~ Literacy Bar ~

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ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、
時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。
※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

今年、管理人が触れた作品の中で特に印象に残ったものを列挙する年末恒例にして、今回も越年発表になった当該企画。何のための年末企画なんやろうなぁ(遠い目)。ちなみに次点は『八代将軍吉宗』&『べらぼう』の往年&今年の大河ドラマの二作品で同時受賞。濃厚魚介豚骨味噌系つけ麺の『吉宗』と淡麗系醤油らぁめんの『べらぼう』は足して2で割ると丁度いい大河ドラマになる説、一理あると思う。是非、次回の江戸中期ものでは塩梅のいいものを期待。

それでは早速ランキングの発表に移りたい。

 

 

第5位 八月の声を運ぶ男(TVドラマ)

 

九野和平「僕はこの蜘蛛のように生きていきたいと思う。どんどん新しい糸を出して、自分の新しい明日を編んで……」

 

この一見、もの凄く希望に溢れた台詞の主、実は裏取りが出来ない真贋定かならざる話を蜘蛛の糸のように紡ぐことで自身の社会的・生活的安寧を固めるという、仄暗い古井戸を覗き込むような阿部サダヲの真骨頂とも評すべきキャラクター。中盤までの地味な展開が一気にサイコサスペンス風に転換するシーンの説得力は多分にサダヲの存在感に掛かっていたと評しても過言ではあるまい。終戦80年の節目に『記憶の聖域化』というデンジャラスな題材を描き切った本作は『人間の記憶が変化する以上、一世紀近くも前の記憶よりも現在進行形の戦争をありのままに伝えるほうが歴史の教訓足り得る』と考えてきた私の長年のポリシーを補強すると共に『じゃあ、記憶を語り継ぐことは無意味なのか?』という疑問に対しても、辻原と立花母子の交流を通じて『そんなことはないよ、ちゃんと意義があるよ』とのアンサーを用意してくれた。放送当日は『NHKの戦後特番もまだまだ捨てたモンじゃあない』との思いを新たにしたものである。尤も、同時期に放送された『シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~』で佐藤浩市の東条英機、奥田瑛二の木戸幸一、北村有起哉の近衛文麿、松田龍平の昭和天皇という完璧過ぎるキャスティングを問答無用の駄作で使い潰したことでプラマイゼロになったのはナイショだ。少し褒めるとすぐに図に乗るNHKさんさぁ……。

 

 

 

 

 

第4位 とんがり帽子のアトリエ(漫画)

 

ココ「悔しい! 悔しい! なんで助けられないの? どうして! 絶対に許さない! 魔法使いなのに『助けられない』なんて許さないんだから!」

 

2017年以来、二度目のランクインとなった本作。14巻ラストのココ&アガの希望に満ちた出撃シーンからの、前述したココの絶望シーンで締め括られる15巻ラストの落差のエグさよ。それでも、フツーの主人公であれば、2~3巻は再起不能の絶望を見せつけられながら、つばあり帽一味が去った彼方をガンギマリの覚悟の表情で睨むココさんの頼もしさは『サイコパス』の朱ちゃん~朱さんの変化に通じるものがあるように思える、思えない? 今年4月からアニメ化される本作、初見の視聴者が最新刊のココさんを見ても同一人物と信じて貰えるかどうか疑わしい、いい意味で。

恐らくは作品全体の折り返し地点であろう銀夜祭編が終了した本作。帳蛭の後始末、つばあり帽の策動、魔法と政治の均衡を崩そうと目論む島王、五芒星試験、イースヒースのトラウマ……とまだまだ描かれるべきことが盛り沢山であるが、次巻はキーフリーとオルーギオの過去編ということで、一休みではないにせよ、更なる積み重ねの期間になる模様。暫くは本編以上にアニメ版のオンエアを楽しみにしたいと思う。現時点で発表されているキャスティングはココとキーフリーのみなので、ここは予想というか願望丸出しでベルタルートに関俊彦さんを希望したい。ルルシィには茅野愛衣さんを推したいけど、遠藤綾さんもイメージ通りなんだよなぁ。何より、後述する某作品の影響で私の中の茅野さんのイメージがいい意味で崩れているのも悩ましいところである。

 

 

 

 

 

 

第3位 グノーシア(TVアニメ)

 

セツ「始めようか、私たちが生き残るための話し合いを」

 

いわゆる人狼ゲームをモチーフにしたゲーム原作のSFサスペンス……と言っても、私自身は本作が人狼ゲーム作品の初体験であったりする。ミステリーは好きでも、

 

人は必要のない嘘をつくからイイ

 

