ダグザ=マックール「意地でも借りでもない。自分の心に従っただけだ。歯車にも生まれるのだな、望みというものが……おまえは私の希望……託したぞ、バナージ!」
濃度200%の完成度。
もう、原作にあったガエル=チャンの出番は何処にいった? とか野暮なツッコミを入れる気になれないほどに面白かった。第2巻ではフル=フロンタルの活躍に力点を置いたために些か雑になっていたエピソードの取捨選択が今回はバッチリできていたと思う。オードリーとミコットの絡みも原作とは異なるオリジナルエピソードだったが、私個人としてはアニメ版のほうが判り易くて好きだ。本音をいえば、ガエルの活躍もキチンと描いて欲しかったが、60分という時間枠じゃ仕方ない。『坂雲』といい『Black Lagoon』といい、何故、私の好きな作品は絶対ムリとしか思えない時間制限が課せられているんだ? 取り敢えず、劣悪時代コスプレショー『江』の残りの時間枠と予算を『UC』含む三作品に回せ。
今回の主題は『組織という名の箱』。
連邦軍も袖付ことネオ・ジオン軍も目途や性質の違いこそあれ、組織という一点においては共通している。そして、組織という奴は世界を改善するためにつくられるものにも拘わらず、それが形成されると同時に、その組織の網で掬いきれなかった者たちを排除する機能が働くようになる。地球の環境を改善するためにつくられた連邦政府が宇宙棄民政策を実施したように、また、宇宙棄民たちの待遇改善のために建国されたジオン共和国が、人類の半数を死に至らしめる一年戦争を起こしたジオン公国に変貌したように。そうして、何時しか組織をつくった本来の意義を見失い、組織を維持することが目途になってゆく。マリーダの『(MSを)操縦しているつもりが何時の間にか操られている』という言葉はそのメタファー。その象徴こそが『ラプラスの箱』。誰もが箱の中身、つまり、何の目途でつくられたかを知らないままに、ただ、箱の存在を畏れ、敬い、奪おうと躍起になる。まさ『箱』という名の組織。そうした皮肉と呼ぶには深刻過ぎる世のありようを、この第3巻ではダグザ=マックールとバナージの会話で表現している。
ダグザ「(ラプラス事件の)当事者など、もうひとりも生きてはいまい。生き残っているのは箱を畏れよというしきたりと、そのうえで保たれてきたビスト財団との共生関係だ」
バナージ「しきたり……?」
ダグザ「個人の力では変えられないし、変えようとする気すら起こさせない。どんな組織でも起こることだ……が、かといって、維持存続の本能に呑み込まれた歯車を悪と断ずることもできない」
ここでダグザが述べているように、作者はそうした組織の性質を必ずしも悪と断じていない。既存の組織に生まれ、或いはその禄を食んできた人々にとって、組織を維持することは生きることと同義である。この辺りは第2巻のバナージとマリーダの会話にも通じるものがある。
しかし、組織が病み衰え、益よりも害を垂れ流すようになった時には、その組織は打倒されなければならない。その辺りのことはダグザも心得てはいるが、如何なる名医でも自分で自分のオペを執刀することができないように(BJを除く)、既存の組織に属している人間には自らの団体を倒すことは心情においても困難である。じゃあ、誰が旧弊を除くのかといえば、それは(ベタではあるが)組織とのしがらみの少ない、
若者の力
なわけだよ。そういう時、社会のしがらみに囚われたオトナにできることは、その若者が敵であれ味方であれ、今の世を背負っている大人の生きざま、散りざまを見せて、新しい時代を背負うことの覚悟を問うことなんだよ。1stガンダムのランバ=ラルなんか、その典型だよ。今回のダグザも、
ダグザ「歯車には歯車の意地がある。おまえもおまえの役割を果たせ」
という名言を残してバナージの捨て石になるわけだ。燃える。第2巻のベストシーンである礼拝堂の場面は泣ける話だが、今回のベストシーンは燃える話。しかも、暑苦しく静かに燃える大人の漢の話だ。だが、それがいい。
そして、大人から未来を託された若者がなすべきこと。それは、まず、ダグザのように現実を徹底して見据える覚悟を持つこと。これはだいぶ先の話になるが、オードリーが『不満があるから変えたいというのでは、暗闇で泣いている子供と同じです』と述べているように、しっかりと地に足をつけた思考を持つ必要がある。そして、そのうえで、
マリーダ=クルス「たとえ、どんな現実を突きつけられようと……『それでも』……といい続けろ」
の言葉のように突きつけられた世の中の矛盾や欺瞞に屈することなく、変革への途を諦めないことが大事であると物語は説く。福井晴敏さん、素敵やん……メッチャええ話やん……。欲をいえば、
