『八重の桜』第26回『八重、決戦のとき』感想(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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いやぁ、凄かった。何が凄かったかって、


OPのキャストクレの1/3弱が亡くなりました


からね。概算で14/48くらい? 富野由悠季カントクや田中芳樹センセも真っ青の皆殺しっぷり。『次回以降のクレジットどーすんだよ』とか『幾ら何でも死なせ過ぎでしょ』とか思いましたが、史実なんだからしゃーない。中には六平さんみたいに死んだと思っていたら次回予告にも登場していたりと、今回は色々な意味で衝撃があり過ぎました。平常心で感想を書けるか我ながら不安ですが、何とか挑戦してみます。


1.ヒロイン出陣


幼馴染の時尾とのフラグ回収とか、ヒロインの『弟と共に戦う』という台詞が、そのまま、照姫の想いに重なる構成とか、単純な技術としても丁寧なつくりなんですが、ここで特筆しなくちゃいけないのは、やはり、ヒロインの演説でしょう。


①女の出る幕じゃねーとかいうが、そーゆー古臭い発想が今日の事態を招いたんじゃねーのか!

②大体、この戦いに男も女もねぇ! 女だって、男と同じように今までの状況に耐えてきたんだ!

我が山本家の銃火器技術は会津一ィィィィィ! 出来んことはなィィィィ!

④女だって故郷を守りたいんだよ! 殿様の役にたちたいんだよ! 家族の仇を討ちたいんだよ!


大体、こんな感じで周囲を説得します。ともすると従来型の主人公のように悪い意味で周囲に崇められるような印象を与えかねない場面でしたが、かねたんやGOなどの従来型粗悪品主人公は第1話から既に上記の状態であったのに対して、今作のヒロインは物語が折り返しを迎えた第26話で初めて、


「会津御家老衆に一言、物申ーす!」


と口にしたわけですよ。そこにはリアル視聴者時間で半年、実に25回分のタメがある。男女の別を厳しく躾けられてきた経歴がある。兄貴や旦那の献策を蔑ろにされてきた鬱憤がある。そんじょそこらの男よりも戦の役にたつ技術=鉄砲の腕を鍛えてきた実績がある。それゆえ、この場面の何とかギリギリで成立しました。出来れば、ここでもヒロインが主張を無碍にされて、実戦の中で徐々に周囲の信頼を獲得してゆくのが好ましかったですが、贅沢はいえません(一応、今回でも現場の人間に支持されてゆく流れはありましたしね)

もう一つ、重要なのはヒロインが実際に最前線で戦う場面をふんだんに盛り込んだことですね。言葉は行動に裏打ちされて、初めて説得力を持つ。生半可な戦闘場面では上記の台詞も上っ面の言葉に堕してしまい、視聴者の共感を得るのは難しかったと思います。でも、ヒロインが血と硝煙に塗れながら戦う姿を予想以上の時間を費やして描いてくれました。


今までの積み重ね今回の戦闘描写


このダブルコンボがヒロインの言動に説得力を持たせていたと思います。

ただし、ヒロインの言動は実戦的ではあっても、建設的な方向を指していないんですね。照姫からは『会津の魂を込めて撃て』とのありがたいお言葉を賜りましたが、実はヒロインが銃に込めているのは復讐(ペイバック)と狂気(ポスタル)です。ぶっちゃけ、三郎の仇討ち。不幸中の幸いなことに、ヒロインは『それ』を実行できる道具と技量を備えていましたが、我々はヒロインの銃が会津戦争を勝利に導けなかった事実を知っています。要するに会津武士の魂が上洛~鳥羽伏見の敗戦の間の短い栄華を誇っただけであったように、ヒロインの銃の技量も知識も会津戦争の一ヶ月間という刹那に燦めく光でした。鶴ヶ城落城ののち、ヒロインが銃の代わりに何を自らの光として人生を模索していくのか。そういう興味が尽きませんが、今は時代外れの徒花のように戦場に咲いたヒロインの姿を追おうと思います。