という歪んだポリシーを持つ私にとって、ロジック全振りの人狼ゲームにはなかなか手が出ずにいたが、本作がループものの要素を取り入れる&序盤は少人数によるチュートリアル的内容を何度か繰り返すことでシステムを判りやすく伝え、視聴者が慣れてきた頃に徐々にプレイヤーの人数を増やしてゆくという、いい意味でのゲームらしさを追求してくれたおかげで、すんなりと入り込めた。他にもククルシカショックとかいう原作ゲームクリア組が(私を含む)御新規さんの悲鳴を心地よく拝聴していた回のように、主人公の敗北で終わる展開があるのもゲーム原作&ループものの特徴を活かしていて面白い。更に第二クールに入ってからはAC主義者という必要のない嘘をつく役回りも登場(人狼ゲームでは●人というポジションが存在することも本作関連で知った)して、当初の苦手意識はほぼ解消されたといえる。また主題歌も凄いドツボで一日数回は脳内でリピートされてしまっている今日この頃。後述する第1位の作品といい、2025年下半期はテーマ曲のよさが光ったなぁ。

 

 

 

 

 

 

第2位 髑髏城の七人(舞台)

 

贋鉄斎「マサコー! ミッチー! マサコー! ミッチー!」

 

息出来なくなるほどワロタwww

 

何が如何面白いのかは実際に御覧頂くとして、本作のDVDを御貸し下さった友人によると、これが贋鉄斎を演じた古田新太の平常運転らしい。時代劇で自転車とかローラースケートとかフリーダム過ぎるだろ。演出家は何をしているねん(誉め言葉)。まぁ、熟女好きの描写だけで次郎衛門の素性を早々に見抜いた私も頭がおかしい自覚はあるので、お互い様といったところか。

さて、基本的に舞台演劇は大掛かりなものよりも少人数による密室劇が好みで、場面転換の度にセットを入れ替えるドタバタ感、或いは全くセットを入れ替えずに役者の力量に委ねる開き直り感がイマイチ乗れなかった私であるが、所謂ステージアラウンドを用いた本作で『推しの子』2期で同様の理由で舞台を敬遠していたアクアがステアラで演劇への評価を一変したのが頭ではなく、心で理解出来た。実は本作を御貸し下さった方からは以前にも同じ会場で上演された別作品も御紹介頂いていたらしいが、そちらは殆ど印象に残らなかったことを思うと、本作はステアラの魅力を120%活かした作品であったと言える。決して同じ会場と気づかなかった私の責任ではない、多分、恐らく。

ただ、内容的には完璧に舞台向きであって、このノリを映画やドラマに持ち込まれると若干キツいところがあるのも事実。いや、本作の責任じゃあないんだけど、近年のアレな作品の幾つかに本作と同じようなノリがあることに今回見ていて気づかされたのよね。その辺、本作を御貸し下さった方と膝を詰めて議論したいところ。あと、沙霧たんハツラツ可愛い(*´Д`)ハァハァして、キャストを調べたら一橋治済のリアル嫁(当時は未婚)であることにも気づかされてしまった。やはり、昨年末の特大エレキテル天罰は大正義。

 

 

 

 

 

第1位 東島丹三郎は仮面ライダーになりたい(TVアニメ)

 

 

東島丹三郎「お、お願いして……いいかい? その……戦闘員姿になって貰うっていうのは……(*´Д`)ハアハア」

 

女子高生に戦闘員コスをねだる40歳独身男性主人公(多分ドーテー)。別にイメクラでコスプレを要求しているのではなく、モノホンのショッカーと全力で戦いたいから変身して欲しいというピュアなライダー愛が炸裂しているだけなのであるが、傍目には変態オヤジであることに変わりはない。

 

尚、バトルはJKショッカーの顔面にグーパンを入れて秒殺した。

 

男女平等パンチとかいうケチくさい話では全くなく、女性のほうも男性のアゴに膝を押しつけたまま全体重をかけて地面に叩きつける陸奥圓明流も真っ青の技を放ってくることからも判るように、本作は性別不問の仮面ライダーヲタ同士が言語の代わりに拳で語り合うトークバトルアニメといえよう。ちなみに上記のバトルはショッカーとの抗争とは全く無関係の、単なる味方陣営の序列決定という建設性のカケラもない戦いであることもヲタクの最強論争に通じるものがある……というか、ここまで書いても本作がどんな作品なのか微塵も伝わらないが、私も本作がどんな作品なのか完全に把握し切れていないからね、仕方ないね。

確かなことは人生からドロップアウトした連中でメンバーの半数近くが占められる主人公サイドが、何の武器も知恵もなく、ただただ憧れのライダーに近づくために極限まで鍛えた肉体で、実在するショッカー戦闘員や怪人と戦うアホバトル作品であること。必要最低限の知識は作品内で紹介してくれるので、ライダー初心者でも安心して(?)楽しめる。むしろライダーよりもプロレスの知識のほうが重要度は高い。どんな作品だ、これ。

出演陣のハマリ役っぷりも本作を第1位に推す主要因。主人公の東島丹三郎を演じる小西克幸はイケイケオラオラ系よりもダメ中年役のほうが圧倒的にハマるという私の持論を証明するに留まらず、今までは正統派ヒロインかほわほわ系お姉さんのキャラクターが強かった茅野愛衣演じる岡田ユリコ先生のドスの効いた残念系美人のハマリっぷりは、私の中で17歳教祖の正統な後継者という新しいイメージを確固たるものとした。もうガルパンのさおりんをフツーの目で見られない、マジで。

