「……ああ、タンダの山菜鍋が食べたいな」(バルサ・原作版精霊の守り人)
出来れば、最後の独白は改変せずに、こっちを使って欲しかったぁ。
うん、でも、それ以外は文句ないですよ。全ての問題は解決した。それでも、人の運命は決着がつくことはあっても落着することはない。バルサもチャグムもタンダも、新しい運命と対峙するために、それぞれの途へ自らの意思で歩み出す最終回です。
バルサたちとの会話が途切れたところで、兵の群れに入って、彼らと喜びを共にするチャグム。完全に彼らの心を掴んでいます。流石は天性の蕩らし。男だろうが女だろうが、人を惹きつけてやまない天人の恩寵を確かにチャグムは持っています。
チャグムが離れたのを見計らって現れるシュガ直属の暗殺部隊。『シグ・サルアを追って』の回で張った伏線です。狙いは勿論、バルサ、タンダ、トロガイ。三人に恨みがあるわけではないですが(あ、バルサにはボコられたことがあるか)、今回の『水の精霊の誕生』の功績をチャグムに独占させたい宮の意向としては、念のため、口を封じておきたい存在なのでしょう。尤も、バルサにはバレバレ。よく観ると、チャグムが傍から離れたと同時にバルサの手が短槍を握っているのが、キチンと描かれています。そして、バルサという武人に畏敬の念を抱くモンと、チャグムの悲しむ顔を観たくないジンの進言で暗殺計画はやみ沙汰に。それに気づいたバルサも短槍から手を離します。万事メデタシで終わる筈の最終回の冒頭から何て心臓に悪いことを。ホントにここのスタッフは気を抜かせないよなぁ。
翌朝、光扇京への帰途。輿に乗るべき筈のチャグムは、バルサと一緒に足を負傷したタンダを支えながら徒歩で帰ります。何だかんだと理屈をつけていたけれども、この時、チャグムはバルサやタンダと直に触れ合う機会が来ないと覚悟していたのでしょう。タンダ鈍過ぎ。
そして、チャグムの予想は不幸にも的中(あ、二ノ妃との再開シーンとかは飛ばします。だって、アレは泣いて当然のシチュエーションじゃん、卑怯じゃん、泣いたけどさ)。帝との謁見で、チャグムは父からバルサたちのことを忘れよと命じられます。
「下々の者にとって、そなたは国の窮状を救った英雄なのだ。国にとって、また、そこに住まう者にとって、一人の英雄を持つということは誉れの極み。幾ら金銭を積んでも引き替えることの叶わぬ、まさに天より授かりし宝物なのだ。聞けば、そのカンバルの女人。損得を顧みず、生命を賭してそなたを守り抜いた一廉の人物。そなたが英雄となり、この新ヨゴ皇国の行く末を導くことに何の異論があろう」
そして、チャグムに王冠を授けた帝はこう続けます。
「チャグムよ。英雄を生きよ。サグム亡き今、英雄を生きることこそ、そなたの役目。水の精霊を味方につけたそなたと、この新ヨゴ皇国の前途に一点の曇りなし!」
ハッキリいって、ツッコミどころ満載の掌返しも甚だしい帝の言い草なんですけれども、正論には違いないのです。サグムの訃報を正式に発する。建国正史もある程度の改正を余儀なくされる。新ヨゴ皇国は上を下への大騒ぎに陥るでしょう。その時、密かに国難を救っていたというチャグムの存在は、民草に安堵感と高揚感を齎すために必要欠くべからざるものなのです。
かつて、ジグロ・ムサという男はいいました。
「人は往々にして英雄という名の生贄を欲しがるものだ」
そして、バルサはジクロをこのように評しました。
「ジグロって人は、たとえ一文の得にならないことでも、それができる立場にいる人間がそれをやらないことが罪だと考えていたんじゃないかってね。ジグロにとっては、国の英雄であり続けることも、名もない一人の人間を守ることも同じだったんだよ」
英雄とは貴人の姿をした人身御供である。そして、現今の新ヨゴ皇国で、その役を演ずることができるのはチャグムだけ。ジグロやバルサが国に背いてまで一人の人間を守り抜いたように、チャグムも己の意志を押し殺してでも英雄という生贄を務めなければならない。それが、ジグロとバルサから学んだ、否、二人が身をもって教えてくれたことでした。
