『平清盛』第44回『そこからの眺め』感想(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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今回は平重盛の死と治承三年のクーデターがメインでした。

結論から書いてしまいますと、重盛の死は異論反論はあれども面白かったですが、クーデターのほうは色々と端折り過ぎで物足りなかった。何度も述べていますがホームドラマパートの充実ぶり政治劇の脆弱さが善くも悪くも今年の大河ドラマなんですね。今回は前置きは短目。早速、本編の感想いきます。


今回は伊豆パートからスタート。


もう大姫生まれてるよ。


先回花嫁の父への挨拶で今回すでに子供誕生とか、ペース早いな。まぁ、話の進行の都合仕方ないんですが、頼朝も政子も子供の世話にかまけて、東国の豪族との折衝は全部時政任せはいかんでしょ。やることやってから子供と遊べよ。せめて、政子が子供をあやす傍で頼朝&時政が豪族たちと会談という構図にできなかったものか。残念です。

それと、その姫の生涯を思うと胸が痛むのよね。これは平家サイドの言仁親王も同じ。年端もいかない子供が政治の濁流に飲み込まれるのは見ていて辛いわ。今現在が健やかに育っている分、余計にね。


場面は変わり、平家サイド。


もう重盛が死にそうだよ。


今回、色々と展開早過ぎ。いや、判るよ。重盛の生死で平家と院との関係が崩壊するという危機感を煽りたいのは判る。でもさぁ、今までの重盛の辛さとか考えたら死なせる前の僅かな小康の間に夫婦水いらずの時間を過ごさせてやりたいじゃん。ついでに、その場面に主人公orゴシラ院が碌でもないことやらかしたという急使が来て、最期の団欒が終わる展開のほうがドラマティックじゃん。そういう緩急(メリハリ)がドラマのうねりを生むんじゃないかな。明らかにドSの脚本家さんですが、鞭だけじゃ真のSとはいえないんだよね。時には飴も与えないとね。本作の重盛はマジで救いのない終わり方でしたのでね。


先回ラストで口にしていたゴシラ院のラストカード。それは麻呂響鬼でした。主人公の息女の盛子が相続した藤原摂関家の所領をボッシュートして、本来の持ち主である麻呂響鬼に返還する目論見。一見、悪辣な企みに思えますが、そもそも、盛子の相続を承認したのはゴシラ院ですので、それを変更する権能もゴシラ院にあるのは当然。批難される謂れはありません(つーか、律令国家であるからには、建前上、全ての土地は皇族のものだしね)。平家の力を削ぐと同時に、所領問題の調停で宮中での院の影響力を誇示するのも目途でしょうが、清盛の反撃を考慮しているのか? 家族思いの清盛であれば、息子の病状を虞り、自分との対立を避けると読んでいるようですが、それって、一度タガが外れたらとんでもないことになるんじゃないのか? 実際、作中後半ではそうなったしね。


盛子の死に乗じて『摂関家の土地返せ』とドロンジョ様に直談判する麻呂響鬼。腰が軽い。時忠とのやり取りはそれなりに面白かっただけに、朝議の場で時忠とサシで対決させたほうがよかったんじゃないのか。ついでに、麻呂響鬼に迫られた時のドロンジョ様の対応も温過ぎる。仮にも『ゴッドファーザー』の正室なんですから、ここは『極妻』レベルの啖呵で対抗して欲しかった。


自らの死期を悟った重盛君。

近しい一族を集めて、自分亡きあとの平家の行く末を託します。特に目立った台詞や演出はなかったんですが主人公よりもはるかに平家の棟梁としての務めを果たしてきただけに、平凡な言葉にも重みがありました。未見の視聴者に主役の重盛が死ぬ回と嘘をついても気づかれないレベルだと思う。忠盛パパの最期を思い出してしまいましたよ。ここで終わらせておけば安らかに逝かせられたものを……流石にドSの脚本家さんはやることが容赦ねぇ。


既に自力で体を起こすこともできなくなった重盛の元に現れたゴシラ院。


ゴシラ院「重盛……斯様に窶れおって……。何時ぞや、清盛はわしを攻めようとするを生命掛けでとめてくれたそうじゃのう。そちの忠義にはわしも頭を垂れるほかない」フカブカー

平重盛「もったいのう……ございます」ウルウル


待て、早まるな。

これはゴシラ院の罠だ。


コイツがこんなに素直な男じゃないことは、親父とコイツの間で四苦八苦していた君が一番よく知っていた筈じゃないのか。


ゴシラ院「今のうちにいいたいことあらば、何でもわしに託すがよい」

平重盛「わが父・清盛の国つくりを見守って頂けることをお約束頂けますれば、重盛、思い残すことなく……死ねましょう……」

ゴシラ院「あいわかった! 約束しようぞ!」

平重盛「ありがとう……ございまする」


ゴシラ院「ただし、コレ(双六)で勝てたらな!」ドン!