第3位の『グノーシア』と共に本作も連続での第2クールに突入した本作。第1クールのクオリティを維持出来れば、今年上半期ベストでの再ランクインも固いかも。

 

 

その他、今年上半期の有力候補では『閃光のハサウェイ』第2章が圧倒的下馬評有利。先日、第1章を見返して改めて思ったのはMSのバトルよりも細やかな人間心理のアニメ表現が本作の評価が高い理由なので、その辺を追求して貰えると嬉しい。『ガルパン』も今年中の公開が発表されたとはいえ、上半期に間に合うかはビミョー。アニメ『ダーウィン事変』は設定やストーリーはツボではあるが、作画動画が追いついていないイメージ。多分、原作を読んだほうがよさそう。尚、既にランクインが内々定している『雪煙チェイス』は真犯人の設定の弱さは気になったものの、それ以外はエンタメの王道を行く痛快サスペンスであった。特番ドラマとしても面白かったけど、劇場版にリブートしたらもっとイイ線行きそう。

 

 

 

明けました。おめでとうございました。

 

昨年末にオヤシラズの抜歯手術を受けた時、麻酔がいい塩梅に効いたのか、術後2時間くらいは『入院費が気になるなー、薩摩の西郷が保証人になってくれるって言っていたけど、大丈夫かなー』と本気で考えていた与力です。ラリラリだぜ。多分、手術前の準備室で流れていたBGMが米津玄師の『Lemon(インストゥルメンタル)』で『これ、検視官のドラマの主題歌だよな』とドツボに入ってしまい、妙なテンションの状態で麻酔が入ったせいだと思う。ちなみに一晩の入院費&治療費は前月のオフ会で宿泊した東京のホテル代よりも安く済みました。医療保険制度万歳なのか、オーバーツーリズムを憂うるべきなのか。あと、抜かれた歯がベッドの傍の机に置かれていたのは正直ビビった。

 

年越しは特に見たい番組もなかったので、レンタルしてきた『BONES』と前日録画しておいた日テレ版『忠臣蔵』を見返していた与力です。『吉良に非はないよね』という歴史認識と『忠臣蔵は名作だよね』という感想は両立する。里見さん曰く、垣見五郎兵衛を演じる西やんの『上品なほうがホンモノ』という台詞はアドリブであったとか。最高の儲け役を最高の芝居で演じきった西やん。勿論、単なる儲け役ではなく、隣室に刺客が潜んでいると察した時の目の芝居、ホンマ凄い。一番脂が乗っている頃の西やんやん。

 

新年はウルフアロンの棚橋弘至も吃驚の腹ポチャっぷりに度肝を抜かれた与力です。せめて小川直也くらいには絞ってこい。ただ、HoTの介入によるノーコンテストを予想していたので、キッチリと勝敗がつき、しかも、ウルフさんが勝つとは思わなかった。三角締めによるフィニッシュはUインターとの抗争期以来、新日マットにサブミッション〆の試合が増える吉兆かも。個人的にはドン・ファレのボディプレスでリングに散らばった机の破片でウルフさんが怪我をしないように丁寧に片づけるHoTの皆様の優しさが心に染み入った一戦でした。

 

この年越しは大晦日~三箇日オール出勤に加えて、帰宅後と就寝前の除雪というダブルワークで例年以上に疲弊しているので、例年以上に短めの迎春日記&例年通りの二作品。近年の割に更新は早めなので御勘弁下さい。

 

まずはこれ。

 

 

社美彌子「では、甲斐さん、準備はいいですか?」

甲斐峯秋「ああ」

社美彌子「どうぞ」

 

中園照生「あ、御心配申しあげておりました!」

内村完爾「御無事で何よりでした!」

衣笠藤治「いやぁ、最高のクリスマスプレゼントですなぁ!」

 

お前らじゃねぇ、座ってろ。

 

物語の導入部でダークナイト事件が語られ、回想シーンでカイト君の映像が流されたので、てっきり病室の外に居たのは結平とマリアと思ったら、現れたのは警視庁スリーアミーゴス。カイトパパの意識が戻るまで、

 

笛吹結平「お爺ちゃんが死んじゃったらどうしよう……(ベソベソ

社マリア「大丈夫、絶対に助かるよ、だから泣かないの(手ギュッ

笛吹結平「ばっ、バーカ、泣いてねーよ!(ドギマギ

 

みたいな遣り取りをしていたんじゃあないかと妄想逞しくしていたワイのトキメキを返してクレメンス。昨年の元日SPのレビュー同様、結×マリの健全おねショタシチュエーションなら幾らでも思い浮かぶ自分が凄くキモい。いや、今回はマリ×結だな、うん。

さて、毎年恒例の『相棒』元日スペシャルですが、今年は歴代の中でも屈指の傑作。昨年に続いて、

 

 

