~ Literacy Bar ~

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ここはイマイチ社会性のない自称・のんぽりマスターの管理人が、
時事、徒然、歴史、ドラマ、アニメ、映画、小説、漫画の感想などをスナック感覚の気軽さで書き綴るブログです。
※基本、ネタバレ有となっていますので、ご注意下さい。

今年で三年目になる当年の大河ドラマの簡易総評。今年は先月のオフ会二連荘&今月受けた手術の影響で家業の年末調整すら終わっていないので、例年以上に手短にいきましょう。

まずは採点から発表致します。

 

100点満点中、60点です。

 

『あれ? 意外と低い?』と思われる方もおられるかも知れませんが、実は『真田丸』と同じ点数。『真田丸』が『コメディベースでありながら必要な時と場合に応じて容赦なくグロい展開を盛り込む』という2010年代後半以降の大河ドラマのスタンダードを築いたように、本作も今後制作されるであろう……というか、制作されて然るべき『江戸大河』の手本になって欲しいと思い、敢えて同じ点数にしました。昨年の『光る君へ』は製作自体には意味があったとはいえ、あれが平安大河のベースになるのはチトキツいものがあったので……うちのブログの総評で60点以上をつけた作品は『鎌倉殿』しかないので、高評価と言えるのではないでしょうか。

実際、本作が『名作』とまでは行かずとも『良作』の名に値することに疑問の余地はないでしょう。俳優も役柄も大河ドラマ初お目見えとは思えないほどの存在感に溢れた主人公、ほぼ下ブレなしで安定していたドラマのクオリティ、下手なスィーツ大河のドンパチよりもヒリつく不穏な展開の連続、花の井を演じる小芝風花の魅力、蔦重&定信という史実ではあり得ない反則級タッグチームを成立させる&源内を不遇の死に至らしめた全ての元凶に特大エレキテルで天誅を下す大胆で繊細で長期的な伏線と布石の配置、世界のナベケンに成りあがりの管理職の悲哀を演じさせる配役の妙、五代目瀬川を演じる小芝風花の魅力、三年前の善児に勝るとも劣らない『テロップ自体が不穏フラグ』の丈右衛門だった男のネタ感、鬼平のイメージを一新した茶目っ気溢れる長谷川平蔵、その平蔵をメロメロ(死語)にした瀬以を演じる小芝風花の魅力……推しに対する心の声がダダ漏れになっている箇所もあるが、気にするな。私も気にしない。ともあれ、本作に関しては、

 

俺が褒めなくても他の誰かが俺よりも的確な言葉で褒めてくれる

 

という謎の安心感があるので、これ以上のワッショイは不要かと思われます。これにて『べらぼう』の総評脱稿! 終わった! 2025年のブログ更新・完ッ!

 

……

 

…………

 

………………

 

……………………といいたいところではありますが、如何に『簡易』と銘打っているとはいえ、流石にこれだけで『総評』を名乗るのは烏滸がましいとは思わんかねと思わないでもありませんので、以下は今年の大河ドラマは良作であったという大前提を踏まえたうえで、批判……とまでは行かずとも、私なりに本作に対して思うところを述べることにしましょう。

 

本作は制作発表当初から『日本のメディア産業・ポップカルチャーの礎を築いた』蔦重の生涯を描くというスタンスが提示されており、事実、序盤は様々なアイデアを繰り出す吉原の新進気鋭のインフルエンサーとして描かれていたのは間違いありません。それも、主人公曰く『所詮、俺らは女に股を開かせて飯を食っている外道だから、今更正義や道徳を説く気はないが、虚栄の世界であろうと現場の人間にメシとプライドを提供出来ないのは雇用主として恥ずかしくないんか?』という言葉からも判るように『本作は単なる売らんかな主義ではなく、何のための創作なのかをキチンと掘り下げるつもりだな』と感心したのを覚えています。

ただ、日本橋に居を構えてからは吉原に居た頃よりもクリエイター&プロデューサー大河の色合いが薄くなったのは否めないでしょう。勿論、中盤以降は政治パートとの絡みも増え、蔦重一人の描写ばかりに重きを置く訳にはいかなかったのでしょうが、日本橋でのメジャーデビュー以降よりも社会的にも立場的にも資金的にも縛りのあった序盤のほうが不自由な環境の中であれこれと工夫を凝らしていいものを作ろうとする蔦重のクリエイター&プロデューサーの姿勢が窺えたのも確かです。吉原時代の『遊郭関係者にメシとプライドを供与したい』という瀬川と共有した理想が具体的で切実な事情を孕んでいたのに比べると、亡き源内センセから引き継いだ『書を以て世を耕す』という新たな理想は些か高邁過ぎて、現実感に乏しかったのかも知れません。

この第二部以降のクリエイター&プロデューサー蔦重の描写の減衰を最も端的に象徴しているのが、てい、歌麿、誰袖のヒロイン三人体制です。この三名はそれぞれに魅力的なヒロインではありましたが、しかし、ていが名実ともに蔦重のパートナーになったのは第三部以降、歌麿と蔦重の確執は第四部以降、誰袖は田沼意知絡みの政治パートに掛かり切りと、メジャーデビュー後の一番大切な時期の蔦重のプロデューサー描写の支えには間に合わず、三人合わせても第一部の瀬川のように主人公の行動原理を刺激する存在には成り得ませんでした、少なくとも第二部終了までは。

 

