしている私のストライクゾーンど真ン中に火の玉ストレートをブチ込んできた良作。前半で九野和平が語る長崎での凄絶な体験談が中盤でグルリと裏返り、仕事を辞めて借金を抱えて全国を飛び回ってインタビューを続けてきた主人公が自分の志に疑念を抱いた後半、或る女性の過去が『語り部』の意義を改めて呼び起こし、更に終盤で九野の体験談が一つの仮説と共に昇華される展開は圧巻の一言。戦争の記憶の尊さと危うさを同時に描いたサスペンスドラマでした。戦後80年の節目によくもこんな『際どい』作品をやったものだと感心頻り。
特にエグかったのは『今昔物語集』を語り部のメタファーに用いたこと。これ、昔の人が恐怖を鬼に喩えたように、また、久野の体験談がそうであったように『そこに悪意があろうとなかろうと本人の意思に関わりのないところで記憶は時と共に変質し得る』ことを表しているんですね。ぶっちゃけ、終盤で主人公が見た『仮説を昇華する夢』も真偽は不明であり、自身の活動を意義のある行為だと信じたい当人の希望的解釈が見させた無意識の産物の可能性だって充分に有り得る。『記憶』が『聖域』になってはいけない。それが100%の善意に基づくものであろうとも『記憶』を『事実』とするには『検証』が必要不可欠。逆に言うと『検証』を経た『記憶』は『記録』という堅牢な存在に成り得る。この辺、一歩間違うとボロクソに反発を食らいかねないラインをギリッギリで掠めるようにサラッと触れて、あとはシンプルなストーリーと俳優陣の演技力に委ねた作劇、ホンマ好き。特に阿部サダヲがヤバい。凄い。上手い。仄暗い闇の底の覗き込むような人物を演じさせたら大泉洋と並ぶ双璧ではないかと思う。『カラオケ行こ!』と共に下半期ベスト10の有力候補。
一方の『暗』はこちら。
太平洋戦争の帰趨を予測するために召集された戦前日本の選良チームの奮闘を描くシミュレーションドラマ。原作もフジテレビ版のドラマも未見の作品ですが、本作の査定には何の影響もなさそうなので、スルーしても宜しいでしょう、多分、恐らく。兎に角、
会議シーンが面白くない&会議シーン以外の要素をゴリ押しし過ぎ
に尽きます。あれだけの俳優陣を揃えているんだから、主人公の過去とか身内の出征とか余計な要素を排除して、ついでにBGMや演出を極力省いて、シミュレーションとディベートに全振りして、台詞自体は『このままだと負けちゃいますねー』『あーそだねー』くらいのノリで淡々と喋らせて、密室感を醸成すりゃいいんですよ。資料と会議が主役なのに他の要素で盛り上げようとしちゃ駄目。佐藤浩市の東条英機、奥田瑛二の木戸幸一、北村有起哉の近衛文麿、松田龍平の昭和天皇という豪華or完璧過ぎるキャスティングをして、この程度のドラマしか作れなかった制作陣こそ、キチンとした事前のシミュレーションが不足していたとしか思えません。特に松田龍平は自らが置かれた境遇に対する様々な憤懣や感情を内に秘めた『あ、そう』を台詞に出来る稀有なキャスティングであった筈なのに……個人的な好悪の感情は別として、本作は東條視点をもっと増やしたほうが絶対に面白かった筈。プロジェクトチームには『アメリカには勝てない』という正論で突きあげられ、軍部には『早う開戦しないと組織が保たん』と圧力をかけられ、ついでに過去の自分の言動にそこそこ自縄自縛される憂き目に遭う、作劇的には美味しいポジションになったんじゃあないでしょうか。も一遍、この配役の日本首脳部で別のドラマを撮り直しません?