「バルサは……きっとこうなることが判っていて、ジグロの話をしてくれたのだな」
そう、多分、バルサも判っている。もうチャグムと正面から向きあって話す機会が訪れないことを。絶景の露天風呂でも饗応の席でも、何処かうわの空だったのは、タンダを婿に欲しいという人がいるというトロガイのゴシップによるものではないでしょう。
翌日、帝や二ノ妃、そして、皇太子チャグムも臨御する中、バルサたちへの褒賞の儀がおこなわれます。尤も、これは宮からの『手切れ金』でしょう。また、御丁寧にもチャグムを含む皇族全員、黒のヴェールで顔を隠しています。平民が視線を合わせたら失明するというのがヨゴに伝わる風習。これまで、幾度となく、顔や視線をあわせて会話してきたバルサたちが、ただ一枚の布切れで、それまでの関係性を断絶させられるという残酷な描写ですが、それを、さりげなくやらかすのが、ここのスタッフの小憎らしいところ。
それでも、バルサはチャグムを見、チャグムもバルサを見ます。チャグムの手は震えていましたが、バルサの表情に変化はなし。この辺りのバルサの心境は如何ばかりでしょうか。個人的な感想を述べれば、バルサの心は哀しさや寂しさよりも誇らしさに満ちていたと思います。トロガイが『馬子にも衣装』などとバチあたりな言葉を漏らしたほど、この時のチャグムの皇太子ぶりは堂々としていました。その姿にバルサは、
「ここまでにチャグムを育てたのは私だ。他の誰でもない」
と、我が子の成長を見届けた母親のように、誇らしげに感じたのではないかと思います。
そして、モンとジンの不器用な心遣いとシュガの計らいで、バルサとチャグムは非公式ながらも、もう一度だけ会うことが出来ました。二人の最後の抱擁。チャグムの頭からは王冠が、バルサの手からは『手切れ金』の褒賞がずり落ちて、二人はただのバルサとチャグムとして、別れを告げあいます。
「バルサ、俺のこと、チャグムって呼んで。『さよなら、チャグム』っていって……」
「……あぁ、さよなら、チャグム」
「……ありがとう、バルサ。タンダ、トロガイ師。さようなら」
閉ざされる宮の門。これで、バルサとチャグムの物語が終わります。
バルサはカンバルへ向かいます。八人の魂を弔いましたが、もう一人、バルサでなければ弔えない魂があるから。そして、新ヨゴ皇国で帰りを待つタンダの視線の先で、道に影が落ちる。空を仰ぐと、そこには水の恵みを齎す雲。チャグムの『卵』が孵った証です。それを見上げるタンダに再び、光が投げかけられる。光と影を交互に用いた巧みな演出で、彼らの願いが成就したことと、その安堵感を同時に現しています。最後まで言葉に頼らない演出でした。
これにて、全二十六話に及んだ『精霊の守り人』の感想を終わります。
感想を書き終えて、改めて思ったのは、この『精霊の守り人』は『異端』にして『王道』のアニメ作品であったということ。『萌え』『デレ』『声優』といった、二十世紀末からのアニメ界の潮流(これらの要素を否定するわけではありません、念のため)を一切排して、ただ、脚本と演出の力で、ここまでの物語を形成したスタッフの力量に感嘆するばかりです。『アニメ』としては『異端』でも『作品』としては間違いなく『王道』と呼ぶべきものでした。
稚拙で脈絡に乏しい文章との苦い自覚は今でも存在していますが、それでも、その時、その時の全力を尽くして、考察と感想を書いてきました。 ここまで、お付き合い戴きまして、本当にありがとうございました。
さぁ! 今度は感想のことなんて考えず、頭をカラッポにして、もう一回、はじめから見返そうっと!
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