この辺はお前が小芝風花推しだからそう見えるだけやろと言われると完全に否定出来ないのですが、せめて日本橋でのメジャーデビュー直後は政治パートよりもプロデューサーパートにガッツリと尺を費やして欲しかったのも事実。極端な話、天命の打ちこわし騒動や佐野世直し大明神のエピソードを蔦重と絡めるよりも、寛政の改革が始まる以前の享楽的で開放的で刹那的な文化活動に焦点を当てるほうが、第三部以降の言論弾圧に狂奔するフンドシとの対立構造がより鮮明になったのではないでしょうか。

第二部以降の蔦重と江戸の文化人との本格的な交流も『何が蔦重を夢中にさせるまでに楽しかったのか?』が伝わってこなかったところがあります。『屁! 屁! 屁!』とか言われましても当時の人々と現代の笑いのツボは異なる訳で、このテのギャグセンスの『翻訳』に難があったというか、そもそも、森下センセ御自身が陽キャ系文化人サークルの楽しさがイマイチ判っていなかったんじゃあないかという下衆の勘繰りは拭えません。それに加えて、田沼時代の頃から主人公周辺でも大概酷い目に遭う人間が続出し過ぎたせいで、政治の舵取りがフンドシに変わっても大幅な環境の悪化を感じることが出来ず、蔦重とフンドシの直接対決も当該回は結構盛りあがったとはいえ、その場かぎりで終わってしまった印象があります。私が本作の終盤に期待していた展開とは、

 

規制を仕掛けるフンドシと規制を出し抜こうとする蔦重の知恵比べ

 

であったのですが、蔦重とフンドシの直接対立も表現を巡る信念のぶつかり合いというよりは春町先生の死はコイツの責任だという個人的な情念に帰結してしまったのが惜しい。

こうなった最大の原因はラスボス設定にあると思います。本作のラスボスは衆知のように生田斗真であり、事実、江戸中期~後期の政局におけるラスボスと呼ぶに足る人物は生田斗真なのですが、それはあくまでも歴史的視点であって、江戸のメディア王・蔦重が主人公の物語のラスボスはフンドシ以外にあり得ない。蔦重の目から時代を見る以上、ラスボスはフンドシでなければ、それは単なる『江戸時代もの』になり、蔦重が主人公という題材の意義がボヤけてしまいます。本作の終盤の問題点は主人公とラスボスの信念と信念の対決というよりも妖怪退治で終わってしまったところにあるといえるでしょう。特に生田斗真絡みの謀略は蔦重が主人公である必然性に欠けること甚だしく、少なくとも、後半以降は『江戸のメディア王・蔦重大河』というよりも、

 

男女逆転版『大奥』の正史Ver.

 

と評したほうが実情に近いのではないかと思います。この辺、森下センセも『大奥』に『引っ張られた』感があったのかも知れませんが、一方で『大奥』の脚本執筆の経験が今年の大河ドラマに活きたであろうことも確かでしょうから、痛し痒しといったところ。ともあれ、最終回がキュッと『活き』で『締まった』結末になったのは、大掛かりなフィクションよりも蔦重大河本来の主題であるプロデューサー&クリエイター路線に回帰したからに他ならないと思います、思えない?

この『蔦重大河の必然性』という点では歌麿との関係性についても煮え切らないものが残るというか……あまりにもジメジメし過ぎていて、源内センセのように『俺、男一筋なのよ』みたいなカラリとした価値観が欲しかったのよね。有り余る才能を持ちながら蔦重への想いを拗らせて転落していく歌の姿は生まれて初めて心底惚れた相手がノンケの愛妻家であったがために人生が歪んでしまったロイエンタールを思わせて、それはそれでドラマティックではあるのですが、それは蔦重と歌麿の大河ドラマのmustではない。私が二人の関係性で一番ビビッと来たのは、

 

歌麿「小道具を使えばキャラ立てしやすい!」

蔦重「商品とのタイアップも取れるからな!」

 

というやり取りでして、この種のプロデューサーとクリエイターのビミョーな観点の差が両名の決裂の理由に最も相応しいにも拘わらず、実際の破綻の原因は『ノンケ相手に拗らせた恋心』というのは作品の主題と著しく乖離していたと思います。詰まるところ、私が蔦重と歌麿で見たかったのは、

 

炎尾燃と仮面編集的な大人げないクリエイターとプロデューサーの譲れないガチンコバトル

 

であったのよね。いや、ノンケ相手に拗らせた歌の失恋も面白かったけど、それを題材にそこまでドラマティックなモノを書けるのでしたら、プロデューサーとクリエイターの価値観の衝突だって描けるでしょうに……と見ているほうが脚本家に妙な感情を拗らせてしまいそうになったものです。

 

毎回、総評では『当年の大河ドラマを食べ物に例える企画』があるのはご承知おきのことと存じますが、今年は、

 

 

本格インドカレー屋の絶品ハヤシライス大河

 

にしたいと思います。カレー屋でカレーを期待していたら出て来たのがメチャクチャ美味しいハヤシライスであったというオチ。似ているけど違う。単に私がメニューを見間違えたのか、或いは店側が注文を取り損ねたのかは意見の分かれるところかも知れませんが、出て来た料理は間違いなく、絶品であったのも事実。実のところ、この件は最近まで非常に否定的・批判的な目で捉えており、もっと厳しい総評になると自分では予想していたのですが、先月の上京の際にサシで飲んだY氏とのトークで、

 

Y氏「今年の大河ドラマはどーなの?」

与力「凄く面白いし、よく出来ているけど……」

Y氏「けど?」

与力「脚本家が得意分野でサラリと躱すところがあって……」

Y氏「その得意分野を求められて脚本家に抜擢された訳だろ?」

 

ごもっともでございます。

 