という満足感が半端なく、元日スペシャルの私的ランキングでは『バベルの塔』と『聖戦』に次ぐ第3位に入りました。下手にベタで二番煎じ臭い社会派を気取らず、些かクドいくらいに積み重ねられた複数の犯人による多重構造のサスペンスを追求したのが奏功したと思われます。まぁ、最初の事件はすぐに被害者自身が犯人と察しがついた&カイトパパの事件は発生する前に犯人が判ってしまったのが興覚めとはいえ、厄介オタの暴走に刺されかけた真犯人が、誰よりも熱心で模範的な自分のファンの杉下のサインのおねだりを断り切れず、それが決定的証拠になってしまうという、

 

一作家としては最高の結末でも一犯罪者としては最悪の結末

 

なのが、皮肉のスパイスが効きまくっていて好き。実は途中までは幾つかの事件は息子の件を蒸し返されたくないカイトパパが真犯人かと疑っていた。正直、スマンかった。

その真犯人の一人、美作章介。杉下に深入りした一般人は犯罪に手を染めがちというジンクスを打ち破れなかったとはいえ、もう一人の真犯人が自身の余命で暴走しなけりゃあ、或いは杉下に対する怨みを創作で昇華し得たかも知れません。ちょっと可哀想。実際、今回の事件は責任こそないとはいえ、原因は明らかに杉下にあるからね。面白半分に事件に首を突っ込んで、誰も得をしない真相を暴いて、父親に続いて保険金まで失った少女に、

 

杉下右京「貴女は正しく生きなさい( -`д-´)キリッ

 

の一言で納得すると本気で考えていたとしたら、余りにもデリカシーがなさ過ぎる。杉下の言うことは正しい。だが、正しさが常に人を救うとはかぎらない。流石の杉下も後味の悪さを感じたのか、もっと言葉を尽くして伝えるべきであったと反省しきり。犯罪自体は見破られたとはいえ、杉下から謝罪の言葉を引き出した時点で美作先生の勝利=久夛良木刑事≒杉下右京の敗北と呼べるのではないでしょうか。亀山復帰以降は鳴りを潜めていた、

 

暴走する杉下右京の正義

 

という『相棒』でしか描けない要素を掘り下げたのはディモールト・ベネ。

欠点はカイトパパが述べていた『特命係は二人で一つ』というフレーズがあまり効果的な帰結点にならなかったことかな。要するに事件に対する亀山の貢献度の低さ。ただ、そもそもの発端の事件の時にカイト君ではなく、亀山がいたら『杉下右京最初の事件』の時のように事件関係者と杉下の間に程よい妥協点を見出すことが出来たかも知れないと思うと、或いは好適な帰結点ではあったのかも。

 

次はこれ。

 

 

 

 

 

拳王配下のデカいBBA並みに違和感マシマシの人足。お忍びの現場視察というよりも山へキノコ狩りに来ただけではないかという疑念は拭えません(鎌倉殿脳)お前のような人足がいるか。第六天魔王だな。不覚にもフフッとなったとはいえ、しかし、このシーンは結局、たいした意味もなく終わったよね。去年同様、第一話で主人公とトメクレをゴーインに会わせる大河ドラマの悪い手癖、ホンマに何とかして欲しい。

そんな訳で何となく察しがついているかも知れませんが、第一話を視聴した現時点の正直な感想は、

 

 

です。最も乗れない理由を挙げるとコメディのセンスが合わない(人足天魔王を除く)という非論理的な感情論に落ち着いてしまうのですが、そこ以外にも場面が変わる度に登場人物が早口で事細かに状況や相手の人物像を説明してくれるユーザーフレンドリー仕様が、ドラマというよりも出来の悪い演劇やゲームの導入部を見ているようでキッツい。『判りやすいストーリー』と『見え透いた筋書き』は別物なのよ。人足天魔王の投入以外は大体どのシーンも3分先の展開が読めちゃったのよ。

登場人物が早口で状況を説明するのは『詰め込み過ぎ』というのも要因の一つでしょう。矢鱈とイベントが多かった……割に視聴者に提示された本作固有の情報量は極端に少なかったと思います。初回で明確に提示しなければならなかった情報は『小一郎と秀吉の為人』で、小一郎のほうはラノベの主人公並みの無双展開で何となく調整役というのは判ったのですが、秀吉のほうはね……ラストシーンで小一郎が、

 

「乱世よりも信長よりも斬り合いよりも兄者が怖い」

 