それと題材的&根本的な矛盾を孕んだ要求するようで気が引けるんですけど、本作の会議が盛りあがりに欠けた最大の要因は、
開戦しなかったらどうなったか
が殆ど議論の俎上にあがらなかったことではないかと思います。AかBのどちらを選ぶかではなく、Aを採用するか否かだけではプレゼンも盛りあがらんわな。史実は兎も角、ドラマとしての面白さを追求するのでしたら、開戦しなかったルートの予想にも相応の尺を費やして貰わないとね。確かに米帝に喧嘩を売ったら210%負けるのは間違いないのですが、開戦を回避した場合は『遅かれ早かれ軍部のクーデターで詰む』か『欧米に圧力をかけられて外交的に詰む』かのどちらかであろうことは想像に難くなく、そうなると議論自体が分岐点でなく消失点を選ぶ行為になってしまうのよね。どちらを選んでも詰むとしたら、詰まずに済むにはどこまで遡ればいいのか、或いは何時まで耐えたら活路が拓けるのか。消失点のチョイスではなく、分岐点の探求こそ歴史の教訓であり、その辺を棚にあげて『戦争の原因は軍部や社会が生み出す空気という名の社会的圧力』という結論を引き出しても始まらないと思います。要するに『何らかの結論ありきで話を進める』点は軍部も本作も同じ穴のムジナであり、制作スタッフは過去の出来事よりも自分の頭の上に集るハエの群れを追うことから始めるべきと愚考仕る次第。
あと、作中で陸軍が開戦前から夏用の軍服を用意していた話を聞いた主人公が『俺らの議論ガン無視で最初から戦争する準備してんじゃん!』とキレていたけど、いざ、開戦時に夏用の軍服がなかったら『準備不足だろ!』と批判される訳で、この辺もモニョッとした要因の一つ。
次はこれ。
先日装鉄城さんとお会いした際に『プレべらぼう』という触れ込みで御貸し頂いたDVD―BOX。某誠意大将軍の御乱行で現在に至るも事実上の地上波お蔵入り状態が続いている徳川幕府第八代征夷大将軍が主人公の大河ドラマで、リアタイ視聴以来、数十年ぶりに見返したら思っていた以上に誠意大将軍の出番があって、確かに再放送は難しいかもと改めて絶&望しました。
さて、流石に三十年前の大河ドラマともなると再視聴前の記憶は中村梅雀の名演と中井貴一の伊達男ぶりと包帯取ったら西田敏行の3点くらいでしたが、今回の再視聴では確かに装鉄城さんが『プレべらぼう』と仰ったように『べらぼう』の長所と短所が相対的に浮き彫りになってくるように思いました。長所は政治パートの充溢ぶり。特に『八木将軍』と揶揄された吉宗の生涯を語るうえで欠かせない米価対策の政策描写は本作の肝であり、これを見るだけでも『べらぼう』の解析値が一桁あがります(個人の感想です)。『べらぼう』では序盤からカネ塗れの社会が強調されていますが、何故、武家政権の徳川幕府が商人のフィールドである貨幣経済に乗って来たのか、否、乗らざるを得なかったのかの経緯が不透明なままでストーリーが進行しているところがあるので、この辺は『吉宗』並みに力を注いで『カネ』に対する実務レベルの政策描写が欲しかったところ。今年の大河ドラマは『町人文化大河』であっても『商人大河』ではないと思える所以ですね。ちなみに幕府が何故、貨幣経済に対して嫌悪感を抱くようになったかは『元禄太平記』の贋金騒動で描かれているそうで、大河ドラマは『歴史』の合わせ鏡なのだと改めて感じ入った次第。
逆に短所というか、現代向きではないなぁと思ったのは意外にもオリジナルパート。ジェームス三木大河って、どの回から見ても楽しめる金太郎飴のような大いなるマンネリ感が信条ですが、流石に政治パートの綿密さに比べると、毎回重厚ながらも淡々と同じようなことを繰り返しているオリジナルパートは安定感と引き換えに胃凭れを禁じ得ませんでした。一つには吉宗の対立軸や悩みの種となる宗春や家重が後半も後半、35話前後にならないと本格的に始動しない&宗春は意外と早く退場してしまうのが原因。吉宗の重農政策の何が至当で何が失策であったのか、それを計る格好の人物である宗春の掘り下げが決定的に不足していたかな。それと近松門左衛門の教養ヒケラカス悪ノリの姿勢も些か鼻につくのも確か。ついでに中トメで雑に束ねられたOPクレジットの扱いが象徴するように、魅力的な女性キャラクターが不在というのもありますね。黒木瞳とかOPクレジットの位置が毎度毎度ブレブレでしたので。ただ、ジェームス御大の凄みは、