そー言われりゃあ、そーなんだよなぁ。得意分野で面白い作品を描いて文句をいわれるスジアイはないわなぁ。本作に対する私の不満は三谷大河に対して『コメディ要素を入れるな』と零しているようなもので無粋の極みと言われれば返す言葉もございません。ホンマ、Y氏はワイの思考の死角を容赦ない角度で的確に抉ってきおる。

 

ところで、今年の大河を食べ物に例える企画に関しては、もう一つ有力候補があります。森下センセの前作大河も『楠公飯大河』『ハバネロ大河』『調理実習大河』と三つの中からチョイスして頂いた記憶があるので、今回も二つ目の比喩を紹介致しましょう。それは、

 

鶏スープと鶏スープのダブルスープラーメン大河

 

です。

本作は江戸の町人・蔦重を主人公に据えながらも、田沼意次を中心とした幕府の政局パートにも積極的に尺を割いてくれました。プレ『べらぼう』とも評すべき『八代将軍吉宗』が政局パートに終始して、町人視点の担保が途中から亡霊化した近松門左衛門しかいなかったことを思うと、なかなかにバランスの取れた構成であったと思います。

しかし、実際に本作の町人パートと政局パートを見比べると作劇や世界観やテンションに大きな差が見られなかったのも事実。両方とも基本的に『最終的には人間の善意が勝つけど、それまでに罪もない人間がダース単位で退場するので、その過程を存分に楽しんでね(はぁと)』という如何にも血も涙もない森下作品で、蔦重パートと政局パートとの差別化に難がありました。まぁ、作風に関しては上記のY氏の言葉通り、得意分野を期待されている以上、それをトヤカクいうのは野暮の極みと承知していますが、それでも、多少なりとも温度差をつけることでメリハリをつけることは出来たのではないかと思います。

特に日本橋デビュー以降、江戸の錚々たる文人には筋目正しい御武家様もいましたが、町人世界とは異なる挙措や秩序を描いてこそ、身分の垣根を越える趣味の絆も際立つ訳で、町人階級のノリが『屁! 屁! 屁!』で、武士階級のノリも『屁! 屁! 屁!』では町人パートと政局パートの双方に尺を割いた意義が薄れると思うのよ。折角、町人パートと政局パートという2つのズンドウがあるのですから、各々に異なる系統のスープを用意してこそダブルスープの意味があるのに、本作は名古屋コーチンのスープと大和軍鶏のスープを合わせるようなものでメチャクチャ美味いのは承知のうえで『同じ鶏ガラ系やろ! せめて、魚介系と合わせんかい!』とツッコミたくなるのよね。

 

まぁ、正直なところ、難癖レベルの批判をしてきた自覚はありますが、不満点こそあれ、非常によく出来た作品であったという評価に変わりはありません。特に史実の担保がない完全オリジナルパートの完成度の高さは、制作陣の作劇能力の手堅さを示すものであり、今後の大河ドラマ、特に奈良・平安、室町、江戸中期といった戦国や幕末と比べて視聴者と制作者の間の『共通認識』や『御約束』が成立しにくい題材を描くに際して参考となる作品ではないかと思います。

 

最後はこちらも恒例のキャラクターランキングですが、今年は非常に面白味のない選出になってしまいましたので、短めの御紹介。

第三位は鴨平。序盤の紙花のシーンの撮影で撒き過ぎて途中でなくなるという、まさに役の将来を暗示するNGを出すなど、結果的に憑依型のキャスティングになった中村隼人さんでしたが、中盤以降に完全体鬼平として再登場を果たして以降、蔦重的にも視聴者的にも最も頼りになるキャラクターとしての地歩を盤石のものとしました。ぶっちゃけ、本作で一番成長したキャラクター。それでいて、おていさんと島田久作の漢籍トークについていけないくせにあーそーゆーことねかんぜんにりかいしたわーいう表情を浮かべるとか、ホンマに可愛い。中村さんで鬼平新シリーズを撮れとかゼータクなことは言わん。彼の主演で大河ドラマ『鬼平』をやれ下さい。

第二位は主人公・蔦重。フットワークの軽さと目から鼻に抜ける頭の回転の速さ、裾からチラリと覗く鍛えあげられた無骨な脛やボコられるシーンで頭よりも首を守る格闘家・横浜流星の魅力が相俟って、セクシー系文化系陽キャ系主人公という大河ドラマ……というか、他の作品でもなかなか見ないタイプのキャラクターになりました。自分は田沼贔屓でも『佐野を拝んでコメが食えるなら幾らでも拝む』というおふくさんの言葉に神妙に頭を下げるとことか人間的にも出来過ぎているのと、余りにも才気があり過ぎて、どこまでが計算ずくか判らんところがイマイチ感情移入出来ないゼータクな主人公。『主人公の魅力が高い』のは『青天を衝け』以来やなぁ。やはり『国宝』……今年のキーワードは『国宝』!