と総括していた割に本作の秀吉はどこが怖いのか判らんというのが正直な感想。秀吉のしたことって飯を奢ってくれる隣人が実は敵の間者で弟まで斬ろうとしたから成敗しただけでしょ? これ、秀吉が最初から隣人が間者と見抜いてヘラヘラと低姿勢で接近して油断させて背後からバッサリとか、名探偵小一郎の推理だけで物証はないのに無抵抗な相手をぶった斬って懐から密書を見つけて結果オーライとかなら怖いよ。でも、本作の秀吉のアクションは小一郎の活躍を受けての真っ当なリアクションでしかなく、ドン引きする要素が毛ほども感じられないのよね。隣人との関係も秀吉の『日頃世話になっている』という説明台詞だけしかなかったから『間者なら斬られて当然よね』という感想にしかならない。このエピソードで秀吉の怖さを描きたかったら、第一話の半分くらいの尺を費やしてでも両名の関係性を掘り下げて貰わないと折角の初回拡大枠が勿体ないじゃん。この『説明台詞で必要な情報は提示したからOKだよね?』という冷めた味噌汁感は『軍師官兵衛』を彷彿とさせて非常に先行きが不安。2019年以降、何だかんだで一定の水準をクリアするか、新しいことにトライしてきた大河ドラマが、久々に『受け身に回った』感が半端ないです。

勿論、徐々に面白くなる可能性も充分に有り得るので視聴は継続しますけれども、似たようなケースで三回目からグッと心を掴まれた『青天を衝け』の初回・二回目はアカラサマな準備期間であったのに対して、本作は全力疾走での空回り感が凄いというか。このノリで一年間、全てのアングルが私の嗜好と合致しないままで終わるかも知れないと思うと怖い。頼むから予想を裏切って、年末には『青天』の総評のように『私に見る目がございませんでした』と土下座させて下さい。

 

 

 

今年で三年目になる当年の大河ドラマの簡易総評。今年は先月のオフ会二連荘&今月受けた手術の影響で家業の年末調整すら終わっていないので、例年以上に手短にいきましょう。

まずは採点から発表致します。

 

100点満点中、60点です。

 

『あれ? 意外と低い?』と思われる方もおられるかも知れませんが、実は『真田丸』と同じ点数。『真田丸』が『コメディベースでありながら必要な時と場合に応じて容赦なくグロい展開を盛り込む』という2010年代後半以降の大河ドラマのスタンダードを築いたように、本作も今後制作されるであろう……というか、制作されて然るべき『江戸大河』の手本になって欲しいと思い、敢えて同じ点数にしました。昨年の『光る君へ』は製作自体には意味があったとはいえ、あれが平安大河のベースになるのはチトキツいものがあったので……うちのブログの総評で60点以上をつけた作品は『鎌倉殿』しかないので、高評価と言えるのではないでしょうか。

実際、本作が『名作』とまでは行かずとも『良作』の名に値することに疑問の余地はないでしょう。俳優も役柄も大河ドラマ初お目見えとは思えないほどの存在感に溢れた主人公、ほぼ下ブレなしで安定していたドラマのクオリティ、下手なスィーツ大河のドンパチよりもヒリつく不穏な展開の連続、花の井を演じる小芝風花の魅力、蔦重&定信という史実ではあり得ない反則級タッグチームを成立させる&源内を不遇の死に至らしめた全ての元凶に特大エレキテルで天誅を下す大胆で繊細で長期的な伏線と布石の配置、世界のナベケンに成りあがりの管理職の悲哀を演じさせる配役の妙、五代目瀬川を演じる小芝風花の魅力、三年前の善児に勝るとも劣らない『テロップ自体が不穏フラグ』の丈右衛門だった男のネタ感、鬼平のイメージを一新した茶目っ気溢れる長谷川平蔵、その平蔵をメロメロ(死語)にした瀬以を演じる小芝風花の魅力……推しに対する心の声がダダ漏れになっている箇所もあるが、気にするな。私も気にしない。ともあれ、本作に関しては、

 

俺が褒めなくても他の誰かが俺よりも的確な言葉で褒めてくれる

 

という謎の安心感があるので、これ以上のワッショイは不要かと思われます。これにて『べらぼう』の総評脱稿! 終わった! 2025年のブログ更新・完ッ!

 

……

 

…………

 

………………

 

……………………といいたいところではありますが、如何に『簡易』と銘打っているとはいえ、流石にこれだけで『総評』を名乗るのは烏滸がましいとは思わんかねと思わないでもありませんので、以下は今年の大河ドラマは良作であったという大前提を踏まえたうえで、批判……とまでは行かずとも、私なりに本作に対して思うところを述べることにしましょう。

 

本作は制作発表当初から『日本のメディア産業・ポップカルチャーの礎を築いた』蔦重の生涯を描くというスタンスが提示されており、事実、序盤は様々なアイデアを繰り出す吉原の新進気鋭のインフルエンサーとして描かれていたのは間違いありません。それも、主人公曰く『所詮、俺らは女に股を開かせて飯を食っている外道だから、今更正義や道徳を説く気はないが、虚栄の世界であろうと現場の人間にメシとプライドを提供出来ないのは雇用主として恥ずかしくないんか?』という言葉からも判るように『本作は単なる売らんかな主義ではなく、何のための創作なのかをキチンと掘り下げるつもりだな』と感心したのを覚えています。

