終戦は1945年
老犬は1961年製造なので 終戦後まだ16年しか経ってなかったんですね(←貧乏以外実感なし)
でも 子供の頃は 戦争で足や腕を無くした方は 周りにたくさんいらっしゃいました
戦争自体の経験はありませんが
零戦や隼の高性能ぶりや 大和や赤城の素晴しさをまだ誇りに思ってた
今考えたら 不憫な子供やったんです
戦争は辛い、悲しいもんだと
ちばてつや氏の『紫電改のタカ』って漫画から教わりました
普通の小さなコマ割りで アッサリ終わるラストは 訪ねてくる恋人と面会する直前に 特攻に出てしまうという ラスト
今だに 泣いてしまいます
今、一緒に住んでる義母は 今年91になります
彼女は 広島生まれ
はい、学生だった彼女は 因島の日立造船で軍艦製造に携わっていたそうです
当然 この瞬間も
ただ 運が良かったんでしょう
彼女は その時地下の防空ごうに避難していたそうです
そして
『防空ごうは暗いし知らん男にケツ触られるからイヤなんじゃ』
と 普通に言います
親戚は その時 新兵で駅でやられたとか 影しか残らんかったとか…
なぜ 戦争なんてしたのでしょう
1942年 真珠湾攻撃…
よく耳にします 学校でも習います
では なぜ日本はそこに踏み切ったのか
そこまでの日本のなにが アメリカと対立したのか
ハルノート、オレンジ計画…石油、ゴム、鉄道…
意外に知らない人が多いと思います
下手したら 日本とアメリカが戦争した事すら知らない人もいますから…
それが良いのか悪いのかは分かりませんが
命懸けで 国を守ろうとした先人には
やはり感謝するべきだと思います
たった16年 生まれてくるのが遅かったために
自分が どれだけ平和なのか
自分が どれだけ幸せなのか
もはや いない自分の両親にも感謝して
8月6日 8時15分、
サイレンと共に 黙祷いたしました
偶然、
黙祷した先は 義母の部屋でした…
ごめんなさい (;`・ω・)
たまたまです、悪気はありませんから❗️