 

そして、最早、わざわざ明言する必要もないことですが、

 

第一位 花の井&瀬川&瀬以(小芝風花)

 

もう彼女しかいないでしょう。個人的には『トクサツガガガ』以来、推してきた女優さんが大河ドラマで誰もが認める魅力的なヒロインを演じきってくれたことに感謝の念しかありません。実際、彼女と蔦重の青年時代がメインとなった吉原パートの完成度はダンチで、第一部だけでヤング蔦重物語として完結・パッケージ出来るクオリティでした。ぶっちゃけ、今まで縷々と述べていた本作の第二部以降の不満点も、瀬川がヒロインを務めた分の貯金でスルー出来たのは紛れもない事実であり、前半の勢いで後半を視聴する原動力になった点では、

 

『鎌倉殿の13人』の上総広常

 

に匹敵する存在であったと思います。思えない? 取り敢えず、以前発表した2000年以降の大河ドラマのキャスティングランキングベスト10は『龍馬伝』の高杉OUTの瀬川INでオネシャス。しかし、大河ドラマの好きな女性キャラクターが瀬川と人見絹江とか、あまりにもマニアック過ぎるな、ワイ。ただ、最終回は蔦重と会わなくてもいいから、せめて、顔は映して欲しかった……。

逆にワーストランキングはフンドシと生田斗真の二択になるかなぁ。いや、両名ともキャラクターとしてはよく出来ており、中の人の好演も光ったのですが、やはり、プロデューサー&クリエイター大河という本作本来のコンセプトとかけ離れた展開になってしまった要因を象徴する二人ですので。尤も、序盤に一部で取り沙汰された打ち切りハッシュタグが早々に立ち枯れ、最終回まで何事もなく放送を終えたばかりか、普段は『マンガやアニメの表現を規制するべき!』と唱えている界隈の一部にも本作を楽しんでいる視聴者がおられるのを見て、

 

現代にもフンドシはおるんやな

 

と妙な納得をすると共に、そのリアリティという点ではフンドシの描き方は正解であったと思わないでもありませんでした。スゴイね、森下佳子。

 

これにて『べらぼう』の簡易総評は終了。

そして、来年の『豊臣兄弟』ですが……事前期待値という点では『西郷どん』以来の低さです。いや、脚本家やキャストへの不満は現時点ではないものの、あまりにも一昨々年の『どうする家康』と題材が被り過ぎているのが興味をソソラナイ最大の理由。先日発表された追加キャストも全員を掘り下げたら後半の大納言秀長時代の尺がなくなり、掘り下げなかったら織田家の御歴々が書き割りキャラと化すという不安しかないというか……ただ、これは毎年述べているように始まる前からダメと決めつけることはしませんし、実際に見たら面白かったという事例も多々ありますので、なるべく先入観ナシに初回を待つことにします。

 

それでは、皆さま、少しばかり早いですが、よいお年をお迎え下さいませ。

 

 

 

 

トラブルとは重なる時には関東ローム層よりも分厚く何層にも重なるものである。

 

東京での主催&長野でのゲスト参加のオフ会二連荘を二カ月後に控えた頃から携帯電話はブッ壊れるわ、医師に手術の必要を告げられるわ、唐突に旅行に出かけた家族から万一にも『貰わない』ために職場近くのホテルで一週間の自主隔離を余儀なくされる(主催は休めん)わ、アップデート絡みのトラブルで開催直前にPCメールが使えなくなるわ、職場で警察沙汰に巻き込まれるわと度重なるトラブルに見舞われ続けた私。特にPCメールの不具合は致命的で、オフ会に参加予定の方から已むを得ぬ事情による欠席メールが届いていたにも拘わらず、それをチェック出来ずに当日を迎えてしまい、一次会の開催時刻になって漸く連絡を取る始末……ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。

そんな訳で当日は東京に着いた時点でほぼほぼ放心状態。例年以上にグッダグダのツアーになってしまい、閉会後は例年通りの自己嫌悪感に苛まれながら、宿泊したホテルで『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』の第6話を見て『飲み屋でツマミを注文しない一葉よりはマシな仕切りが出来た』とどうにか自分を慰めていました。あんなフィクションの社会不適合者を見て満足するな、俺。

 

 

さて、去る11月8日に開催した今回のオフ会は昼食会からスタートということで午前中着の便でのんびりと上京……という訳ではなく、音痴・運動音痴・方向音痴の三重苦を背負っている私は『主催として道案内くらいはキチンとやりたい』というあまりにも低いハードルをクリアすべく、始発の新幹線で9時半には東京入り。一足先に昼食会の会場と次の目的地に足を運んでルートを確認していました。銀座線浅草駅近くの雷門郵便局で待ち合わせ。御参加頂いたのはKAKさん、mmさん、穂積さん、軒しのぶさん。初参加のKAKさんとイツメンの話が合うかという私の一抹の不安は、集合から五分で軒さん相手に繰り広げられる『ノイエ版の5期はいつやるのか』『荒川版アル戦の結末予想』というトークで雲散霧消した模様。やはり田中芳樹……田中芳樹は全てのオタクの共通言語!

昼食会は『べらぼう』を踏まえて和風の店に行きたいよねという事前の提案を頂き、

 

 

こちらのお店をチョイス。電話予約の際に対応してくれた店員さんが外国人っぽかったので、今年前半の京都旅行の時と同じように『今の観光地は飲食店でも外国人スタッフが必須なのか』と改めて思ったのですが、当日、店を訪れたらスタッフの多くが外国人の方々で吃驚。次に店内に掲げられたハラール認定証で二度吃驚。更に出て来た天ぷらの美味さに三度吃驚。そして、飛び込みで訪れるお客さんが全員外国人観光客で四度吃驚。ここまで美味い天ぷら&ハラール対応&店内の雰囲気も最高とくれば、外国人観光客に人気なのも納得。浅草に立ち寄られる際には是非、オススメしたい店。座席数が少な目なので事前予約が無難かも。ちなみに当日の注文はランチの天丼(並)。海鮮か牛肉かをチョイス出来ますが、結果的に牛肉を選んだのは私だけ。カリッとした衣の下から溢れるトロッとしたヂュースィーな味わいを共有したいと他の方々にも一枚ずつ召しあがって頂いた程です。

 

 