ただ、日本橋に居を構えてからは吉原に居た頃よりもクリエイター&プロデューサー大河の色合いが薄くなったのは否めないでしょう。勿論、中盤以降は政治パートとの絡みも増え、蔦重一人の描写ばかりに重きを置く訳にはいかなかったのでしょうが、日本橋でのメジャーデビュー以降よりも社会的にも立場的にも資金的にも縛りのあった序盤のほうが不自由な環境の中であれこれと工夫を凝らしていいものを作ろうとする蔦重のクリエイター&プロデューサーの姿勢が窺えたのも確かです。吉原時代の『遊郭関係者にメシとプライドを供与したい』という瀬川と共有した理想が具体的で切実な事情を孕んでいたのに比べると、亡き源内センセから引き継いだ『書を以て世を耕す』という新たな理想は些か高邁過ぎて、現実感に乏しかったのかも知れません。

この第二部以降のクリエイター&プロデューサー蔦重の描写の減衰を最も端的に象徴しているのが、てい、歌麿、誰袖のヒロイン三人体制です。この三名はそれぞれに魅力的なヒロインではありましたが、しかし、ていが名実ともに蔦重のパートナーになったのは第三部以降、歌麿と蔦重の確執は第四部以降、誰袖は田沼意知絡みの政治パートに掛かり切りと、メジャーデビュー後の一番大切な時期の蔦重のプロデューサー描写の支えには間に合わず、三人合わせても第一部の瀬川のように主人公の行動原理を刺激する存在には成り得ませんでした、少なくとも第二部終了までは。

 

この辺はお前が小芝風花推しだからそう見えるだけやろと言われると完全に否定出来ないのですが、せめて日本橋でのメジャーデビュー直後は政治パートよりもプロデューサーパートにガッツリと尺を費やして欲しかったのも事実。極端な話、天命の打ちこわし騒動や佐野世直し大明神のエピソードを蔦重と絡めるよりも、寛政の改革が始まる以前の享楽的で開放的で刹那的な文化活動に焦点を当てるほうが、第三部以降の言論弾圧に狂奔するフンドシとの対立構造がより鮮明になったのではないでしょうか。

第二部以降の蔦重と江戸の文化人との本格的な交流も『何が蔦重を夢中にさせるまでに楽しかったのか?』が伝わってこなかったところがあります。『屁! 屁! 屁!』とか言われましても当時の人々と現代の笑いのツボは異なる訳で、このテのギャグセンスの『翻訳』に難があったというか、そもそも、森下センセ御自身が陽キャ系文化人サークルの楽しさがイマイチ判っていなかったんじゃあないかという下衆の勘繰りは拭えません。それに加えて、田沼時代の頃から主人公周辺でも大概酷い目に遭う人間が続出し過ぎたせいで、政治の舵取りがフンドシに変わっても大幅な環境の悪化を感じることが出来ず、蔦重とフンドシの直接対決も当該回は結構盛りあがったとはいえ、その場かぎりで終わってしまった印象があります。私が本作の終盤に期待していた展開とは、

 

規制を仕掛けるフンドシと規制を出し抜こうとする蔦重の知恵比べ

 

であったのですが、蔦重とフンドシの直接対立も表現を巡る信念のぶつかり合いというよりは春町先生の死はコイツの責任だという個人的な情念に帰結してしまったのが惜しい。

こうなった最大の原因はラスボス設定にあると思います。本作のラスボスは衆知のように生田斗真であり、事実、江戸中期~後期の政局におけるラスボスと呼ぶに足る人物は生田斗真なのですが、それはあくまでも歴史的視点であって、江戸のメディア王・蔦重が主人公の物語のラスボスはフンドシ以外にあり得ない。蔦重の目から時代を見る以上、ラスボスはフンドシでなければ、それは単なる『江戸時代もの』になり、蔦重が主人公という題材の意義がボヤけてしまいます。本作の終盤の問題点は主人公とラスボスの信念と信念の対決というよりも妖怪退治で終わってしまったところにあるといえるでしょう。特に生田斗真絡みの謀略は蔦重が主人公である必然性に欠けること甚だしく、少なくとも、後半以降は『江戸のメディア王・蔦重大河』というよりも、

 

男女逆転版『大奥』の正史Ver.

 

と評したほうが実情に近いのではないかと思います。この辺、森下センセも『大奥』に『引っ張られた』感があったのかも知れませんが、一方で『大奥』の脚本執筆の経験が今年の大河ドラマに活きたであろうことも確かでしょうから、痛し痒しといったところ。ともあれ、最終回がキュッと『活き』で『締まった』結末になったのは、大掛かりなフィクションよりも蔦重大河本来の主題であるプロデューサー&クリエイター路線に回帰したからに他ならないと思います、思えない?

