『おんな城主直虎』第二十五回『材木を抱いて飛べ』感想(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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丸太が主人公の『最後の切札』という彼岸島のような展開になった今週の『おんな城主直虎』。何をいっているのか判らねーと思うが、書き起こした私も本編を見ていなかったら何も判らねーと思う。いい意味でも悪い意味でもカオスな内容でした。ゴクウをメインマストに括りつける場面も『持衰』という、嘗て方久がやっていた『解死人』に似たマニアックな逸話なのですが、吹きつけたのは完全なる向かい風。恐らくは切りあがり性能の高い縦帆船なのでしょう。どこまでも逆風に向かって突き進むことになる本作の井伊家に相応しい船種といえそうです。武田信玄のキャストも正式発表となり、井伊家への向かい風感が弥益ばかりとなった今回のポイントは4つ。

 

 

1.必然

 

役人「商人共が店そのものを移しているという話もございます。気賀のほうが気儘に商いできる、と」

 

武田に対する塩留という経済制裁を継続中の今川家。しかし、生活必需品への統制政策とは必ず、闇商人の跳梁と新たなる販路を生むのが歴史の法則。経済とは命令通りに動かない自儘な生き物のようなもので、むしろ、統制する側の支配力を蝕むケースもしばしば。国家財政の逼迫を塩税で補おうとしたにも拘わらず、塩の密売で勢力を蓄えた黄巣に滅ぼされた唐が好例ですね。まぁ、ゼニの流れを完全に放任する政策というのも、行き着くところは泡沫経済なので、統制経済の全てが悪い訳ではないのですが。今回の今川の塩留という経済政策も、結果的には塩を手に入れるための沿岸部を目指す武田の南下を後押しする形になるのですよね。経済制裁は立派な政略の一つですが、いざ、軍事衝突を招いた際の備えがないのでは、単なる挑発行為に過ぎません。今は塩留の効果に御満悦の氏真も、

 

外交戦とは勝利すればよいというものではない

 

ことを、のちに嫌というほどに思い知ることになるのです。

 

 

2.気質

 

虎松「虎松は考えておりまする! これが判らねば、虎松は但馬には一生勝てませぬ!」

小野政次 (*゚∀゚*)パアァ

 

『何故、斯様な有様になったか、お判りですか? 何処が間違いの始まりであったか、お判りですか?』とドS気質丸出しで虎松の育成に励む政次。しかし、虎松も己の悪手に必死で思いを巡らせるという、実に素直な反応で応えてくれます。これには政次も(*´Д`)ハァハァを禁じ得ません。よき教師、よき教え子の肖像ですね。負けそうになったら鞘で盤面を崩す、ド素人同然の若君をフルボッコにして悦に入るという某真田家の人々は見習うべきだと思います、マジで。

そんな虎松を焼き鏝作業に誘おうとする主人公ですが、昊天が評するように何でもかんでも一番乗りしたがる虎松はピクリとも食指を動かさずに盤面を見入っていました。これが関ケ原の伏線……? よし、今年は昨年の分も関ケ原をやれよ(無茶ブリ

そして、何でも一番になりたがる虎松の気性を逆手に取った誘い文句で、一本釣りに成功する主人公。今回は虎松といい、主人公といい、成長の跡が窺える場面が多かったのは好印象でした。キチンと頭を使っている感じです。まぁ、追い込まれてから頭を使うよりも、最初の段階で取引先を見極めておけよと思わないでもないですが、ロクでもない失態を犯しては、そのフォローのハラハラ感で視聴者を惹きつけるのは『独眼竜政宗』に代表される大河の伝統だからね、仕方ないね。

 

 

3.粗忽

 

今川氏真「いよいよ、その時が来たということじゃ」

 

岐阜の破壊王ならぬ、戦国のファンタジスタの口から飛び出す時は来た宣言。色々な意味で目を逸らさざるを得ない黒のカリスマ・小野政次。尤も『時は来た』といっても、武田に攻め込むとか、織田を滅ぼすとかではなく、直虎を後見人から引きずり下ろす口実を見つけたという、微妙にスケールの小さい話でした。そこまで喜々として語るほどに、今川が井伊に煮え湯を飲まされた経歴があったとも思えないのですが、戦国のファンタジスタは若年の頃に蹴鞠対決に敗れた怨みを忘れていなかったのかも知れません。小さいね。

さて、直虎を後見人から引きずり下ろす口実として選ばれたのが、井伊家が売った材木が三河に流れていたというもの。確かに軍事物資になり得る素材を他国に流すのは好ましくないかも知れませんが、種子島密造や竜雲丸雇い入れの一件と異なり、気賀の商人を通じた正規の取引なので、そこまで文句をいわれるのもどうかと思います。問題は流通次第で敵国に渡るかも知れない軍事物資に、わざわざ自家の焼き印を入れて喜ぶという直虎の粗忽さのほうでしょう。焼き印さえなければ、某マー君の鶺鴒の花押宜しく、幾らでも追及を躱すことができたでしょうに……この辺は北条家に魚屋(ととや)の刻印の入った鉛を売り捌いた昨年の宗匠の迂闊さに近いものがあります。逆にいうと、天下の利休居士でさえ、ついうっかりやらかしちゃったレベルの失敗なので、鄙の国衆に過ぎない直虎が同じ間違いを犯しても、やむを得ないといえるかも知れません。

 

 

4.名場面&珍場面

 

小野政次「俺の手は冷たかろう」

井伊直虎「……うむ、血も涙もない鬼目付じゃからのう」

 

だが、それがいい。

 

『熱に火照った顔には、その冷たさこそが心地よい』と前田慶次がドヤ顔で宣言しそうな今回の名場面。冷たい手を当てられた直虎も、決して『心地よい』と口に出さないところに好感を持てました。竜雲丸との材木入刀よりも余程、機智と品を伺わせるやり取りです。やはり、なつさんには悪いが、政次には直虎が一番の伴侶なのか。何れにせよ、政次は今後半年くらい手を洗わないと思います。エンガチョ。

一方、一番アカンかったのは、肝心の材木を積んだ輸送船を押さえる場面。あんなにダダッ広い大海原のド真ん中なのに、鍵縄で乗り込まれるまで竜雲丸一味の接近に気づかないとか、迂闊。井伊家の焼き印入りの材木を三河に流した直虎並みに迂闊。相当な人数で乗り込んできた&誰の着物も濡れていなかったので、小舟で接舷した訳でも、況してや各々が泳いできた訳でもなく、輸送船と同等クラスの船に乗ってきたと考えるのが最も妥当な線ですが、何故、乗り込まれるまで感知できなかったのか。あの頭の悪い筋書きに定評がある『平清盛』(6:4で褒めています、念のため)でさえ、序盤のパイリーツ・オブ・瀬戸内海編では朝靄に隠れて、海賊船に接近していたという設定を用いていたのに比べると、この辺の件は何とかならなかったものか。それこそ、

 

こんな時こそ竜宮小僧の出番

 

ではないのでしょうか。輸送船を視界に納めつつも、下手に接近すれば逃げられるという状況下で、ふと、不思議な童の雰囲気と共に叢雲が海面を覆い、船への奇襲が成功する……こういう筋書きであれば、竜宮小僧という摩訶不思議な伝承の使い出もあると思うのですがねぇ。実に勿体なかった。まぁ、この辺は摩訶不思議な天祐ではなく、自力で困難を乗り切った感を出したかったのかも知れませんが、それなら、そこに至るリアリティの描写には心を砕いて欲しいものです。

 

 

 

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