次の目的地は『べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館』。

現地でハカセさん&スナコさんと合流予定でしたが、会場ビルへの入り口が複数あり、先に9階の会場へ入っている可能性も有り得ると何度かエレベーターで上下運動をしました。幸い、御二方ともビル入り口で合流出来たのですが、まさか、これが1次会開催前のトラブルの伏線になろうとは神ならぬ髪の少ない身には想像し得なかったのでございます……。

個人的には『真田丸』以来、9年ぶりの大河ドラマ館。先日の放送で本作の写楽の『正体』は複数人によるプロジェクト名と判明しましたが、当日も会場では参加者の皆様と共に推理と仮説で盛りあがったのを覚えています。私はネタで松平定信説を提唱したのですが、結果的に3割ほど的中してしまった……いや、影のパトロンは兎も角、まさか、源内センセの二次続編をカンペキに仕上げるほどにノリノリで参加してくるライター役とは思わねーじゃん?

会場ではドラマの衣装や小道具などが展示されていましたが、一番印象に残ったのは脚本家の『自分だけが辛いと膝を抱えていてはダメ&他人を攻める前にチャンスは自分で掴み取れ』と書かれたコメントボード。これは本作に留まらない森下作品の共通テーマで、2021年の『天国と地獄』でもヒロインはセク原のパワハラに悩まされながらも、自らが為すべきことをキチンと為したうえで反論していたのが好印象でした。同じようなキャリア&ポジション&人気でありながら『登場人物に被害者マウントを取らせる』ことで社会派を気取る某脚本家との違いよね。

そして、我々のテンションが最もあがったコーナーは俳優陣のメッセージ入りサイン色紙。一橋治済の嫌いにならないでというメッセージには全員大爆笑でしたが、個人的に最もツボッたのは唐丸を演じた渡邉斗翔さん。クランクイン直後に撮影された写真と最近改めて本会場を訪れた時の様子の2枚が掲示されていたのですが、アカラサマに身長が伸びているのが判りまして、現地の女性スタッフの方が、

 

「そうなんです、この一年で物凄く成長して大人っぽくなりました」

 

と我が子の成長を語るように目を細めておられました。それを聞いた我々の間で、

 

成長著しい唐丸

 

というフレーズがプチ流行したのはナイショだ。是非、今後も大河ドラマに出演して著しい成長を見せて欲しいものです。

尚、ここで今回のツアー最大の失策がございまして、蔦重や源内の墓所などの会場周辺の作品所縁の場所を回る巡回バスがあったのですが、定員が9名で我々の他に乗車希望者があった場合、メンバーが散り散りになって合流が困難になること&昼食会の予約の都合で充分な時間が取れなかったために、こちらは断念することに。リサーチ不足と計画の不備を改めてお詫び致します。

 

 

軒さんと浅草駅で別れ、mmさんから『以前に乗った飛行機がトラブルで【禁則事項です】に着陸した』という激レアさんなエピソードを伺いながら銀座線~山手線経由で一次会の新宿へ移動。会場の『京町恋しぐれ』前で待ち合わせでしたが、一次会から参加予定のつらまえさんは私がビル前でボーッとしている間にビルの別の入り口から店舗で待つ他の参加者の方々と合流。しかも、このビルでは私の携帯電話だけ電波が繋がらないという謎のトラップも加わり、何度もエレベーターで上下運動を繰り返すハメに……本当にご迷惑をお掛けしました。ちなみに冒頭で触れた『既に欠席メールが届いていたにも拘わらず、PCの不調で受信出来なかった方』と連絡が取れたのもこの時。マジで自己嫌悪。

ともあれ、無事(?)に一次会開催。今回は初参加のKAKさんがおられたので、久しぶりに各々の自己紹介も兼ねた『御題』を御用意頂きました。テーマは、

 

2028年大河ドラマ主演俳優予想

 

題材ではなく、俳優の予想というのがミソ。最近のNHKのドキュメンタリーやショートドラマで『慣らし』と思しき出演の多い俳優を推察するもよし、題材の予想から逆算して似合いそうな俳優をチョイスするもよし、的中率ガン無視で推しの俳優をブチあげるもよし。これは意見が分かれそうだと思った私は『見事的中した方には次回お会いした際に一杯奢らせて頂きます』などと気軽に約束したのですが、当日の予想は、

 

中川大志(KAKさん・穂積さん)

小芝風花(私・ハカセさん・スナコさん)

尾野真千子(mmさん)

ヤマコー(つらまえさん)

 

思っていた以上に票が偏ってしまった……これ、中川君か小芝さんが来たら二人分の飲み代を支払うことになるのか……いや、ホントに小芝さんが来たら嬉しいけど、懐には厳しいことになりそう。ちなみにスナコさんは小芝さんで日野富子推し。これは川口春奈の日野富子推しのワイも納得。同じ中川大志推しでもKAKさんは『是非、立花宗茂を!』と万人が納得する正統派の主張であったのに対して、穂積さんは、

 

「バッドエンド系の題材でね……中川大志の表情をね……曇らせて欲しいんですよね……」

 

という実にウチのオフ会らしい業と闇の深いコメントを披露。ハカセさんは主人公だけでなく、30名以上のガッツリとした予想キャスティングのレジュメを持参して下さいました。主演は小芝さんの藤原光明子でしたが、個人的には竜星涼の藤原広嗣がツボ。今度は大宰府で叛乱を起こす側なんやね。mmさんも安倍内親王を推しておられたように、昨年の『光る君へ』の功績&来年戦国・再来年幕末という題材の影響か、奈良平安時代を期待する声は多いと思う。そして、ヤマコー推しのつらまえさん……近年の出演作(主に三谷幸喜の責任で)から実力派イロモノ俳優という矛盾した要素を併せ持つヤマコー主演はギャンブル過ぎるけど、当たればデカい筈。