この『蔦重大河の必然性』という点では歌麿との関係性についても煮え切らないものが残るというか……あまりにもジメジメし過ぎていて、源内センセのように『俺、男一筋なのよ』みたいなカラリとした価値観が欲しかったのよね。有り余る才能を持ちながら蔦重への想いを拗らせて転落していく歌の姿は生まれて初めて心底惚れた相手がノンケの愛妻家であったがために人生が歪んでしまったロイエンタールを思わせて、それはそれでドラマティックではあるのですが、それは蔦重と歌麿の大河ドラマのmustではない。私が二人の関係性で一番ビビッと来たのは、

 

歌麿「小道具を使えばキャラ立てしやすい!」

蔦重「商品とのタイアップも取れるからな!」

 

というやり取りでして、この種のプロデューサーとクリエイターのビミョーな観点の差が両名の決裂の理由に最も相応しいにも拘わらず、実際の破綻の原因は『ノンケ相手に拗らせた恋心』というのは作品の主題と著しく乖離していたと思います。詰まるところ、私が蔦重と歌麿で見たかったのは、

 

炎尾燃と仮面編集的な大人げないクリエイターとプロデューサーの譲れないガチンコバトル

 

であったのよね。いや、ノンケ相手に拗らせた歌の失恋も面白かったけど、それを題材にそこまでドラマティックなモノを書けるのでしたら、プロデューサーとクリエイターの価値観の衝突だって描けるでしょうに……と見ているほうが脚本家に妙な感情を拗らせてしまいそうになったものです。

 

毎回、総評では『当年の大河ドラマを食べ物に例える企画』があるのはご承知おきのことと存じますが、今年は、

 

 

本格インドカレー屋の絶品ハヤシライス大河

 

にしたいと思います。カレー屋でカレーを期待していたら出て来たのがメチャクチャ美味しいハヤシライスであったというオチ。似ているけど違う。単に私がメニューを見間違えたのか、或いは店側が注文を取り損ねたのかは意見の分かれるところかも知れませんが、出て来た料理は間違いなく、絶品であったのも事実。実のところ、この件は最近まで非常に否定的・批判的な目で捉えており、もっと厳しい総評になると自分では予想していたのですが、先月の上京の際にサシで飲んだY氏とのトークで、

 

Y氏「今年の大河ドラマはどーなの?」

与力「凄く面白いし、よく出来ているけど……」

Y氏「けど?」

与力「脚本家が得意分野でサラリと躱すところがあって……」

Y氏「その得意分野を求められて脚本家に抜擢された訳だろ?」

 

ごもっともでございます。

 

そー言われりゃあ、そーなんだよなぁ。得意分野で面白い作品を描いて文句をいわれるスジアイはないわなぁ。本作に対する私の不満は三谷大河に対して『コメディ要素を入れるな』と零しているようなもので無粋の極みと言われれば返す言葉もございません。ホンマ、Y氏はワイの思考の死角を容赦ない角度で的確に抉ってきおる。

 

ところで、今年の大河を食べ物に例える企画に関しては、もう一つ有力候補があります。森下センセの前作大河も『楠公飯大河』『ハバネロ大河』『調理実習大河』と三つの中からチョイスして頂いた記憶があるので、今回も二つ目の比喩を紹介致しましょう。それは、

 

鶏スープと鶏スープのダブルスープラーメン大河

 

です。

本作は江戸の町人・蔦重を主人公に据えながらも、田沼意次を中心とした幕府の政局パートにも積極的に尺を割いてくれました。プレ『べらぼう』とも評すべき『八代将軍吉宗』が政局パートに終始して、町人視点の担保が途中から亡霊化した近松門左衛門しかいなかったことを思うと、なかなかにバランスの取れた構成であったと思います。

しかし、実際に本作の町人パートと政局パートを見比べると作劇や世界観やテンションに大きな差が見られなかったのも事実。両方とも基本的に『最終的には人間の善意が勝つけど、それまでに罪もない人間がダース単位で退場するので、その過程を存分に楽しんでね(はぁと)』という如何にも血も涙もない森下作品で、蔦重パートと政局パートとの差別化に難がありました。まぁ、作風に関しては上記のY氏の言葉通り、得意分野を期待されている以上、それをトヤカクいうのは野暮の極みと承知していますが、それでも、多少なりとも温度差をつけることでメリハリをつけることは出来たのではないかと思います。

特に日本橋デビュー以降、江戸の錚々たる文人には筋目正しい御武家様もいましたが、町人世界とは異なる挙措や秩序を描いてこそ、身分の垣根を越える趣味の絆も際立つ訳で、町人階級のノリが『屁! 屁! 屁!』で、武士階級のノリも『屁! 屁! 屁!』では町人パートと政局パートの双方に尺を割いた意義が薄れると思うのよ。折角、町人パートと政局パートという2つのズンドウがあるのですから、各々に異なる系統のスープを用意してこそダブルスープの意味があるのに、本作は名古屋コーチンのスープと大和軍鶏のスープを合わせるようなものでメチャクチャ美味いのは承知のうえで『同じ鶏ガラ系やろ! せめて、魚介系と合わせんかい!』とツッコミたくなるのよね。

 

