『へうげもの』第38話『淀川、黄昏。』感想(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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『利休めは とかく果報者ぞかし 菅丞相になると思へば』


お吟(歌を素直に受け取れば『罪人となっても充分果報者ゆえ、謀などせずともよい。いずれ、菅原道真公が如く祀られよう』との意。されど、父上の業をあわせ読まば、検閲を逃るるため。道真公を祟神と解せば、私に祟りを起こせとの示唆……! 関白さまを葬れば私の一命も尽きましょう。先に冥途でお待ちしておりまする)


いや、君があわせ読んでいるのは君自身の業だから。

君の身体に流れる松永久秀の叛逆者の血がそう思わせているだけだから。


この場面は哀しいですね。

宗匠は既に誰をも巻き込まない覚悟でいるのに、娘のほうが父の業を深読みしてしまう。その結果、娘の死という父親が最も望まない結末を迎えてしまう。唯一の救いは宗匠が最期まで、お吟の死を知らずにすんだことかなぁ。

ちなみに上記の歌は本当に宗匠が詠んだものです。ただし、宛て先は実の娘のお亀であったといわれています。こういう史実に一捻りも二捻りも加えて、新しいフィクションを創作する『へうげもの』の素晴らしさを改めて感じた場面でした。


今回は当の宗匠が諦めた筈の秀吉謀殺計画を巡る様々な人々の水面下の動きが描かれました。兎に角、全員が全員、何らかの企みを抱えているものですから、武将も美女も皆、何処かのカットで三白眼になっているのな。何だ、この誰得な演出。けしからん、もっとやれ。

一番凄かったのはお吟でしたが、三成も相当なものでしたね。主君の生命を危険に晒してまで、秀吉に宗匠の処分を迫るとか、この作品の三成の黒さは異常。まぁ、全ては秀吉が宗匠の正式な処分を下すことができないままに鶴松と戯れているとか、定期テストの前の学生みたいに現実逃避していたのが原因なんでしょうが、それにしても黒い。流石に己の生命を脅かされた(と思い込んだ)秀吉は宗匠に切腹を命じます。三成のいう通り、切腹は武士の特権ですから、秀吉としては宗匠に名誉ある死を与えることで自らのうしろめたさを払拭したかったのでしょう。


細川幽斎「老いたか……」


宗匠を見送りに向かおうとする忠興VS戦国のオーガ&雄山こと細川幽斎。忠興の右ストレートをかわしざま、足を払った幽斎でしたが、忠興は足払いで受けた勢いを利用した回転式の足刀(ニールキックか?)で父親をKO。こんなもん絶対にありえない光景ですが、幽斎の武勇伝を鑑みると完全に否定できないのが怖い。尚、そのあとの場面で忠興と織部だけが追放された宗匠を見送ったというのは史実。どれがホントでどれがウソか判らなくなってきそうですよ。


千利休「私好みの侘び数寄は限界だが、その美は世から世へ形を変えてでも続いてゆかねばならん。そのひとつの答えが、この歪んだ花入だ。『笑い』の力とは力強きもの…死を目前に強張る心をも和ませようとは……私には叶わぬが、これを至高へと高めるものがおるとすれば……」


歪んだ花入に自分を見送りにきた織部と忠興の必死の姿を重ねる宗匠。必死さに可笑しみを覚える感覚はアニメ版の最終話以降の展開に続く伏線ですので、原作未見の方は是非、ご覧下さい。


豊臣秀吉「何故、鳴かなかった……? 何故、何れも余を愛さぬのだ……?」


不意の襲撃に際して、香炉の千鳥が鳴かなかったことに苦悩する秀吉。これは巷説に伝わる石川五右衛門の秀吉暗殺未遂事件が元ネタなのです(ただし、伝承ではキチンと鳴いたことになっています)が、この『へうげもの』の中では別の意味もあります。それは本能寺で信長の危機に際して香炉の蛙が鳴いたこと。 似たような状況にありながら、信長の時は香炉が鳴り、自分の時には鳴らなかった。自分が人間だけでなく、名物からも愛されなくなったことに愕然とする秀吉の姿は自業自得とはいえ、痛まし過ぎます。


島左近「この者、口を割りましょうか?」

石田三成「何もいうまい。大泥棒にでも仕立て上げ、釜茹でにするがいい。治安を守るための見せしめにな」


石川五右衛門誕生の瞬間。


劇中では秀吉暗殺未遂犯は家康が放った刺客でしたが、これを石川五右衛門の話と結びつけるとは思いませんでした。原作で読んだ時には『こーきたかー!』と膝をうったものです。

この石川五右衛門も長く実在が疑問視されていましたが、近年、その名前が記されたイエズス会の宣教師の日記が発見されたことで存在が確定しました。それまでは架空の人物の可能性が高いと目されていたわけですね。まぁ、確かに戦国の人間のデタラメさは他の時代と比べても群を抜いていますからねぇ。史料が残っていなければ鬼武蔵や小田氏治の逸話なんて誰も信じないでしょう。やはり、史料をきちんと残すことは(古代インドのような特殊な環境を除いて)文明社会を名乗るうえでの最低限の条件なんじゃないかと思います。

ちなみに石川五右衛門を煮殺した釜は戦前まで東京の刑務所協会に保存されていたそうですが、戦時中、何処かに消えてしまったとのことです。空襲で焼失したのか。或いは金属類回収令で軍事物資に使われてしまったのか。詳細は不明です。


次回は愈々最終回!

二十一世紀の漫画史上に残ること間違いなしの名(迷?)場面を如何に描くのか?

来週は必見ですよ!


今回のタイトルの元ネタはこちら。

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