大河ドラマの他にもハカセさんがスウェーデンを訪問した際に銅像を見たというカール14世ヨハンの話にビビッと来てしまった私。今年、長谷川版『ナポレオン』にドハマりしたくせに一番好きなキャラクターがベルナドット(=カール14世ヨハン)という、司馬さんの著作を読んで山縣有朋を好きになるレベルの捻じ曲がった感性を持つ私は、ハカセさんから『あの王様ってどんな人ですか?』と尋ねられると、

 

「ナポレオンの他の家臣のように突出した一芸はないものの軍事にも政治にも実務にも通じイケメンで足が長く人間的にも概ね円満なオールラウンダーただ女房がナポレオンの元婚約者ということもあってか人間的な相性は最悪で彼も主君に対する忠誠心に欠けていたので命令をすっぽかしたりしてまるで信用されておらずスウェーデン国王に推挙された時には嬉々としてナポレオンの元を去りライプツィヒの戦いではナポレオンとの直接対決を避けて部下たちを各個撃破せよという戦略で連合国軍を勝利に導いた逸材銀河英雄伝説で例えるとラインハルトと仲が悪いIF設定のロイエンタールポジでプロレス界に例えるとナポレオンが三沢光晴でベルナドットが川田利明」

 

とメッチャ早口でよく判らん説明をしてしまいました。正直スマンかった。

『七色てまりうた』での二次会参加者は私、穂積さん、つらまえさん、mmさん、スナコさんの五名。一次会の別れしな、ハカセさんから『男性は与力さんだけとかハーレムですな』と揶揄われましたが、女傑揃いの面々に私如きが太刀打ち出来る筈もなく、皆さんの女子会トークをなるべく気配を消して拝聴しておりました……というか、私を除く2次会の参加者ほぼ全員が現役、乃至は過去に演劇に携わったことがあるのに驚いた。ワイはそんな方々相手に『大河ドラマの作劇は~』みたいなことを記事にしていたかと思うと汗顔の至り。

22時過ぎに新宿駅前で解散。mmさんが目的地に辿り着けるか不安がっておられましたが、後刻、無事に到着したとの連絡があり、ホッとしました。私の定宿のある秋葉原まで、つらまえさんと2025年のベイスターズの総括&そろそろパ・リーグで推し球団を作ろうかという話題で盛りあがりましたが、未だに西武かロッテのどちらを選ぶのか結論が出ていません。

 

 

翌日は前日と真逆に身内・準身内とのサシの昼食&飲み会の連荘。

まず、昼は東京に住む甥っ子と焼肉三昧。何気に二人っきりの食事は初めてでした。自分の大学時代に叔父さんが訪ねてきたら嬉しさよりも面倒さのほうが先に立つような気がして、ここ数年の上京時にも声をかけずにいましたが、来年卒業&内定も無事GETして社会人になる甥っ子とメシを食う機会なんて本格的になくなると思い、思い切って誘った次第。流石に若いだけあって食うわ食うわ吉沢亮の肖像画1・3枚分は食いおったな。この年齢になると若いモンがモリモリ食う姿を見るだけで幸せな気分になれます。子供の頃、私の部屋で1stガンダム全話を一緒に見ていた甥っ子の口から大学の授業で学んだ、

 

「戦時国際法における無差別爆撃の定義」

 

というエッグい話を聞いて『南極条約って大事だよね』と震え声で返答しておきました。

夜は昨年久しぶりの再会を果たしたY氏との飲み会。今回もプロレスネタを中心に余人には聞かせられないタイプの話に終始しました。一番の衝撃はY氏から紹介された或るYouTuber。何と90年代の全日本プロレスの情報を熱いテンションで紹介するという、すげぇマニアックなチャンネル。いや、往年のプロレスを熱く語るのはよくありますけど、大抵はアントンとかUWFとか80年代新日とかFMWとか、何らかのイデオロギーが存在する個人や団体が主題で、90年代の全日という技術的にはトップクラスでもイデオロギーの欠片もない時代を当時と変わらないテンションで紹介するとか、コールドスリープから目覚めた人のようでジワジワくる。念のために申しあげておくと私も90年代全日信者ですが、

 

2025年に三沢革命の歴史的意義を熱く語る

 

当該チャンネルに『こち亀』38巻の走るデボネアを見かけた両さんのような気分になりました、いい意味で。動く90年代の生き証人というか、現代の反逆児というか。今ではチャンネル登録して毎日楽しく動画を視聴しています。Y氏から『折角だからネット経由で接触してみたら?』と唆されて、流石に暫くは遠巻きに様子を探りたいと返答したものの、後日、当該チャンネルを拝見したら何と私と同じ日に東京に滞在しておられた模様。運命感じちゃう?

 

 

 

そして、先週の土曜日は長野でKAKさん主催のオフ会に参加しました。ゲストは私と装鉄城さん。KAKさんは東京でのオフ会の際、体調不良で途中退席となっていたので、心配していましたが、無事御快癒しておられたようで何より。

当日は朝9時に長野駅で待ち合わせ。最初の目的地は善光寺。もうね、当日のKAKさんの山門登頂からお戒壇巡りを経て、善光寺地震の爪痕や迷子郵便の供養塔まで完璧過ぎる案内に、大学時代からの腐れ縁でどの会社に勤めているかまで知っているにも拘わらず、

 

この人、ツアコンだったっけか?