まぁ、正直なところ、難癖レベルの批判をしてきた自覚はありますが、不満点こそあれ、非常によく出来た作品であったという評価に変わりはありません。特に史実の担保がない完全オリジナルパートの完成度の高さは、制作陣の作劇能力の手堅さを示すものであり、今後の大河ドラマ、特に奈良・平安、室町、江戸中期といった戦国や幕末と比べて視聴者と制作者の間の『共通認識』や『御約束』が成立しにくい題材を描くに際して参考となる作品ではないかと思います。

 

最後はこちらも恒例のキャラクターランキングですが、今年は非常に面白味のない選出になってしまいましたので、短めの御紹介。

第三位は鴨平。序盤の紙花のシーンの撮影で撒き過ぎて途中でなくなるという、まさに役の将来を暗示するNGを出すなど、結果的に憑依型のキャスティングになった中村隼人さんでしたが、中盤以降に完全体鬼平として再登場を果たして以降、蔦重的にも視聴者的にも最も頼りになるキャラクターとしての地歩を盤石のものとしました。ぶっちゃけ、本作で一番成長したキャラクター。それでいて、おていさんと島田久作の漢籍トークについていけないくせにあーそーゆーことねかんぜんにりかいしたわーいう表情を浮かべるとか、ホンマに可愛い。中村さんで鬼平新シリーズを撮れとかゼータクなことは言わん。彼の主演で大河ドラマ『鬼平』をやれ下さい。

第二位は主人公・蔦重。フットワークの軽さと目から鼻に抜ける頭の回転の速さ、裾からチラリと覗く鍛えあげられた無骨な脛やボコられるシーンで頭よりも首を守る格闘家・横浜流星の魅力が相俟って、セクシー系文化系陽キャ系主人公という大河ドラマ……というか、他の作品でもなかなか見ないタイプのキャラクターになりました。自分は田沼贔屓でも『佐野を拝んでコメが食えるなら幾らでも拝む』というおふくさんの言葉に神妙に頭を下げるとことか人間的にも出来過ぎているのと、余りにも才気があり過ぎて、どこまでが計算ずくか判らんところがイマイチ感情移入出来ないゼータクな主人公。『主人公の魅力が高い』のは『青天を衝け』以来やなぁ。やはり『国宝』……今年のキーワードは『国宝』!

 

そして、最早、わざわざ明言する必要もないことですが、

 

第一位 花の井&瀬川&瀬以(小芝風花)

 

もう彼女しかいないでしょう。個人的には『トクサツガガガ』以来、推してきた女優さんが大河ドラマで誰もが認める魅力的なヒロインを演じきってくれたことに感謝の念しかありません。実際、彼女と蔦重の青年時代がメインとなった吉原パートの完成度はダンチで、第一部だけでヤング蔦重物語として完結・パッケージ出来るクオリティでした。ぶっちゃけ、今まで縷々と述べていた本作の第二部以降の不満点も、瀬川がヒロインを務めた分の貯金でスルー出来たのは紛れもない事実であり、前半の勢いで後半を視聴する原動力になった点では、

 

『鎌倉殿の13人』の上総広常

 

に匹敵する存在であったと思います。思えない? 取り敢えず、以前発表した2000年以降の大河ドラマのキャスティングランキングベスト10は『龍馬伝』の高杉OUTの瀬川INでオネシャス。しかし、大河ドラマの好きな女性キャラクターが瀬川と人見絹江とか、あまりにもマニアック過ぎるな、ワイ。ただ、最終回は蔦重と会わなくてもいいから、せめて、顔は映して欲しかった……。

逆にワーストランキングはフンドシと生田斗真の二択になるかなぁ。いや、両名ともキャラクターとしてはよく出来ており、中の人の好演も光ったのですが、やはり、プロデューサー&クリエイター大河という本作本来のコンセプトとかけ離れた展開になってしまった要因を象徴する二人ですので。尤も、序盤に一部で取り沙汰された打ち切りハッシュタグが早々に立ち枯れ、最終回まで何事もなく放送を終えたばかりか、普段は『マンガやアニメの表現を規制するべき!』と唱えている界隈の一部にも本作を楽しんでいる視聴者がおられるのを見て、

 

現代にもフンドシはおるんやな

 

と妙な納得をすると共に、そのリアリティという点ではフンドシの描き方は正解であったと思わないでもありませんでした。スゴイね、森下佳子。

 

これにて『べらぼう』の簡易総評は終了。

そして、来年の『豊臣兄弟』ですが……事前期待値という点では『西郷どん』以来の低さです。いや、脚本家やキャストへの不満は現時点ではないものの、あまりにも一昨々年の『どうする家康』と題材が被り過ぎているのが興味をソソラナイ最大の理由。先日発表された追加キャストも全員を掘り下げたら後半の大納言秀長時代の尺がなくなり、掘り下げなかったら織田家の御歴々が書き割りキャラと化すという不安しかないというか……ただ、これは毎年述べているように始まる前からダメと決めつけることはしませんし、実際に見たら面白かったという事例も多々ありますので、なるべく先入観ナシに初回を待つことにします。

 

それでは、皆さま、少しばかり早いですが、よいお年をお迎え下さいませ。