ダグザ「あまり考えるな。コイツを操縦して、調査に協力してくれればそれでいい。『箱』の正体がなんであれ、おまえのような子供が自分の未来と引き替えにするほどの価値はない」
の台詞は入れて欲しかったな。アレこそ、宇宙世紀一のツンデレ漢、ダグザ=マックールの面目躍如の台詞だったのだが……まぁ、ガエルですらカットされてしまったんだし、コレは仕方ないか……と、色々と書いてきましたが、これらはあくまでも物語の中での話です。物語と現実世界の改革や革命を同一視する意図はないので悪しからず。
思わぬ長話になってしまった。まるで反省していない。残りは雑感。
ミヒロ=オイワッケン「エコーズより入電。『オブジェクトボールはピラミッドスポットに置かれた』です」
唐突なビリヤード用語。これ、原作を読んでいないと判らないと思うが、今回のパラオ攻略戦の作戦名は『ビリヤード作戦』。複数の小惑星で構成されたパラオの連結部を爆破。ネェル=アガマのハイパーメガ粒子砲で小惑星の一つを弾き、他の小惑星に衝突させて軍港の封鎖を狙うというもの。尤も、その作戦はフル=フロンタルに看破されており、大多数のMSは外に出ていたから、ネェル=アーガマは待ち伏せを喰らう格好になった。バナージ帰還後の艦内でタクヤが3Dビリヤードに興じていたのも、作戦名のメタファーというわけだ。
バナージ=リンクス「オードリー、ひとつだけ教えてくれ。それは君が『やりたい』ことなのか?」
オードリー=バーン「……ええ、そうだと思う」
バナージ=リンクス「判った……リディ少尉! 男と見込んだ! オードリーを頼みます!」
リディ=マーセマス「……殺し文句だな」
第2巻でのバナージとオードリーの遣り取りを踏まえた会話。ミネバ=ラオ=ザビが『やらなければならないこと』ではなく、オードリー=バーンが『やろうと決意したこと』を尊重するバナージの姿勢。背中がムズ痒くなるような若者らしい青臭さが堪らない。しかし、ぶっとい釘を刺されたな、リディ。
フル=フロンタル「NT-Dを発動させるには、ニュータイプと思われる者をぶつけるしかない。ユニコーンガンダムにはサイコモニターを取りつけた。NT-Dの発動によって開示される『箱』のデータを傍受する。ラプラスプログラムが解析できない以上、順当にシステムの封印を解いていくのが早道だ。そのために連邦の内通者を利用して、あのバナージという少年をユニコーンに導きもした。キャプテンに伝えずにいたことはすまないと思っている」
全ては赤い彗星の掌の中。絶対にすまないとは思ってないだろ。悪い男だ。
マリーダ=クルス「私がわからないのか!」
クシャトリヤのファンネルの操縦権(?)を強奪するユニコーン。ファンネルという、ニュータイプ専用のサイコミュ兵器の優位性を根底から覆す、まさにNT-D(ニュータイプ・デストロイヤー・システム)の名に相応しいMS。これ、F91やVでサイコミュ兵器が登場しないことから逆算した設定だと思う。冨野監督はロボット同士のチャンバラをやるためにミノフスキー粒子の設定を考えたのに、サイコミュの登場でその醍醐味が喪われたのが嫌だといっており、CCA以降の作品ではファンネルを封印したのだが、今回の場面でサイコミュ兵器が用いられなくなった『物語上の説明』をつけたわけだ。確かに自分のファンネルは何時、敵に操られるかを考えたら、サイコミュ兵器なんか使えないよな。『UC』と『F91』の間にマフティー動乱時のファンネルミサイルというものがあるが、コレは映像化されていないから、取り敢えずは棚にあげておく。
フル=フロンタル「プルトゥエルヴ、それが彼女の名だ。クローニングと遺伝子改造によって造り出された人工のニュータイプ。12番目の試作品」
プルトゥエルヴ「マスター、死んじゃったの? 何で?」
グレミー=トトのシルエット、キタ―――!
そのあとのプルトゥエルヴことマリーダ=クルスの辿った過酷な半生もギリギリのラインで表現できていた。スタッフ、素晴らしい。しかし、プルシリーズといい、ネェル=アーガマといい、ハイパーメガ粒子砲といい、この『UC』は宇宙世紀ものでは黒歴史に近い扱いをされがちな『ZZ』から色々な要素を持ってきている。こういう再評価みたいな描写は素直に嬉しい。
というわけで、OVA版機動戦士ガンダムUCも折り返し地点に到達。原作全10巻のうち、5巻のラストまでいったから、小説版ともシンクロしている……が、こっから先の展開は60分×3巻ではムリだろ? せめて、最終巻は120分の拡大版になることを切に望んでいる。
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