『へうげもの』第29話『関東サーヴァイヴ』感想(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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千利休「……おのれ、よくも、よくも、真の侘び数寄の芽を……!」


原作の再現度が極めて高かったです。


山上宗二の死。そして、それを受けた宗匠が復讐鬼と化す場面。

ここ、非常にむずかしい場面なんですよ。原作では全く台詞のない描写が丸々6頁に渡って描かれています。画そのものも止め画に近く、派手な動きはありません。そのことによって、逆に宗匠が受けた衝撃や噴きあがる憤怒、三成の冷徹さを読者に伝える……というか想像させるわけですね。非常に高度な技術なんです。そして、原作ではそれに成功しました。

しかし、アニメはやはり動きや音があってナンボですから、それをマネするわけにはいかない。じゃあ、どうするかといったら、まず、不吉な音楽で場の雰囲気を醸し出す。次いで、原作とは異なり、三成を宗匠の正面ではなく、背後から接近させることでホラー感を演出する。ついでに、宗匠の手元の灯りも下から煽るような角度に配置することで、これまた、ホラー感を漂わせる。そして、宗二の首級の描写をギリギリの角度まで挑戦する。この際、画面の色彩を反転させることで、宗匠の受けた衝撃を強調する。トドメは宗匠を演ずる田中信夫さんの呻き声の凄まじさ。『川口浩探検隊』以来、長年、田中信夫さんの声を拝聴してきましたが、あんな声は初めて聞きました。それほどに調子外れな、それだけに宗匠の衝撃が伝わってきました。今回は最重要と目されていたこの場面が成功したことで満点に近い構成になったと思います。


豊臣秀吉「この出でたちを評してみよ。余がお気に入りの出でたちを評してみよ」

山上宗二「………………当世にはふさわしゅうないお召しものにて」

豊臣秀吉「………………これ以上、余に『努力』をさせるな……殺れ」


山上宗二処刑の原因となった場面。史実では単に宗二の悪口癖が秀吉の機嫌を損ねてぶった斬られたと記されているだけですが、劇中では秀吉と宗二の美意識の埋められない齟齬が生んだ悲劇として描かれていました。秀吉のほうは宗匠の助命嘆願を聞き入れてやってもよかった。上田佐太郎が宗匠に師事したいと願い出た際の対応からも、この時は北野大茶湯ほどに宗匠との亀裂が顕在化していたわけではありません。そして、宗二のほうも己の偏見を捨て、武人との間にも一座建立の美が生じることを悟っていました。しかし、武人への偏見に拠らない曇りなき目で見ても、秀吉の出でたちは宗二には悪趣味そのもの。これを認めることは己の生命ともいうべき『美』への拘りを自ら殺すことと同義です。それゆえ、宗二は秀吉の装束を認めなかった。秀吉も己の美意識と天下人の面子にかけて、宗二の言動を認めるわけにはいかなかった。これ、秀吉の一方的な圧力に見えて、美の一面では対等な交渉ではなかったかと思います。秀吉は自らの権能の許す範囲で手を差し伸べ、宗二は己の信条に基いて、それを振り払った。そういうことなんじゃないんでしょうか。

余談ですが、秀吉と宗二の対面の場面。原作では時刻を表す描写はありませんでしたが、アニメでは宗二は夕日、つまり、西に向かって座らされているんですよね。仏説に『仏は西方十万億土にあり』と説かれており、当時の切腹の場合は大抵、西を向いて腹を切りました。要するに、ここで宗二は殺されますからという暗黙の描写だと思いました。


古田織部「たいした男よ。幾年、幾百年先には……あの男の志も報われるやも知れぬ」


決してウマのあう仲ではなかった織部と宗二でしたが、その死には感慨深げな感じです。実際、ここで織部が述べたように、山上宗二が書き残した書籍の多くは織豊政権時代における茶の湯や千利休の言動を知るうえで、まず、一級品の資料として珍重されています。山上宗二の志は現代にも息づいているのです。


さて、ちょいと息苦しい話になってしまいましたので、軽めのネタをひとつ。今回二度目の登場を果たした戦国DQN四天王筆頭候補伊達政宗。以前の記事でも書いたように、彼は宗匠や織部から茶の湯の指南を受けた一端の文化人(を自称する人間)でありながら、さまざまな茶器や業物、掛け軸などを極めて個人的な衝動でブチ壊す文化財クラッシャーでもありました。中でも最も有名な逸話がこちら。

ある日、政宗は縁側で家宝の天目茶碗を手にとり、しげしげと眺めておりました。ところが、何のはずみか、手を滑らせた政宗は危うく、家宝の茶碗を地面に落として割ってしまいそうになったのです。幸い、茶碗を抱きとめることに成功した政宗でしたが、何を思ったのか、


伊達政宗「茶碗の分際で俺をビビらすとは何事ぞ!」


とばかりに茶碗を庭石にぶつけて粉々にしてしまったのです。どう見ても八つ当たりです。本当にありがとうございました。しかし、その様子を周囲の家臣たちに目撃されていたことに気づいた政宗は、急に荘重な態度に変わると、


伊達政宗「俺が茶碗を割ったのは八つ当たりではない。俺は高価な茶碗を割ってしまうことを恐れた己の器量の小ささに腹がたったのだ。俺が割ったのは茶碗ではなく、己の情けない心なのだ」


とどう考えてもムリのある講釈を垂れる始末。モノはいいようとはこのことですね。まぁ、こうした口八丁手八丁があったからこそ、豊臣、徳川という巨大政権に睨まれながらも所領を安堵できたといえなくもありません。


今回のタイトルの元ネタはこちら。♯1『I Will Survive』です。

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