まさに外道。


死にかけの相手に双六勝負挑むとか何考えてるんだ、コイツ。重盛が死んで一番困るのはアンタじゃないのか。しかし、本作のゴシラ院はそーゆーキャラだから仕方ないよね。重盛は重盛で融通のきかない人間だから、病を押して勝負するしかないしさぁ。勝負の場面とかシンドくて見ていられませんでしたよ。圧倒的強者が力に任せて弱者をいたぶるような一局。双六というよりも鷲巣麻雀の世界だよな、これ。賽の目の一投一投に重盛の生命と血と汗と涙が滲んでいるかのよう。


ゴシラ院「ほれ、早うよい目を出さんと負けてしまうぞ。平家の安泰は……望めぬぞ」


まさに外道。


駆けつけた清盛によって勝負はとめられますが、ゴシラ院の暴走はとまらない。


ゴシラ院「懐かしゅうなってのう。丁度、四十年前じゃ。そちと双六をした。わしが勝ったら、重盛、そちを貰うという約束でな」

平重盛「」

ゴシラ院「幼いそちが賽を振り、清盛は負けを免れた」

平重盛「」

ゴシラ院「そう、そちの身を守るは、そち自身しかおらん!」

平重盛「」

ゴシラ院「母を亡くし、弟を亡くし、父は修羅の道を往く物の怪。そちは生まれた時から一人で生き、一人で死んでゆくのじゃ! そう運命められておるのじゃ」ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャ


まさに外道。


誰よりも平家を思い、平家のために身命を擲ち、今、生命の灯火が消えんとしている重盛に『オマエは平家に何の恩も受けていない。そんなものに生命を費やすとはムダな人生だったな』と吹き込むとか。今回はマジでゴシラ院に殺意が湧いた。案の定、ゴシラ院が去ったのち、重盛の口から出た言葉は、


平重盛「疾く……死なばや(早う……死にとうございます)


治承三年七月二十九日。平重盛、逝去。享年四十二。


うーむ、こういう死なせ方かー。

一応、逝去の一ヶ月前に後白河法皇が重盛を見舞ったことも、重盛が常から『疾く死なばや』と漏らしていたことも事実ですし、そこから逆算した脚本だと思うんですが、ちょっとコレは救いがなさ過ぎじゃねーのか? 同じいじられ役の崇徳院のラストでさえ、それなりに救いがあったのに(やはり、あれは怨霊鎮魂なのか)、重盛は可哀想過ぎる。同じ『早く死にたい』でも、死に瀕した重盛の手前、一時的に清盛とゴシラ院が和解の態を示して、それを見た重盛が『この関係が続いている間に逝きたい』という意味で『疾く死なばや』と呟いてもよかったと思うんですよ。しかし、徹頭徹尾、親父と院の尻拭いという損な役回りで終わり。まぁ、史実の重盛もそんな感じですので間違ってはいないんですが、そこはドラマですから、僅かでも救いが欲しいじゃないですか。そもそも、ゴシラ院が重盛をいたぶる動機が見えませんしね。本作のイカれたゴシラ院でなければ成立しない場面。この脚本家さんのことですので、キャラクターに対する愛が欠けていたとは思えませんが、その愛が完全にドSの形で発露してしまったのが残念無念。

でも、まぁ、何で権力の絶頂を極めた男の息子が『早く死にたい』といいながら世を去ったかという答えには一応なっていましたし、このあとに起きる治承三年のクーデターの動機として機能していますし、何よりもゴシラ院(と重盛)初登場の場面を回収した手腕は見事ではあったと思います。


重盛を喪った宮廷では早速、反平家勢力が攻勢に転じます。麻呂響鬼による重職独占。先だって院の元に返還させられた盛子の所領は藤原摂関家へ。何よりも清盛をキレさせたのが亡き重盛の所領ボッシュート。これはキレるわな。清盛と院の間を取り持っていた重盛の功績を無視する所業だしさ。史実の清盛も、これが一番キレた理由じゃないかと推察します。ついでに劇中では重盛を憤死に追い込んだゴシラ院への私憤もプラスされて倍率ドン! 更に倍!