2.錯綜する情報


物語性に富んだヒロインの描写とは一転するように、リアルに描かれていたのは会津城下の混乱っぷり。城に入れない者、敵軍襲来の報を受けて自刃する者、娘子隊を結成する者。実に様々でしたが、これらの一切の原因は会津の危機管理能力諜報能力の欠如によるものです。

先回の感想でも書きましたが、兎に角、会津の大本営に入ってくる情報の鮮度が生腐りと評してよいほどに古いものばかりでした。一説には本営に届いた情報はリアルで一日半も昔の内容という信じがたい話もあります。母成峠が破られたとの報が届いた頃には猪苗代城が危機に陥っており、母成峠への対策を講じている段階では十六橋が突破されかけており、猪苗代への援軍を派遣しようとした段階で、既に前線総司令部の滝沢本陣が包囲されかけているという、素人目にもダメ過ぎなのが一発で判るお粗末さ。そうした情報収集&解析能力の欠如は城下の人間への避難勧告の遅れを招きました。本編では会津の生命を賭した抗議として描かれていた武家の婦女子の自刃ですが、実際は半分以上が新政府軍の侵攻が早過ぎて城内への退避が間にあわず、敵の手にかかるよりはと自ら生命を絶ったのが実情です。会津には敵がどの地点に侵攻してきた段階で籠城戦に移行するかというプランもマニュアルもありませんでした。全てが状況に流されるがままの出たとこ勝負。政略と戦略の違いこそあれ、京都時代と何も変わっていません。

中野竹子たちが結成した『娘子軍』も『会津坂下に退避した照姫の護衛』のために入城しませんでしたが、実は照姫が城外に出ていなかったのは劇中で描かれていた通り(時尾さんが城内にいるしね)。情報不足が招いた錯誤でした。この誤解がなければ次回で描かれる中野竹子の悲劇も起きなかった筈です。尚、劇中では描かれなかった欝になる逸話を付記させて頂ければ、ヒロインが何度も足を運んで負傷者の治療にあたっていた野戦病院も何の避難勧告もないままに放置されたため、患者たちの殆どが退避できずに自刃、乃至は焼死したそうです。

それにしても、責任者たちのノープランっぷり、情報不足から生じる誤報と虚報の錯綜、知らず知らずに悲劇に巻き込まれる無辜の人々という構図は冗談抜きで近年の【禁則事項です】を想起させずにはいられません。製作者が意図して描いているのか、それが人間の救いがたい習性なのか。意図しているとすれば、かなり、ヤバい橋を渡っているぞ。


3.人、死なんとするや……


上記のように実は不測の事態の結果として生じた武家婦女子の集団自決ですが、最大の例外は西郷頼母一族二十余名の集団自刃。劇中で板垣退助が、


「この屋敷は城の真ン前」


と述べていたように&私も実際に会津に足を運んだ際に確認したように、筆頭家老たる西郷頼母の屋敷は本当に鶴ヶ城の真ン前にあるんですよ。如何に新政府軍の侵攻が早くても、この場所から城に逃げ込めない筈がない。更にいうと会津武士の婦女子全員がイザという際には自刃せよと命じられていたわけでもありません。佐々木只三郎の実兄で新選組結成の恩人の一人でもある手代木直右衛門の妻子は『危急の時は何をおいても生き残れ』という亭主の言葉に従って城外へ脱出していますので、自刃=婦女子の誉というわけでは必ずしもないんですね。

劇中では西郷家の集団自刃は『新政府軍の没義道な侵攻への抗議』という設定でした。これはこれでアリだと思います。実際、西郷家の位置と手代木家の行動とかを考えると従来通りの名誉の自刃という解釈よりは遥かに納得できました。ただし、実際問題としては、以前に記事 にしたように家長である西郷頼母を冷遇した松平容保に対する面当ての意図があったとしか思えません。面当てという言葉が悪ければ抗議でしょうか。西郷家は京都での労苦を経験していない&白河城の戦いで敗北した分、家中での発言力が弱い。主の面目を保つためには他の家と同じように、頼母の家族からも政争、戦争の犠牲者を出す必要があった。少なくとも、千恵子はそう考えていたと思います。