 

と自分の電脳にニセ情報を嚙まされたような錯覚に陥りました。ほぼほぼ長野観光のセミプロ。半月前の自身のグッダグダなオフ会と比較して更なる自己嫌悪の極み。

善光寺の次は昼食を挟んで荒砥城攻め。ここは大河ドラマ『風林火山』と『GO~非女たちのせん☆ごく~』のロケ地として知られており、城郭云々よりも聖地巡礼に近い心持ちで訪れました。本丸跡地に建てられた家屋の中に貼られた『風林火山』のポスターを見て、

 

与力「内野聖陽、今と全然変わらんね……」

装鉄城さん「ガクトも今と全然変わらんね……」

与力「凄いね……」

装鉄城さん「凄いね……」

 

と城郭とは別の要素でも感じ入った次第。

KAKさんから『次に訪れる屋代城と関わりの深い屋代秀正が家康の軍師になったという郷土愛が溢れ過ぎている漫画があるんですよ!』と聞かされて、屋代駅近くの書店に向かい、当該書籍を発見。こういうのを手に取れるのが旅行の楽しみの一つですね。装鉄城さんも地元に因んだ歴史書を見繕っていました。私? 私はデアゴスティーニの『水曜どうでしょうDVDコレクション⑤』を購入。だって『宮崎リゾート』って再放送じゃやれない貴重な回じゃん?

そして、駅を挟んで反対側に位置する屋代城址へ。時節柄、ケモノ対策のベルに加えて『ノイエ銀英伝』のメインテーマを大音量で流しながらの要塞攻略(登山)となりましたが、幸い、ベアーさんとの邂逅もなく、登頂に成功しました。尚、翌日にKAKさんと装鉄城さんが訪れた別の某所には本日ベアーさんが現れた模様。怖E。屋代城址は北陸新幹線のトンネルに貫かれており、眼下の線路を眺めながら、

 

与力「ここから新幹線が見られたらサイコーでしょうねー」

KAKさん「そんなタイミングよく通過せんやろー」

装鉄城さん「ですよねー」

 

と語り合っていると、

 

ホントに新幹線がキターーーーーー!

 

三人共、大コーフンで撮影しました。ちなみに本丸に設置されていた台には城址の解説パンフと並んで先述の屋代秀正の漫画の広告が……地元愛が凄い。

長野市への帰路に川中島の戦いで我らが郷里の英雄・上杉謙信が本陣を敷いた妻女山を見学。その途上には合戦の帰路で喉が渇いた謙信が『えいやっ!』と槍を突いた地面から水が湧き出たという言い伝えの泉があり、近世を開く戦国武将というよりも空海や最澄を思わせる中世的・宗教的な逸話……この絶妙な胡散臭さが上杉謙信らしくて好きという御屋形様の御膝元の人間にしか許されない感想を抱いたのはナイショだ。

松代城~栗田城跡を経由して長野市街地の焼き肉屋で〆の飲み会を開催。如何にも隠れ家的な名店で、そこに辿り着くまでの経路が明らかに別次元に通じているような妖しさがあり、ホンマ、ようこんな店を見つけてくるなとKAKさんには毎回感服しております。

折角なので装鉄城さんにも東京のオフ会で御題にした『2028年大河ドラマ主演俳優予想』をぶつけたところ、熟考の果てに『北川景子』という回答を得ました。そーいや今季の朝ドラにも出演しているし、大河ドラマのキャリア的にも充分有り得るとは思いましたが、装鉄城さんの口からガッキーの名が出てこなかった驚きのほうが凌駕しました。

飲み会は滅茶苦茶楽しかったのですが、ここ数カ月のキンチョーの糸がプッツリと途切れてしまったのか、一次会の途中から記憶がアイマイで二次会のバーで聖飢魔Ⅱの曲を聴いたり、解散後に長野駅から御二方に御礼のメールを送ったりしたのは確かなのですが、

 

気がついたら自宅のベッドにいた

 

という洒落にならないオチ。少なくとも長野駅から自宅までの記憶の8割が抜け落ちているだけでなく、当日購入した手荷物も幾つか紛失している模様。手術も控えているので、当分の間、飲み会はしないと固く誓った与力でした。実際、東京の不手際で結構な自己嫌悪中なので、暫く主催も控えようかと思います。当日は本当に申し訳ありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お久しぶりでございます。

 

約二カ月間、更新を休んでいた間に新しい歴史記事をシコシコ執筆していたとか、読書や観劇に勤しみ、次なる企画を練っていたとか、そのようなことは全くなく、只管ゴロゴロと惰眠を貪りながらTVを見ていた与力です。

今季の推し作品は『東島丹三郎は仮面ライダーになりたい』と『もしもこの世が舞台なら、 楽屋はどこにあるのだろう』の与力です。コス的にも肉体的にも電波人間タックルのフォルムの再現に拘っている間にお面を被れば仮面ライダーという単純な発想の主人公に先を越されてしまったユリコ先生の心境は、大阪芸大時代に『スーツやセットがなくてもジャージの上からカラータイマーをつければウルトラマンとして通じる』という庵野秀明の奇想に出鼻を挫かれた島本和彦に通じるものがあるように思います、思えない?