かくして、完全にキレた清盛は大軍を要して入京。


平清盛「法皇は関白と謀って国を乱しておる! 即刻、処断すべし!」


麻呂響鬼、関白解任&太宰権帥に左遷。尤も、実際は途上で出家して備前国に留まることを許されています。成親と違い、餓死に追い込まれることもありませんでした。更に反平家と思しき廷臣を追放&その知行国を平家のものとします。そして、遂にゴシラ院を鳥羽離宮に幽閉。名実共に国の頂きにたちます。清盛の心境は、まさに、


~ Literacy Bar ~-運命の車輪


でしょう。実際、今は第三部ですしね。まぁ、完結どころか、ここからが平家下り坂MAXなんですがね。


ただし、劇中における治承三年のクーデターは抜け落ちた点が多々あります。

まず、追放or解官された公卿たちの中に平頼盛がいたこと。頼盛は重盛と共に院に近い勢力であり、清盛のクーデターに反感を抱いていた可能性が高い。今回のクーデターに際して、平家は必ずしも一枚岩ではなかった。このことを描くうえで頼盛の存在は欠かせなかった筈ですが完全スルー。口煩く一族を支える役割はどうした

次に結構な重職にある人物が粛清されていること。それも、手首を斬られるとか、追い詰められての一家心中とかの残酷な手法によってです。先々回の西光へのストンピングをやったくらいですから、こっちもちゃんと描いて欲しかったなぁ。

そして、知行国の強引なボッシュートが在郷豪族の反発を招いたこと。それこそ、劇中で北条時政の屋敷で飲んだくれている三浦義明などは、こうした確執が原因で頼朝に合力するわけですし、何より、物語の冒頭で時政が『平家の世は長くない』と予言したのですから、その発言をラストに繋げてもよかったんじゃないかと思います。試みにいえば、ラスト付近で言仁親王が開けた障子の穴の向こうを伊豆パートの場面に繋げるとかね。

まぁ、今回は国の頂きに登りつめた主人公で〆るのが正道とも思いますので、在郷豪族云々の件は次回でもいいのかも知れません。以仁王の乱も所領をボッシュートされたことが原因ですしね。きちんと触れてくれることを祈りましょう。


意外なこととしては聖子ちゃんが唐突に退場。


祇園女御「遂に登られましたな。この世の頂きに。いかがにございますか? そこからの眺めは?」

平清盛「何も遮るものがなく、至ってよい眺めにございます」

祇園女御「もう……お会いすることもございますまい」

平清盛「(;゚Д゚)!」


振り向いた先に聖子ちゃんの姿はなかった。この意図はよく判らんのですが、敢えて推察すれば清盛VSゴシラ院の双六対決は決着したという暗喩なのかな。聖子ちゃんは清盛とゴシラ院の間でゲームマスターの役割を担っていましたしね。ゲームマスターが退いたということは、もう、勝負は決したということなのでしょうか。一応、まだまだ水面下では清盛と院の対決は続くんですがね。

ほかの可能性としては、清盛の生母が祇園女御という通説に一応の敬意を表したのかも知れません。息子が天下人になったのを見届けてから姿を消す母親という意図はあり得なくもない。祇園女御は劇中で清盛の実父とされる白河法皇の寵妃でしたから、そっちの意味では精神上の母親ともいえるしね。


もう一つ、気になったのは大事なことだから5回言いましたみたいに何度も繰り返された&サブタイトルにされている祇園女御の言葉。孫の言仁親王が開けた障子の穴から外を眺める主人公の画で〆でしたが、これの意図もよく判らない。何か元ネタとかあるんでしょうか。

一番ベタな受け取り方をすれば、この国の頂の眺めは別段、特別なものではない。息女を自宅に招き、孫のオイタで空いた穴を嬉々として眺める。そんなことは別に権力者でなくても、普通の祖父さん祖母さんでもできる。そういう感じに思えましたが、それではあまりにも芸がないですよね。或いは頂に登り詰めたがゆえに、清盛の視野が極端に狭くなっている(障子の穴程度しかない)ことへの警句なのかも知れませんが、こちらもよくあるパターン。すみません。この場面は読み解けなかったです。


そんなわけで遂に国の頂点に登り詰めた主人公……ですが、次回から既に下り坂。有名な以仁王の乱の勃発です。今回が人生のピークだったらしい。諸行無常。盛者必衰。キーポイントはリアルラオウが以仁王に与するに至る経緯が如何に描かれるかです。


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