本日も投稿ネタを使わせてもらいます
もったいないってか
全く足りなかった時代があった
大昔の話です
老犬は小学生の頃に
実父と離れ他人様の家に
お世話になりました
キチンと手続きをしてない
養子です
そこの家は
塗装業を営んでおり
中学を卒業すると
家業を手伝うのが必然か
高校まで世話になるか
悩んでましたが
「お前みたいなモン兄(実子)と
同じような学校行けるもんか」
という養母の一言に
全く勉強しなくなり
働く事を決めました
一学年で350人中
50番程度だった成績は
300番以降にまで落ちました(θ‿θ)
さすがに下がり過ぎ
そして
実際中学卒業間近になると
逆に
「今どき、高校卒業の資格は必要」
そう言い始めた養父
かくして
ほぼ無理矢理
堺市内の進学校で有名な
M高校の定時制に入りましたが
授業は17時半から21時まで
その後クラブが1時間
ちなみに昼間の仕事は
休みは1日と15日と月2回
給料なしで
毎日500円の昼食代と
月2万円のお小遣い
おかげで体重55kgw65を維持してました
が
現場から早く帰り
学校に行けるようにと
RD250を与えられたのでした
当然
乗って遊ぶ時間がない
↓
ないなら作る
↓
学校サボる
↓
夜な夜な走る
↓
事故まで起こす
↓
さらに学校行けない
↓
単位取れない
↓
早々に留年決定
と
2回目の2年生の時
とある大手企業が
埼玉に工場を作り
そこの仕事に入る事が決定しました
「学校夏休みの間、埼玉に行ってこい」
と言われ
行ってる間に
なんと
転校手続き終了
かくして
埼玉の県立H高校の
定時制に通う事になりました
ちなみに
M高校は近くの看護学生や
大手カメラメーカーから
女子がたくさん来てたので
4クラスありましたが
H高校は
一学年で7人
女子は妊婦さん一人
しかし
ここでバンドを組んで
楽しく過ごしましたが
やはり22時ぐらいまで
遊び呆け
全く時間は足りなかった時代です
ちなみに
義兄も埼玉に来ていて
とても尽力されてました
が
一度見に来た養母
「会社の車で学校行くのはもったいない」
との一言から
ラッタッタ通学に変わりました