ここで挙げた欠点を全て『葵~徳川三代~』で改善してくる
のよね。『対立軸』と『魅力的な女性キャラクター』は志麻姐さんを主人公格で冒頭から投入することで同時に解消して、ナレーション兼解説者には光圀一人ではなく、助さん格さんを補佐につけることでボケとツッコミというか、質問に対する説明という形でイヤミなく視聴者に伝える。この尋常ならざる修正力の高さは『吉宗』と『葵』の両方を見て初めて判ることで、大河ドラマ自体が一つの『歴史』であると思える所以でしょう。
最後はこれ。
最大限控えめに評してもルネッサンス以前&退廃芸術展以下の難癖としか言いようがない報道に端を発した旧Twitterでの騒動。つい最近まで『同じ裸でも漫画やアニメと芸術は違う!』と宣っていた表現規制界隈が、本件以降、あっという間に『芸術品でも裸は公共の場から排除しろ!』『私たちは裸婦像が当たり前にある社会に我慢させられてきた!』と主張し出すの、ホンマに記憶と歴史の改竄がグロい。表現規制界隈が唱える『ゾーニングによる棲み分け』なんて御題目を信じるほうがバカということが改めて証明された点だけは喜ばしいのかも知れません。『美術館にある分には問題ない! 公共の目に触れる場所に置くな!』という主張が通るとしたら、美術展の広告もCMも打てなくなるんですが、その程度のことすら理解出来ないのか、理解したうえでツブしに来ているのか、多分、前者でしょう。そのうち、日本でも欧米のように規制の口実をエロやグロに留めず、自分の気に入らない歴史上の人物の像を破却しろと言い出す輩が公然と現れるのではないでしょうか。現に『第二代内閣総理大臣と、その友人の蝦夷共和国総裁の銅像は海中に投棄されても仕方ない』と真顔で語る歴史好きの方もおられますので。怖い怖い。
このテの表現規制界隈の恐ろしさって、自分たちが進歩的で寛容な価値観の持ち主であると信じて疑わないくせに実際には、
と同レベルのディストピアを目指していることに気づいていないことでしょう。ヘタをすると『公序良俗健全育成法の何が間違っているの?』と反問されそうな恐怖すらあり、このテの界隈に自分たちの所業のナンセンスさを説くのは至難の業ですが、その意味で、
相互フォロワーさんの強い推薦で視聴を始めた今季夏アニメの本作は一つの解答になり得るのではないかと思います。未見の方に本作の概要を一枚の画像で伝えると、
毎回、この画像と【ピーッ!】音が全体の尺の3割近くを占めるという制作陣のカロリー効率がよいアニメで、具体的には、
人口減少に歯止めをかけるためのドスケベ条例の施行でいつでもどこでもドスケベセ〇〇スが推奨されるばかりかドスケベセ〇〇スしないと『非性産者』として厳罰に処される島で自身と妹を守るために『反交尾勢力』を勃ちあげた少年の革命録
です。『待ってくれたまえ、言葉の洪水をワッと一気に浴びせかけるのは』思った方も多いでしょうが、作中では女性キャラクターの口から世界には37億本ものチ〇ポがあるのにそのうち一本しか味わわないとか人間としておかしいんじゃない?みたいな台詞がフツーのテンションで垂れ流されているので大丈夫、じきに慣れます。個人的には主人公を影から助ける謎の組織の声が大御所・森功至さんなのが一番ジワる。ミッターマイヤーさぁ……。
まぁ、エロを題材としたディストピア作品は『下ネタ~』のように性的表現が禁じられた社会を舞台にするのが定石であるのに対して、本作は逆にエロを強要する社会になっていることがミソ。要するに本作も表現規制界隈もドスケベセ〇〇スを強制するか排除するかの方向性が真逆なだけで本質的には同じであることを理解させるには、こうしたミラーリングが有効ではないでしょうか。男女逆転版『大奥』が誰であろうと権力の毒に侵された者は陰険で残忍なことをする点で男女は平等だよ(ニッコリ)という強烈なミラーリングでジェンダー論争に一石を投じたのと同じように思います、思えない?
標準更新最後の記事のラストが、よりにもよってドスケベセ〇〇スというのは我ながらどうかと思わないでもありませんが、逆に何ともウチのブログらしいという気がしないでもありません。今後とも宜しく御贔屓にお願い致します。