『もしがく』は第一話の前半を見逃してしまったのが気にならない面白さ……というか、今までの三谷ドラマとは毛色の異なるところが多いのが新鮮ですね。三谷作品ってクローズドサークルに強烈な個性のキャラクターをギュウギュウに押し込んでネットリとしたダシを取る印象が強いのですが、本作はやや世界観にゆとりと余裕を持たせて、ジワリジワリと周辺から固めてくる感が強い。多分、今までのスタイルだと1話のラストで『ここ(ストリップ劇場)で演劇やろうず』という段まで話が進んでいる筈。そもそも三谷作品とYOASOBIの主題歌がマッチしている時点でかなり異質。これはYOASOBIを褒めるべきかも。

『おしん』とかいうトラウマ級の作品を最初に見たせいで、朝ドラに全く興味が湧かず、今まで2話以上継続したことがなかったのに、何故か今季の『ばけばけ』はフツーに視聴出来ている与力です。熊本編で嘉納治五郎か秋月悌次郎が出るのを期待しているのか、或いは来年の朝ドラは我がJE市にも所縁のある人物なので、今のうちに慣れておこうという思いが無意識下で働いているのか。個人的にはヒロインを演じる女優さんが時折見せる三白眼っぽい表情の可愛いらしさがあるのかも。ただ、朝ドラって登場人物がモデルという体裁なので、どこまでが史実でどこまでが創作かの見分けが大河ドラマよりも難しい。親父のクズっぷりもどこまでベースがあるのか気になる。

 

冒頭から脈絡もない作品の寸感を述べて参りましたが、本筋は大河ドラマの感想。今回は文句なしの出来栄えでした。詳細は後述しますが、久しぶりに蔦重を主人公にした必然性のあるストーリーに大満足。

 

 

 

 

松平定信「どれもこれも女遊びの指南書だが、これのどこが好色でないと?」

蔦屋重三郎「跋文には『遊びは身を亡ぼす』ことを但し書きしております。ゆえにそれは教訓の本……教訓読本にございます」

松平定信「これを好色本か教訓本か、それを決めるのがうぬではなく……私だ( -`д-´)キリッ

 

『エロいかエロくないかは我々が決める』という現代の表現規制界隈の決まり文句を宣うふんどしノ守。某インスタントうどんのCMに対して『尺八(意味深)の暗喩』と難癖をつけたようにこれはエロ表現だとクレームを入れる奴が一番エロい思考回路をしているという案件を思い出しました。世の中にはおんぶ紐にフェチズムを見出して『けしからん』と憤る表現規制界隈もおられるからね、仕方ないね。『井河アサギは俺の嫁』とかほざいてイッパシの変態ぶっていた自分が恥ずかしくなる、表現規制会話のズバ抜けたエロチシズムの感性にシット!

さて、後半のクライマックスともいうべき蔦重の『身上半減』騒動。『国宝』を見た時から『横浜流星は受けに回った時に最高のエロスを発する』と思っていたので、牢でボコられるシーンは眼福の至り……じゃなくて、定信と蔦重の直接対決は手に汗を握りました。流石に老中直々に白洲に来るのはどうかと思わないでもありませんが、この辺は第一話で蔦重と田沼意次が初対面でガッツリと会話を仕出かしていたので、逆に違和感を覚えなかったと言えなくもありません。

意外に思ったのは定信VS蔦重のディベート自体は必ずしも論理性を重視していないというか、基本的に売り言葉に買い言葉というか、ネットのレスバに近かったのよね。蔦重のように目から鼻に抜けるような賢しい人間には、定信のような権力志向の強い生真面目人間はコイツ煽ったらおもろいやろなという揶揄の対象になりやすいのも事実ですが、根本的には定信にも蔦重にも、

 

春町先生の死はコイツの責任だ

 

という個人的な確執があるのでしょう。表現規制にかぎった話ではありませんが、政策論争は時に内容の是非よりも感情の対立に終始してしまいがちなところを踏まえています(自戒)

むしろ、定信の政策の是非や蔦重の反骨精神はどう発露されるべきであったかというアンサーは栗山とおていさんの漢籍議論、定信と本多忠籌の政策議論で描かれていました。特に蔦重の志を漢籍に翻訳・理論武装してくれたおていさんの功績は大。瀬川推しの私的には悔しいけど、これは瀬川には出来ないことだよなぁ。おていさんはホンマ、いい女房やわ。ついでにこのシーンは二人の漢籍トークに挟まれたマダオ鬼平のあーそーゆーことね完全に理解したわ(わかってない)という表情が絶品過ぎてジワジワきた。中村隼人の鬼平、当たり役という点では本作でもトップクラスやね。そして橋本愛さんは大河ドラマでは四連続で『出来た女&出来た妻』を好演しているので、次回はとびきりの悪女をキャスティングして欲しい。

 

そして、何よりも今週のよかったところは先述したように蔦重を主人公にした必然性のあるストーリーであったことですね。基本的に『一話一話が面白い』『全体的によく練られている』という大前提を踏まえたうえで申しあげると、中盤以降の本作は『江戸のメディア王・蔦屋重三郎の生涯』というよりも『よく出来た江戸中期ものドラマ』の雰囲気が濃厚で、主人公のポジショニングが曖昧な時期が続いていました。面白いは面白いけど、同じ森下脚本の『大奥』を見ても同質の感動を得られるよねという印象がありまして……クリエイター大河、プロデューサー大河という点ではカネ・出自・立場などの縛りが効いていた中で何とか面白いモノ・売れるモノを作ろうと足掻いていた吉原時代のほうが主人公していたと思っていたので、今回、ガッツリと蔦重がストーリーの中軸に関わった展開は熱盛。この中盤の展開に関しては瀬川退場後のヒロインを誰袖・てい・歌麿の三人に分散したことが裏目に出た感があるように思いますが、今回、ていさんがキッチリとヒロインの役割を果たしたので、次回以降の歌麿にも見せ場があると信じたい。詳細は年末恒例の総評にて。書けたら書く。