堅苦しい解説はここまでにして、今度は重苦しい物語のほうへ話を進めましょう。


西郷千恵子「なよ竹の 風にまかする 身ながらも たわまぬ節は ありとこそきけ」


これ、日本史で二番目に好きな辞世の句なんだ。日常から詩文を嗜んでいるからこそ、一地方領主の家老婦人でも、これほどの辞世の句を詠むことができたのでしょう。つくづく、武士階級の教養の高さは侮れない。その教養を進歩性に向けることができなかったのが会津の悲劇の一因でもあります。ちなみに一番は大内義隆の辞世の句。下の句に義隆の人間性の全てが出ているしなぁ。

それはさて置き、生命を捨てて会津の冤罪と新政府軍の没義道を天下に訴えるために皆で死にましょうと気丈に一家をまとめる千恵子さんの姿で充分に涙が滲みましたが、末娘の、


「今日は何をすんですかぁ?」


の一言で涙腺決壊。あー! もー! 子供の使い方が卑劣なまでに巧過ぎる。覚馬のMIAが伝わった時もそーだったよ! 卑怯だよ、こんなの! 泣くに決まっているじゃん! そりゃあ、千恵子さんも幼子相手じゃ、


西郷千恵子「よい処へゆくのですよ。皆で逝く旅だ。何にも恐ろしいことはないからな」


としかいえないよな。何、このプチ壇ノ浦みたいな展開。波の下にも都はございますってか。何の分別もない幼子まで巻き込まなければいけなかったのかと思う反面、そこまでの犠牲を払わなければ、主君に対する夫の面目がたたなかったのも確か……というか、これほどの犠牲を払っても、結局、頼母の意見が容れられることのないまま、会津戦争は終わってしまうんですよね。何だ、このモヤモヤ感。

そして、有名な新政府軍の将官が西郷細布子を介錯する場面。通説では屋敷に入ったのは土佐の中島信行(初代衆議院議長)とされていますが、現実には中島は会津戦争に参加していなくて、でも、細布子の死はしっかりと記録されていて、今もって『誰なんだよ、コイツ!』という状況にあります。そんな事情もあってか、劇中では板垣が中島の代役に抜擢されました。まぁ、無難な選択。しかし、板垣君も細布子相手に味方のフリをするのはいいですが、


土佐弁丸出しで会話する


のはいかがなものでしょうか。あれ、完全にバレてると思うぞ。最後には部下に名前を呼ばれたのも聞かれていたしね。


4.無限の欝軌道


西郷家の集団自刃に続くのが飯盛山。何、このリバーブロー⇒ガゼルパンチ⇒デンプシーロールを思わせる再起不能に直結しかねない連携。視聴者に怨みでもあんのか。それはさて置き、今回の飯盛山は通説とは違っていましたね。通常だと、


「お城が燃えてるー!」⇒「もうダメだー!」⇒自刃


なんですが、今回は、


お城が燃えてるー!」⇒「よく見ろ。燃えているのは城下町だ」⇒「よし、俺たちも城に戻ろう」⇒「でも、途中で敵に捕まったら、殿の面目丸潰れだぞ」⇒「お城への方途は敵に塞がれているじゃん」⇒「もうダメだー!」⇒自刃


おぉ、間に随分と挟まっている。近年の研究を踏まえた流れだ。まぁ、史実では小一時間ほど会議を開いたうえでの結論なんですが、そこまでドラマで再現する必要はないでしょう。これで充分です。

重要なのは赤文字の部分で一同が腕に巻いた白い布を握り締める場面。先回、白虎隊の出陣に際して容保が下賜したものですね。容保としては少年たちの心の支えになればと与えたものが、肝心の場面で彼らを死に導いてしまうという展開。日新館で虜囚の辱めという概念が教えられていた描写は殆どなかったので(むしろ、彼らが死の間際に吟じた詩の作者である文天祥は虜囚となっても節を屈せずに死んだことで名を千載に残しました)、この容保が下賜した布は彼らを自害に追い込む装置として非常に効果的な機能を果たしたと思います。何にせよ、


