『平清盛』と松山ケンイチ ~或いは一視聴者の戯言~ | ~ Literacy Bar ~

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2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』の主役に松山ケンイチ氏の抜擢が正式発表された。

尤も、今月の初旬には既に話題になっていた案件であるから、驚かれる方は多くないと思う。清盛に松ケンかぁ。普通は大きいほうの松ケン(松平健)が頭に浮かぶよね。その意味では、NHKは初っ端から視聴者を驚かせることには成功したといえる。

私としては、

「天智と天武の抗争から始まる『壬申の乱』をやれ」

「世界史上初のレディースノベル長編小説である『源氏物語』はまだか」

「日本史DQN四天王筆頭候補の『足利義満』を待っている」

「本格ピカレスク巨編になること請け合いの『足利義教』でもいいぞ」

「戦国のミスター・パーフェクトこと『立花宗茂』が見たい」

「キャスティングは『龍馬伝』据え置きのままで『高杉晋作』はどうだ」

と常から愚痴を零していただけに『平清盛』というチョイスに不満がないわけではない。源平時代はタッキーの『義経』をやったばかりだからなぁ。ただし、戦国~幕末~戦国~幕末のエンドレスエイトを思わせる無限ループから脱したことは評価したい。

一方、松山ケンイチというチョイスに関しては、詳しい論評は差し控えたい。私が松ケンの演技をキチンと見たのは『デスノート』のLと『D・M・C』のクラウザーさんだけだからだ。その二作品のみから感じた印象は『灰汁の少ない器用な役者』というイメージである。役を曳き寄せるのではなく、役になりきるタイプ。これまで、主役を張ることの少なかった平清盛の新しい人物像を描くには好適の役者かも知れない。

それでも、油断は禁物である。大河ドラマの出来不出来は主演俳優で決まるものではない。脚本や演出やプロデューサーといったスタッフの善し悪しで決まるのだ。近年の大河ドラマの中で、主演俳優の存在感が物語の屋台骨になった作品は渡辺謙氏の『独眼竜政宗』くらいである(だからこそ、あのドラマは大河史上に残る名作なのだ)そして、スタッフの善し悪しは如何なる心構えで作品に対するかに掛かっているが、会見の記事の中でプロデューサーが気になる言葉を口にしていた。


(清盛の)悪いイメージを一掃する(キリッ)」


違うだろ。


そうやって、主人公を『イイコイイコ』するようになったから、大河ドラマはつまらなくなったんだろ。

伊達成実を演じていた三浦友和氏が素でひいてる表情を見せた『独眼竜政宗』の八百人斬りや、美しいものという、政治や戦争の世界には存在しない幻想を追い続けたツケで弟を殺さなくてはならなくなった『太平記』の足利尊氏みたいに、主人公の負の箇所もキッチリと描いてこそ、歴史上の人物の現実感が生まれるんじゃないのか。確かに清盛には悪いイメージがつきまとっているのは事実だ。しかし、清盛は聖人の徳で相国の地歩に登りつめたわけじゃない。貴族を蹴落とし、源氏を蹴落として、時の最高権力者になり遂せたのである。だから、これまでの源氏側からの視点に基く偏見を是正するのはよいとしても、悪のイメージの全てをムリに削ぎ落す必要はない。従来のイメージを全否定するのではなく、これまでとは違う角度から光をあてて、新しく魅力のある虚像を浮かびあがらせることこそ、歴史作品を創るものの使命である筈だ。

現代の価値観に迎合したイノセンスな平清盛なんて見たくない。

善悪清濁を併せ持ち、それを呑み込む器量を有した平清盛が見たい。

そう望むことは、果たして贅沢なことなのだろうか。



追記


仕事上の諸事情と、日曜日の『坂の上の雲』第二部の感想に備えて、金曜日&土曜日の更新はお休み致します。尤も、気になる話題があれば、チロッと軽い感想を書くかも知れません。予め、御了承下さい。コメントやメッセージは大歓迎です。