よかれと思ってしたことが全部裏目に出る


という今年の大河ドラマの主題(?)が、ここでも忠実になぞられていました。


5.大人の仕事


そんなわけで西郷邸と飯盛山での自刃はかなりいい出来であったと思いますが、それでも、これらは悲劇であり、絶対に美談にしてはいけないという主張もキッチリと盛り込まれていました。女子供を目立せた分、ワリを食うのは大人の役目。即ち、直後の神保内蔵助と田中土佐の自刃がそれです。

まず、京都守護職を拝命した時に腹斬ってればなーと歎息しあう場面。ハッキリいってイマ=サラです。京都守護職まで遡らなくても、世良修蔵の一件あたりで家老の上から三人ばかりが腹を斬っておけば何とかなった可能性もあった(実際、長州は何とかなった)うえに、単純な武器の違いのみならず、純粋な軍略面でも事態を悪化させておいて、この歎息。剰え、最期に徳川のためでも幕府のためでもなく、信じる会津のために戦えたのは幸せであったとお互いを慰めあいますが、一介の武人としては兎も角、家老としては失格です。

次に会津藩でも三指に入る両名が揃って自刃したことで、以降の戦闘指揮や戦後処理の責任の一切を若い人間が背負うことになります。大人の仕事とは若者に全力で動ける環境を整えて、そのケツを持ってやることなんですが、そーゆー役目を果たさずに自害してしまいました。残された者は指揮立案と実務調整の双方を同時に見なければならず、これでは満足に働くことはできません。更に戦後処理の面では上位の人間の責任を若い者が負わなければいけないということでもあります。ランテマリオ会戦でビュコックの自決を制止したチュン・ウー・チェンの判断がそれですね。実際、新政府は会津に敗戦の責任として首謀者三名の首級を要求しますが、頼母は不在、土佐と内蔵助が早々に自刃したため、家格では第四番目のアバヨこと萱野権兵衛が一切の責任を負って切腹することになるのでした。土佐も大蔵や官兵衛や平馬じゃなく、権兵衛の心配をしてやれよ。

かなり、辛口の批評をしているという自覚はあります。しかし、両名の『生まれ変わっても会津で会おう』というのは、どう考えても白虎隊士にいわせるのが至当の台詞です。それを家老クラスの両名に口にさせたのは西郷邸、飯盛山、内蔵助&土佐の自刃を敢えて同列に置くことで、家老二人の自刃が立場にそぐわないものであったと論じたかったんじゃないかと思いました。


6.最後の死


斯様に様々な人々の死が描かれた今回でしたが、〆はヒロインの死。勿論、生命活動上は死んでいませんが、当時の人々が身分や性別、境遇で定められた髪型を崩すことは精神上の死に等しい行為であるということは、このブログで何度も指摘してきた通りです。況してや、時尾さんが口にしたように『髪は女の生命』といわれていた時代ですしねぇ。

あ、余談ですが、ヒロインと尚之助が自分たちの城垣を内側から砲撃して砲台を確保したやり方。原作版ナウシカのクシャナの作戦を思い出しました。士官学校の答案なら0点です。


はい、冒頭で懸念したように完全にまとまりのない感想記事になりました。戦闘という大河ドラマで一番盛りあがる場面なのに完全な欝展開という矛盾が影響しているのか。それでも、次回は掛け値なしのフィーバータイム到来です! 勿論、


六平さんが生きてた!


山川大蔵の彼岸獅子


ですよ! 『八重の桜』の制作発表を知った時から『絶対にやれよ!』と言い続けてきた場面ですので、すっげぇ楽しみ。つーか、これを見逃すと@2ヶ月くらいは全く楽しい逸話のない内容が続くと予想されますので、今年の大河ドラマを完走する覚悟をお持ちの方は絶対に見て元気を補給しましょう。多分、次の給水地点はジョーの出番までないと思うんだ。